気分転換したいなら


 三学期からプロデビューするため、飛行魔法の訓練に励む毎日。こんなの数だ。慣れたもん勝ちだ。クレイジーな青年よ、根性と気合を見せるのだ。


(まじ無理……もう無理……慣れない……まじであの高さは無理……)


 クレイジーはソファーでしくしく泣き始め、そんな様子を見た母親のエリスが兄と話している。


(明日には死んでるかも……)

「ジェイ、どうだった?」

「こいつやる気ある?」

「ユアン! 飛行魔法なんて慣れだよ! 慣れ!」

(じゃあやってみろってんだよ! 畜生!!)

「あははー! まじー? すげーな。それ」

(セインはさっきからずっと電話してるし! 気楽でいいよな!!)

「へーえ。んなことやってんだー。……あ、待って。……ユアン、代わる?」

「は? 誰?」

「喋る?」

「この状況見てジョークが言えるなんてすげーな。兄ちゃん。俺、すげー疲れてんのわかんない?」

「あっそ。ごめんね。……ん? いや、声聞いてもらおうかなって思ったんだけど、ユアン疲れて喋れないってさ。やー。ルーチーもよくあんなのと付き合ってるよなー」


 クレイジーがすぐさまセインからスマートフォンを奪い、耳に当てた。後ろから聞こえるセインの笑い転げる声を全無視する。


「も、もしもし? もしもし?」

『あれ? クレイジー君?』

(うわっ、何これ。めっちゃ幸せ。耳が溶けそう。疲れが一気に癒やされた。うわ、すげえ。こんなの初めて)

『つ、つ、疲れてるん……じゃないの?』

「ううん! 全然平気!」

『飛行魔法の特訓しーたって聞いたけど……大丈夫?』

「あーね。んー……、……大丈夫ではないかなー」

『誰に教わってるの?』

「ジェイ兄ちゃん。でも兄ちゃん、教え方乱暴でさー」

「お前が出来てないだけだろ。めんどくせー」

『大変そうだね』

「気分転換したい」

『あー。気分転換ねー。したいねー。海とか行きたいねぇ』

「……海?」

『たまに見たくなるんだよね。その、じ、地元が、あの、そういうところだったから』

「……行く?」

『え?』

「車でなら、行けるけど」

『……え、免許持ってるの?』

「逆に持ってないの?」

『持ってない……。でも……車に乗るのは好きだから、いつか取りたいなぁとは……思ってるけど……』

「……ドライブデート、する?」


 というわけで、


(……中央駅来るよう言われたけど、クレイジー君、運転出来るのかな……)


 色んな車が駅前にやってきては、誰かを下ろしては去っていく。


(来る気配無いし、小説書いてようかな)


 あ、チャットが来てる。確認すると、右を見てと書いてある。ルーチェが右を見ると、窓から振られる手があった。


(あ)


 これはまた立派なミニバンだこと。扉の取手を軽く押すと、自動で開かれた。運転席には笑顔のクレイジーがいる。


「おはよー!」

「おはよう。……本当に運転席にいる……」

「久しぶりに運転したかったんだよ! まじありがとう!」

「こちらこそ……」


 シートベルトを着用すれば、車が道路を走り出す。うわー。まじで運転してる。すげー!


「これ、誰の車?」

「コリス兄ちゃんの借りた」

「……あれ? ミニバンだっけ?」

「や、これ仕事用」

「え、いいの?」

「全然平気。たまに借りて遊びに行ってるし」

(汚さないよう気をつけないと……)

「ランチ食べた?」

「……クレイジー君、食べた?」

「まだ。だからマックでも行きたいなって」

「っ! あ、だ、だったら!」

(ん?)

「ランチは! あた、あ、あたしが、出します!」


 どやぁ! とルーチェの瞳が輝いた。


「いつも出してもらってるから!」

「……あーね」

「あたしが、出します!」

「や、いいよ。出すから」

「え、や、あ、あたしが、出す。お給料も入ったし、支払いも終わってるから!」

(いや、俺も給料出たから平気……)

「……いつも出してもらってるから……今日くらい払わせて? ……申し訳ない。いつも」

「……。……。じゃー……ご馳走になるかなー」

「……っ! うん!」

(あはー。……まじ天使……)


 ドライブスルーで注文し、ルーチェが嬉々とした顔でお金を出す。そんなにお金出したかったのかな。この子。


「はい」

「ありがとう」

「一旦どっか止めるか」

「うん」


 一度無料の駐車場に止め、ランチタイム。ルーチェにご馳走になったハンバーガーを頬張ると、ルーチェが嬉しそうに微笑む。


「……あの、……いつもありがとね。奢ってくれて」

「や、そこは男して当たり前じゃない?」

「いや、当たり前じゃないよ。本当はあたしももっと出せたらいいんだけど……」

「まあ、まあ、うちは実家だから」

「だとしても、家にお金入れてるでしょう? なのに……いつもデート代、出してくれてるから、今日こそはって思って……」

「……」

「ちょっと、安いけど……」

「……や? 俺っちこのハンバーガー大好きだから、すげー嬉しい」

「……本当?」

「ちょっと高めの頼んだんだよね。ご馳走様」

「それなら……良かった!」

(……俺、まじでこの子と結婚しよう……)


 食事が済んだら安全運転で道路を走る。あ、隣の車が煽り運転されてる。クレイジーが杖を振った。煽り運転してた車が蔓に巻き付かれて動きを止めた。クラクションが鳴り響く。そこでようやく映画を見ていたルーチェが気付き、振り返った。


「わっ! 何あれ!?」

「んー? 事故かなー?」

「うわ、こわ……。ま、巻き込まれないで良かったね」

「だねー」


 そうこうしているうちに、ついてしまった。秋の海に。


「もう流石にあまり人いないね」

「風も冷たいしねー」


 上着を着た二人が浜辺を歩く。ルーチェが揺れ動く海の遠くを眺めた。


(やっぱ海は嫌いじゃないな……。ずっと見てられる)

「ルーチェっぴ、ちょっと足入れよ」

「え、冷たくない?」

「ちょっとだけなら平気だって」


 クレイジーに言われ、ちょっと入ってみたいと思った自分もいたりして、ルーチェが靴を脱ぎ、素足で水に触れる。


「わっ、すごい!」


 波が足に触れたら、濡れてしまう。しかしそれが楽しい。


(子供に戻った気分)

「ルーチェっぴ」

「ん?」

「それ!」

「わっ!」


 クレイジーが波を蹴って飛ばしてきた。


「何するの! えい!」

「ぎゃははっ! でや!」

「ちょっ! やめてよ! ははは!」

「ひひひ!」


 笑いながらお互いに水を飛ばし合っていると、偶然大きな波がやってきて、ルーチェの足が取られた。


「わっ!」

「っ、ルーチェ……!」


 手を掴んだのはいいが、クレイジーもバランスを崩した。二人とも海に転び、びしょ濡れとなる。


「……あー……」

「おっとー、濡れちゃったよー……」

「うー……ごめん……」

「怪我は?」

「してない。……ありがとう」

「ん。後で車戻って火魔法で乾かすべ」

「あ、そっか。魔法で乾かせばいいんだ。……それなら、まだ遊んでてもいい?」

「……」

「えい」

「反省してねーな! この子ったらー!」

「あははは!」


 いいだけ濡れた服のまま遊び倒し、車に戻る頃には夕日が沈んでいた。

 クレイジーが念の為用意していたジャージに着替えて、コンビニに寄り、弁当などを買ってから車に戻った。


「ルーチェっぴ、夕飯買ってきたー」

「あ、ありがとう。こっちもだいぶ乾いてきた」


 シーツに包まったルーチェが火魔法と風魔法を混ぜ合わせて二人の服を乾かしていた。やっぱりこういう時、魔法って便利だよなぁ。とルーチェがしみじみ思う。


(なんかキャンプみたいで楽しい)

「ルーチェっぴ、トイレは? 見てるから行っていいよ」

「あ、じゃあ……い、行こうかな」

「ん」

「お、お弁当代いくら? 割り勘しよ」

「や、夕飯は俺っち」

「大丈夫だからレシート」

「レシート捨てちゃった!」

「……。……。……」

「……じゃー……500ワドル払ってくれる?」

「ん!」

(可愛いかよ)


 一度場所を移動する。坂の上にある無人の駐車場に停めてから共に夕飯を食べ、クレイジーは飛行魔法の愚痴をこぼし、ルーチェはそれでも魔法の魅力を語り……いつの間にか、二人とも向かい合わせとなって眠っていた。ルーチェが先に目を覚ます。


(……やば、寝てた……。今何時……?)


 ルーチェが起き上がり、スマートフォンを探そうとして――窓を見て、その光景に目を奪われた。


(あっ)


 そこには星空の海が広がっていた。まるでオーロラが出そうなほど、綺麗な銀河系であった。


(うわ……ミランダ様にもお見せしたい……)

(……ん……。やべ……寝ちゃった……)


 クレイジーも目を開ける。そして、星空に目を奪われる天使を目撃した。


(……俺、死んだのかな……。ここ天国……?)


 ゆっくりと起き上がり、後ろからルーチェを抱き締める。


「うわっ、びっくりした!」

「なに見てんの」

「……星空、綺麗だよ」


 ルーチェが指を差す先の空は美しく輝いている。けれど、この台詞の意味がわかった。星空よりも、それに魅了されてるルーチェが一番綺麗だ。


「なんか、あれだね。クレイジー君のき、気分転換だったのに、あた、あたしの、気分転換に、なっー……ちゃったね」

「……いーや? 俺っちもすげー気分転換になったよ?」

「……ほんと?」

「ん。すげー楽しかった」


 クレイジーがルーチェの頬にキスをした。うわわ。あんなところにも、こんなところにも。


「ふふっ。ちょ、ちょっと!」

「むちゅー」

「ふふっ、やめっ、あはは! くす、くすぐったい!」

「むっちゅー!」

「ふひひひ! やめっ! あっ」

「わっ」


 平らになった椅子に倒れる。クレイジーの上に被さったルーチェが上体を起こし、クレイジーを見下ろす。


「……ごめん」

「……んーん。むしろご褒美。超良い眺め」


 クレイジーの手がルーチェの頬を撫で、その手で頭を優しく下ろすよう誘うと、お互いの唇が触れ合う。そして優しく唇が離れ、暗い車内で見つめ合う。


 ルーチェの瞳に魅了される。唇に魅了される。また触れたくなって、今度はルーチェを優しい手付きで押し倒し、上になったクレイジーがルーチェに唇を重ねた。体が密着する。舌が絡み合う。だんだん体が熱くなっていく。ルーチェの鼓動が早くなった。クレイジーが股間に熱を感じた。


 クレイジーがルーチェの耳に囁いて、訊いた。


「……ね、……して、いい?」

「……コ、リス、さんの、車だよ」

「平気。兄ちゃんもたまに女連れてるから」

「……だめです。ご、ゴムも、ないじゃん」

「……あるって言ったら怒る?」

「……」

「さっき買ってきた。弁当買う時に」

「……だから、率先して行くって言ったの?」

「怒る?」

「すけべ」

「男は皆すけべなんでーす」


 クレイジーがルーチェの首筋に唇を押しつければ、ルーチェの体がぴくりと揺れる。それを感じたクレイジーの本能が焦りだす。ほら、ルーチェも感じてるんじゃん。ね、えっちしよ? 早く触れたい。早く繋がりたい。衝動的になりそうな脳を理性が止める。ルーチェの意見が最優先だから、ちょっと待て。ちょっとだけだから。


「……したい。……だめ?」

「……カーセックスって、良くないんだよ」

「誰もいないって」

「配信者が突撃してきたり」

「あれ大体ヤラセだから」

「……そうなの?」

「ヤラセだろ。あんなの」

(そうなんだ……)

「……だめ?」

「……汗、かいてるから……」

「全然平気。むしろ」

「え?」

「(ルーチェの汗の匂い好きって言ったら流石に引かれるよなー)……ね、だめ? ……したい」


 性欲は時に、人を脳を支配する。ルーチェですら揺れ動く。恋人とこういうことをしても別に悪いことではない。むしろ、仲睦まじい行為だ。大切なことだ。相手は彼氏。自分は彼女。今日は……クレイジーの気分転換で来ている。


 自分の彼氏君が、少しでも、癒やされるのなら。


「……飛行魔法、頑張れる?」

「や、そりゃ、もう……超頑張る」

「……じゃあ……」


 ルーチェが優しい手でクレイジーを抱きしめる。


「っ」

「いいよ」

「……っ!」

「……あまり……痛くしないでね……?」

「(おっしゃぁああああオッケー出たぁあーーー!!)ん。気をつける」


 疼く手でルーチェの服に触れる。落ち着け。……落ち着け。


「……先に、キスしよっか。ルーチェ」

「……うん……」


 二人がどちらともなく、唇を重ねた。心が満たされる。気持ちがあふれる。


 欲が、沸き起こる。



(*'ω'*)



 ルーチェが車から下りた。


「じゃ、あ、ありがとう。クレイジー君」

「んーん。こちらこそ。(……すげー楽しかった)」

「……また学校でね」

「あ、ルーチェっぴ、ちょい」

「え?」

「渡すもんあるの忘れてた」

「え? 何?」


 ルーチェがもう一度助手席に戻ると……クレイジーに頬にキスをされた。


「……ありがと。すげー楽しかった」

「……あ、は、はい」

「……俺っちにもして?」

「あ、……ん」


 言われるがままに頬にキスをすれば、クレイジーの頬がでれんと緩んだ。


「……まじで飛行魔法頑張るわ」

「……うん。頑張って」

「……ごめん。……もう一回キスして」

「……もう……」


 ルーチェが再び頬にキスをする。するとクレイジーがルーチェの鼻にキスをした。ルーチェが遊び心でクレイジーの顎にキスをした。ぐひひと笑ったクレイジーとルーチェの目が合い……最後に、唇を重ね合わせた。


「……愛してる。ルーチェ」

「……ありがとう」

「……」

「……もう帰らないと」

(……やっぱこの時が一番切ない)


 早くあの子を俺だけのものしたい。


(奥さんにしたい)


 下りたルーチェが手を振り、クレイジーも笑顔で手を振り、ルーチェが屋敷に入る。それを見届け、クレイジーが伸びをした。


(さーて、帰ってちょっと寝て……飛行魔法やるかー……)

(……朝帰りしちゃった。ミランダ様が起きる前に部屋にいないと……)


 そっと屋敷の扉を開け、リビングに行くと……優雅に珈琲を飲むミランダと目があった。


「……」

「……お帰り。ルーチェ」

「……。……。……ただ、いま、帰り、ました……」

「朝帰りなんてお前もやるじゃないかい。……ちゃんと避妊したんだろうね?」

「しゃ、シャワー浴びてきます!」


 風呂場に駆け込むルーチェを鼻で笑うミランダがいる一方、クレイジーは鼻歌を奏でながら家を目指して運転する。


(またどっか行きたいなー。今度は冬休みかな。ルーチェ、意外と出かけるの好きみたいだし)


 クレイジーの思考が止まらない。


(次は、泊まりでどっか誘おうかな)


 朝日が登る方角に向かって車が走っていった。



 気分転換したいなら END(R18フルverはアルファポリスにて)

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