メンヘラ製造機

 クレイジーは常日頃考えている。

 なぜ、自分の彼女はこんなにも愛おしいのだと。


(写真見ただけで癒される)


 彼女の写真フォルダの中に入った画像をクレイジーは久しぶりに眺めていた。そこには、まだ付き合ってない頃の写真もあった。


(うわ、懐かしい。図書室に通いながら遠くから見てた時の写真)


 後ろ姿。横顔。たまに斜め正面。盗撮とも呼べる写真が数多く存在している。


(……こう見たら、俺、ストーカーだったんだな。……気持ち悪……)


 けれど、まだ二人の関係が始まっていない時の彼女の姿も、クレイジーにとっては不思議と魅力的であった。


(この時18歳か)


 今より髪の毛が短い。前髪の分け目が違う。あ、この上着、最近着てたな。今との変化を感じるのも面白い。


(……。……。……やー、……やっぱ好きだな)


 遠目でパルフェクトに似ているからとか、そういうことではなく、


(なんか、雰囲気? なんだろうな。この感じ。……んー……や、……好きだわー……)


 彼女のことを知ってしまったせいだろうか。見れば見るほど会いたくなってくる。


(ルーチェ)


 自分よりも自由気ままな彼女。

 魔法とお師匠様に一途の頑固者。

 発達障害持ちの不思議ちゃん。

 多趣味をお持ちの天才児。

 彼氏にあまり興味のない彼女。


(俺ばっかハマってく感じがしてる)


 ずっと逆の立場だった。女の子から告白されて、試しに付き合っては別れて、また付き合っては別れて、たまに自分からも告白してみたり、相手からされたり、また付き合ったり、別れたり、それをひたすら繰り返す。そして自分に合ってる女の子を探す。経験を積む。この子はこういうタイプで、自分はこういうタイプが合っているのかとわかってくる。結構の確率で地雷系に当たる。可愛い子ばかりと付き合ったせいだろうか。可愛い子に限ってメンヘラが多い。なぜだろう。魔法学校に通ってるのに、魔法よりも恋愛を優先したがる。なぜだろう。「魔法と私、どっちが大事なの!?」いや、魔法だけど……。「もういい。別れる」あ、そうすか。なんかごめんね。「ごめん、やっぱりより戻したい……」えー。もう新しい彼女出来ちゃったってー!


 こんな調子だからチャラいとか思われちゃうんだろうな。でも女の子が好きだから仕方ない。関わりたいって言うなら関わるし、縁切りたいって言うなら縁を切る。女の子は好きだけど、正直、結婚となると考えてない。どうでもいい。


 セインが病院のベッドで胸を押さえ、痛みと悔しさで涙を押し殺していた姿を見た時に決意した。セインのなりたかった魔法使いには自分がなると。そしたらセインに魔法を沢山見せてやれる。セインがまた魔法使いになりたいと思ったら、仕事を紹介できるかもしれない。双子で案件をやれる日が来るかもしれない。過酷な道をセインが歩いていたように、自分も同じように過酷な道を歩いていれば、病気と闘ってきたセインは、少しでも楽してその道を歩いて来れるだろうから。


 だから、何があってもその軸だけはぶれなかった。ぶれなかった奴らはみんなデビューしていった。アーニーに先を越された。次こそはその先に行かないといけない。さて、どうやって行こうかと奇策を練っていたら――とんでもない茨の道を、ルーチェが歩いていた。それを見つけてしまった。


 ぼろぼろになりながらも、傷だらけで進む彼女は異常なほど美しかった。


 だからその傷を手当てしたくなった。

 周りの皆は安全な道を進もうとするのに、ルーチェは茨の道ばかり進もうとするから。俺が止めてもまた歩こうとして、傷が癒えたら走っていこうとして、どんなに止めても、ルーチェは先にある光を求めて、歩くのを止めない。その姿が、やっぱり魅力的で、惚れ惚れしてしまう。


 ルーチェ。

 最初はそんな気じゃなかった。

 ただ、ボールペンを返さなければいけないと思っただけだった。


 今はどうだ。

 考えられないほど惚れている。

 こんなに人を想った事は無い。

 結婚したいと思った事も無い。

 四六時中会いたいと思った事も無い。

 側にいるとにやけるくらい嬉しいのに、いないととんでもなく寂しくなる。


(……なんか、俺ばっかり)


 クレイジーが溜息を吐き、天井を見上げた。


(俺ばかり、ルーチェを好きになる)


 クレイジーが瞼を閉じた。


(しんど……)


 彼氏はこんなにも想って胸を苦しくしているのに、当の彼女本人は、憧れのお師匠様の魔法に夢中であった。


「ミランダ様! す、す、すごいです!」

「この程度、私にとってはお手の物だよ」

「さ、流石ミランダ様です! まじですげーです!」

「さて、ウォーミングアップも終わったところで……仕事に行ってくるよ。ルーチェ、留守番は頼んだからね」

「はい! 夜遅くまでお疲れ様でございます!」


 ミランダが箒に乗って外へと出ていった。光り輝くミランダの影に、ルーチェがほうっと息を吐いた。


(やっぱりすごいな。ミランダ様……)

「ルーチェ! 見送りが済んだなら俺と遊ぼうぜ! 俺、今夜はルーチェの遊び相手になってやってもいい気分なんだ!」

(あ、課題あったんだった。やっべ。忘れてた)

「あ、どこ行くの、ルーチェ! 鬼ごっこか!? よーし、任せろ!」


 セーレムが超特急で走り出す。ルーチェが自分の部屋に戻り、課題を持ってリビングに戻ってきた。


(はあー。課題面倒くさー。……ん? うわっ)


 突然光り出したスマートフォンにルーチェが目を見開いた。


(うわ、着信。この時間に誰……って……あれ……?)


 課題をテーブルに置き、応答ボタンを押した。耳にスマートフォンを寄せる。


「もしもし」

『おっすー』

「びっくりした。どうしたの? クレイジー君。こ、こんな時間に」

『ミランダちゃんは?』

「ん? ミランダ様なら、お仕事で外出してるよ?」

『……今屋敷にいないの?』

「うん。セーレムとあたしだけ」

「うおおおおおお! 今夜の俺なんかいけてる気がするーーーー!!」

『ちょっと外出てこれない?』

「外?」


 ルーチェがカーテンを開け、ちらっと窓を覗き――きょとんとして、カーテンを閉じ、上着を羽織って大股で玄関へと歩いた。扉を開けると――冬の森の中に停まったミニバンの運転席に、手を振るクレイジーがいた。ルーチェが扉を閉め、運転席側に駆け足で近づくと、窓が開いた。


「うっすー」

「何やってるの?」

「寒いっしょ。乗って」

「……お留守番、頼まれてるから……」

「ちょっとだけ駄目?」

「……」

「ちょっとだけでいいから」

「……ちょっと待ってて」


 ルーチェが一度屋敷に戻り、走り回るセーレムに伝えた。


 セーレム、ちょっとクレイジー君いるからお話してくるね。

「うおおおおお! 俺の足、超早いぜーーーー!!」

 行ってきまーす。


 再び外に出てきたルーチェが助手席の扉を開けて、中に入る。車の中はヒーターが利いていて温かい。クレイジーに珈琲缶を渡される。


「少しお茶しよ」

「今23時だよ?」

「夜はこれからってね」

「何かあった? セーチーの心臓がまた……」

「や、そういうのじゃなくて」

「ん」

「ただ」


 ……。しばらくの沈黙があってから、クレイジーが言った。


「ちょっと、会いたくて」

「……この間会ったよね?」

「んー」

「お泊りもしたし……」

「やー、そうなんだけど……」

「急に来たからびっくりした」

「……」

「珈琲頂くね?」

「……ん」

「はい、かんぱーい」


 ルーチェの存在を感じると、自然と心臓が早くなっていくのを自覚する。ルーチェが缶に唇を付ける。クレイジーが唾を飲んだ。ルーチェが息を吐き――クレイジーを見た。


「どうかしたの?」

「……や、ただ、普通に会いたかっただけ」

「……電話じゃ駄目だったの?」

「電話だとさー、……触れないじゃん」


 クレイジーがそっと手を差し出した。ルーチェがきょとんとした目でその手を見て、クレイジーの顔を見て、再び手を見て、手を伸ばし、その手を握りしめれば、クレイジーの頬がでれんと緩んだ。


「ふひひ!」

「……明日、飛行魔法の案件でもあるの?」

「や? 別にそういうわけじゃないよ」

「じゃあ……わかった。リベルさんとま、また喧嘩したんだ」

「ちげーって」

「コリスさん? ジェイ君?」

「不正解」

「セーチー? ……エリスちゃんか」

「ぜーんぶ違いまーす」

「じゃあ……」

「ルーチェっぴの顔が見たくて来ただけ」

「……そんなことある?」

「なかったら俺っち、ここにいないっぴよー?」


 クレイジーから握った手の指を絡ませる。


「……あ……あたしの顔、見たくて、コ、リスさんの車、借りてきたの?」

「そっ。いても立ってもいられなくなって」


 その言葉に、クレイジーの様子に、ルーチェがはっとした。


「……もしかして……別れ話にき……」

「なんでそうなんの?」

「……え、いや……だって」

「まだ別れる気ないけど?」

「あ、そ、そうなんだ……」

「うん。全然予定にない」

「あ、ふ、ふーん。そっか……」

「別れたい?」

「……や、クレイジー君が……そうしたいなら……」

「じゃあまだ別れる気ないからカップル継続だっぴ! 俺っちとルーチェっぴはこれからも仲良しこよぴだっぴー!」

(……この子本気で何しに来たんだろ……)

「で、仲良しな彼女っぴにお願いなんだけど」

「ん?」

「後ろにマット敷いてるの見える?」


 ルーチェが振り返った。寝具用のマットが敷かれてる。


「ドライブした時のやつ?」

「そそ」

「うん。どうしたの?」

「抱きしめさせてほしいんだけど」


 ルーチェが瞬きをした。


「そこで」

「……」

「……駄目?」


 そこでルーチェはようやく理解した。


(……なるほど。……欲求不満なんだな? 青年? 今日は、男の子の日なんだな? ほーう……?)

「抱きしめるだけ。……それ以上はしないから」

(別に風俗とか行っても怒らないのに。お金ないのかな?)

「あ」


 ルーチェが上着を置いたまま、助手席から後ろの席へと移動した。ふかふかのマットに乗り込み、横に倒れた。


(わー! 久しぶり! ふかふかー!)

「……」

(毛布もある! 包まっちゃえー!)


 クレイジーも後ろの席に移動し、無言ではしゃぐルーチェの隣に横になった。毛布に潜り込んだルーチェの顔を外に出し、目を合わせる。するとルーチェがクスッと笑い、両手を広げてみせた。それを見たクレイジーが一瞬固まり、また動き出し、ゆっくりとルーチェを抱きしめた。


(……クレイジー君って、やっぱり温かいな)

「……」

(……ん?)


 クレイジーが強くルーチェを抱きしめた。ルーチェがきょとんとして、クレイジーを抱き締め返し、優しく頭を撫でた。


「……ね、ユアン君、……あの、あ……や、やっぱり……何かあった?」

「……。……ちょっと、……メンヘラなこと言ってもいい?」

「おっ、どしたの? や、病んだの?」

「ルーチェのせい」

「え? あたし、なんかした?」

「ルーチェがいつまでも俺を好きだって言わないから、ヘラった」

「……んー……」

「なんか、ルーチェの写真見ててさ、今日。……思ったんだよね」


 やっぱり好きだなって。


「俺はまじで、本気で好きだって」


 でも、実際、聞いてないからさ。


「ルーチェの気持ち」

「……」

「なんか、一方通行? みたいな?」

「……」

「……しばらく経つでしょ。付き合って。……そろそろ、好きになった?」

「……えっと……」


 クレイジーがルーチェの上に被さるように乗ってきた。


「んっ」

「キスもしたし、エッチもしてる」

「そ、それは、そう、だね」

「好きになった?」

「う、うーん……」

「俺にときめく?」

「だから、その、えっと……」

「俺はときめく。ルーチェに会うと心臓めちゃくちゃ早くなるし、手繋ぐ時も毎回緊張する」

「ユアンく……」


 クレイジーから唇を重ねてきた。ルーチェが動こうとすると、手首をマットに押さえつけられた。


(あ……)


 また唇が引っ付く。唇が動く。咥えられる。食べられるようにハムハムと動き出す。舌が入ってくる。ルーチェの体に力が入った。クレイジーの手にも力が入る。逃がさないとばかりに押さえつけ、乱暴なキスを繰り返す。ルーチェの体が震えてきた。クレイジーが口を離した。


「……ふはっ! げほっ! ちょっ、げほげほっ!!」

「鼻で息しろって」

「ちょいまままままっ……!」

「やだ。今日は好きって言うまで離さない」

「抱きし、しめるだけって……」


 遮るようにクレイジーが再び唇を塞いできた。待て待て待て待て!


(一旦待った!!)


 逃げようと上に足を滑らすが、クレイジーが強く押さえてるため、失敗に終わる。ならばとキスしようと近づいた瞬間、ルーチェが首を大きく動かし、キスを拒否した。クレイジーが目をバッ! と見開く。ルーチェが目玉をやる。クレイジーの目が据わり始め――服の中に手を突っ込み始めた。


「わー!! 本当に待って! 待って! 待ってーーー!!」

「好きって言って……」

「待って、ね、落ち着いて!」

「俺は落ち着いてる」

「(目がキマってる!)ユアン君、ね、お、お願い。暗いし、一回灯りと、灯すから……」


 上着のポケットに入った杖を取ろうと腕を伸ばすと、背後から強く抱きしめられる。


「あ、ちょっ……」


 抱き寄せられ、やはり動けなくなる。


「あの……」


 うなじにキスをされ、舐められる。


「んんっ!」


 犬のようにすりすりされる。


「……ね、一回、灯り、とも、すから……」

「……車の灯りつける?」

「ムード出すから。ね、ちょっとだけ」


 クレイジーが手首を動かすと、どこからか沸いてきた蔓がルーチェの上着に触れ、杖を取り出し、クレイジーの腕に閉じ込められたままのルーチェに渡した。


「……蛍の光、薄く輝き、照らして、そっとでいい、温かく」


 薄くて温かな光が杖から放たれ、車の天井に張り付き、薄暗くもお互いの顔がはっきりと見えるくらいの明るさとなった。ルーチェが振り返ると、ムスッとしたクレイジーがいて、もう用がなくなった杖を奪おうと蔓を囲ませている。ルーチェは素直に蔓に杖を渡し……そのままクレイジーに身を委ねた。また強く抱きしめてくると思えば、今度は優しく撫でられる。こういうところなんだよな。


 だから、身を委ねられるんだよな。


「……どうしたの?」

「……俺ばっかルーチェを好きになる」

「ははっ。またまた」

「ガチだし」

「……今日、そういう日なんだよ」

「好きって言って」

「確信してないからやだ」

「確信って何」

「ゆー、ユアン君を見て、す、す、好きって、いう、ものを、感じたことが、んー、わかんないから」

「エッチもしてんのに?」

「その、せ、セフレ」

「セフレじゃねーし」

「ちがっ、だから、そ、そういうことしたって、す、好きってことにはなら、なら、ならないでしょ?」

「俺は好きだけど。好きだから触りたくなるしキスもしたくなるし、ずっとルーチェとこうしてたいって思ってる」

「……」

「何?」

「……今、これで『好き』って言ってもな、納得しないでしょ」

「……」

「……まだ別れるつもりはないんだよね?」

「ない」

「うん。それなら……えっとね」


 ルーチェがクレイジーの両頬を両手に添えさせ、額同士を重ね合わせた。クレイジーの心臓が急激に跳ねた。


「あたしも、まだいっ、一緒にいたい、とは、思ってるの」


 クレイジーの手がルーチェの腰に移る。


「別れ話かなってお、思った時、ま、まだ、ユアン君としてないこと、とか、したいこととか、まだ、いっぱいあるから、さ、寂しいなって思ったから、そうじゃないって、聞いて、ちょっと、あの、かなり、安心して……」


 クレイジーの瞳にはルーチェしか映らない。


「……もう少し、い、一緒にいたい、って……思うだけじゃ……だめ?」


 キスしたいとか、エッチしたいとか、手繋ぎたいとか、好きとか、愛してるとか、そういうのはなんか、経験少ないから、あんまりよくわかんないけど、


「ユアン君なら……触れられても……怖くないから……」

「……」

「やっぱりなんだろう。……安心感あるんだよね。ユアン君。へへへ」


 手首を掴まれても、乱暴にキスされても、


「なんか、あの、ゆ、んー、ユアン君なら、……その、あれ、酷いこと、とか、きっとしてこないって、あたしが勝手に思っちゃってて……」

「……」

「んっ、あ、ふふっ。えっと、キスとか、あの、そういう行為も、ユアン君なら怖くない、というか、あの、ユアン君しか経験が、あたしは、ね、ない、から……」

「……」

「あっ、んふふ、ちょ、ユアン君、待って……」


 待てる余裕がなくて、その唇を塞ぐ。目を開けると、ルーチェの頬はほんのり赤くなっている。薄い明かりの下で見える目は、はっきりと自分を見つめていた。


「……それだけじゃ、だめ?」

「……俺は好きだよ」

「……」

「真夜中に急に会いたくなるくらいルーチェのこと愛してる」

「……ん。……ありがとう」

「ずっとこうして抱きしめてたいし、オナる時もルーチェじゃないとまじで抜けなくなってきた」

「……それは重症だね」

「うん。愛してる」

「……うん。……本当にありがとう」

「……」

「……ごめんね。あの、本当に……その、好きっていうのが、……本当に分かんなくて……」

「……ミランダちゃんのことは好きなんでしょ」

「あ、それは、うん」

「(即答)アーニーとワイズは?」

「うん。好き」

「俺は?」

「……友達とか、憧れてる人の好きと……れ、こ、恋愛、は、違うもん」

(……本気で言ってんな。これ)

「……嫌になった?」

「……嫌っていうか……ムカつく。なんでこんなに好きなのに、ルーチェに限って全然振り向いてくれないんだろうって」

「……他の子は違ったの?」

「立場逆だったから」

「あー、そんな気がする。なんか、ふふっ、ユアン君、あれ、め、メンヘラ製造機みたいなこと、クラスの子が言ってたよ」

「あーね」

「じゃあ、あたし、メンヘラ製造機?」

「そ。俺っち専用の」

「ふふふっ、何それ」

「ルーチェっぴはクレイジー野郎専門のメンヘラ製造機なんだっぴ。だからちゃんと構ってくれないとこうなるんだっぴ!」

「ふふふっ!」

「……キスしていい?」

「……ん。いいよ」


 今度はお互いに顔を寄せ合い、唇を重ね合う。『好き』という気持ちは言われなかったが、その心は何故か満たされていた。


 ルーチェが怖くないと言ったせいだろうか。


(もっと、優しく触ろう)


 優しく頭を撫でる。


(もっと、ゆっくり触ろう)


 頬に触れる時も、爪を立てないように、やわらかいところで触れて、傷つけないように、もっと優しく、もっと柔らかく、もっと、繊細に、ゆっくり触れたら、ルーチェは恍惚とした瞳で自分だけを見つめてくるものだから。


「……ルーチェ」

「んっ」

「ルーチェ、……ルーチェ……」

「あっ、んふふっ、や、く、くすぐったい……」

「ひひっ、……ルーチェ……」

「んっ……」


 ――ひと時の時間、薄暗い車の中は確かに二人だけの世界であり、二人だけの時間となった。しかし、日付が変わった時間を見て、ルーチェがクレイジーの背中を叩いた。


「……ごめん、そろそろ……戻らなきゃ」

「……」

「課題あるの忘れてた。留守番も、ちゃ、ちゃんとしないと……ごめんね?」

「……二人で住む?」

「そんなお金ないでしょ」

(……貯金しよ……)

「またあの、ど、どこか、遊びに行こう?」

「泊まりにおいで。課題とか、俺も見るから」

「あ、それは嬉しい」


 上着を着て車から降りる。外はかなり冷え込んでいる。


「じゃあね」

「……うん」

「夜道滑るから事故らないようにね」

「うん。気をつける」

「……」


 ルーチェが様子のおかしいクレイジーの顔を覗き込んだ。


「寂しい?」

「ごめん。もう一回抱きしめさせて」

「あははは!」


 抱きしめられたら、ルーチェが笑いだし、クレイジーの頭を撫でる。


「また連絡するから」

「……なんかまじで無理……」

「今日がそういう日なんだよ」

「まじで泊まりに来て……」

「土曜の夜とかなら」

「うん。それでいい。もういつでもいいから」

「あははは。じゅ、重症だね」

「最後にキスしていい? まじでそれで最後にするから」

「はいはい。……馬鹿だなぁ」


 近づくクレイジーにルーチェが呟く。


「相手、あたしだよ?」

「ルーチェだから、だよ」


 首を傾げ、唇を重ね合わせれば、雪が静かに降ってきた。


 仕事を終えたミランダも、箒に乗って帰路へと向かうところであった。






 メンヘラ製造機 END

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