その瞳は欲まみれ


(はあ……。今日もバイト疲れたー……)


 ルーチェがアルバイト先であるセルバンテスから出ていく。


(家帰ってー、お風呂入ってー、ご飯食べてー、課題やってー、はー、いつ寝れるかなー……)


 ぼーっとしていると、前から来た男と肩がぶつかり、ルーチェがぎょっとして振り返った。


「あ、すいません!」


 男は無言で頭を下げ、自分とは反対方向へと歩いていく。あー、やってしまったー。


(ちゃんと前見て歩かないと……)


 再び、ぼうっとした顔で歩いていくルーチェの背中を……男がじっと見ていた。



(*'ω'*)



 そこは魔法のセキュリティが固められた施設。一般人は絶対に入ることが許されない、魔法調査体秘密基地である。


 その一室、壁中ルーチェの写真で埋め尽くされた部屋に来た隊員から、ジュリアが盗撮写真を受け取った。


「ご苦労」


 ぱらぱらとめくって確認する。……はあーーーーーー。


「まじ癒やしーーーー!」


 ジュリアが新たに壁に貼った。


「まじで癒やしの神ーーー!!」


 ルーチェの隠し撮り写真に両手を握って祈った。


「今日も私、仕事頑張ります。きゅるん!」

「見ろよ……。隊長がパルフェクトちゃんの真似してる……」

「俺達……とうとうや(殺)られるのかな……」

「ジュリアさん、本日上から魔法警察の案件を預かってます」

「は? 魔法警察案件? なんでそんなものがうちに来るんですか。警察は無能ですか? 返却」

「少し厄介な相手なんです。無差別の通り魔で、男なら滅多刺し。女は強姦してから八つ裂き。もう何人も被害が出てます」

「じゃあさっさと特定すればいいじゃないですか」

「それが……」


 部下が耳打ちする。その報告を聞いて、ジュリアが舌打ちした。


「だからボンボンは嫌いなんです。政治家の息子ね」

「もみ消しているようですが、流石に量が量なので証拠を掴んでほしいと」

「そんなの下の調査隊にやらせなさい」

「いえ、ジュリアさんの方が適任だと思ったので、私が引き受けました」

「……いいでしょう。理由を聞きましょうか。理由によっては悪夢を見させる程度じゃ済ませませんが……適任とは?」

「ここにいるんです」


 部下が指を差した。


「犯人が」


 ルーチェが写った写真に、ルーチェの背中を見ている男がいる。


「次のターゲットかもしれません。なので……」


 ジュリアが無言で立ち上がった。


「適任……かと……」


 ジュリアがマントと帽子を身につける。


「ついていきます」

「当然です」


 私のルーチェに狙いをつけるなんて。


「許されませんよ。お坊ちゃん」


 紫の瞳が、ぎらりと光った。



(*'ω'*)



(はあー。今日もバイト疲れたー)


 夜遅くまで働き、ルーチェが店から出ていく。店頭でカート棚をしまってた気前のいい先輩と挨拶。


「お疲れさまでしたー」

「ルーチェちゃん、夜道気をつけな! 最近通り魔事件増えてるみたいだから!」

「はーい(駅まで近いし大丈夫でしょ)」


 ルーチェが夜道を歩く。昼間と違って人気が少ない。後ろから男が歩いてきた。ルーチェは耳にイヤホンをした。男が歩いてくる。ルーチェが駅に向かって歩く。男は明らかについてきた。しかしルーチェは気づいてない。信号が赤信号になった。男は近づく。ルーチェは立ち止まった。


(帰ったら発声練習して、小説書きたいな)


 男が近づく。腕を伸ばした。ルーチェに向かって一直線に伸びて――横から掴まれた。口を押さえ、押し倒し、総勢で男を捕まえ――ルーチェの片方のイヤホンが取られたのをきっかけにルーチェが隣に振り返った。


「ボンソワール。間抜けちゃん」

「うわ、びっくりした。……ジュリアさん。こんばん……」

「離しやがれーーーーーーーー!!!」

「うわっ!」


 ルーチェが驚いて声の方角に振り返った。自分の背後で、調査隊員総勢が一人の男を取り押さえている。


「俺の父親が誰か知ってるのかーーーーー!! 離せーーーーーー!!」

(うわ、何? 酔っ払い? こわ……)

「間抜けちゃん、今日うちに泊まれませんか?」

「え?」

「すみませんねえ。突然。でも……少々、君に大切なお話があるの。駄目かな? あ、大丈夫。ミランダにはきちんと連絡しておくので」

「は、はあ……」

「うふふ。良い子、良い子。じゃ、先に私の部屋に行っててください。これ合鍵」

「あ、どうも」

「さあ、行って。ちょっと急ぎめで」

「あ、はい……」


 ルーチェが小走りでジュリアの住むマンションの方角へと向かって行った。そして誰もいなくなり――ジュリアが振り返り――冷たい声で一言。


「連行」

「何しやがる!! 離せってんだよ!! パパがこのこと知ったら、お前ら全員おしまい……」


 ジュリアが男の頭を鷲掴み――手を離す頃には、男の精神が溶けていた。


「さ、おしまいです。連行して。早く」

「はっ!」

「ジュリアさん、彼の対処はどうしますか?」

「あとは警察に任せましょう。調査は終わりました。……ここらへん、やばいものがないか一通り確認しておくように」

「はっ」

「全部終わったら解散で」

「御意」

「全く。とんだ残業です」


 既に精神が溶けた男を睨む。


「このクソ男」


 思いきり股間を蹴飛ばすと、男が凄まじい悲鳴をあげた。隊員たちが震え上がる。ジュリアがスマートフォンで上司に事件を解決したことを伝え、仕事の後片付けをしている頃――何も知らないルーチェはジュリアの部屋の冷蔵庫を開けていた。


(うわ、何もない。……仕方ない。セルバンテスで買ってきたものでなんか作るか……)


 本当はミランダの屋敷の冷蔵庫に入るものだった品達。


(あ、そうだ。ミランダ様に連絡しなきゃ)


 ルーチェが通話をかけると、すぐにミランダに繋がった。


「あ、ミランダ様、あの」

『お前大丈夫だったのかい?』

「え? あ、……えっと、何の話ですか?」

『……ジュリアから何か聞いてるかい?』

「あ、なんか……大切な話があるから、へ、部屋に泊まってくださいって……」

『……そうだね。今夜はそこに泊まりな。明日は土曜日だし』

「あ、はい」

『明日の夕食は頼むよ』

「あ、わかりました」

『それと……夜道は気をつけるんだよ。ルーチェ』

「え? あー、……はい」

『それじゃあお休み』

「はい。おやすみなさい」


 通話を切って首を傾げる。


(ミランダ様がジュリアさんを肯定するなんて珍しいな。そんなに大切な話なのかな?)


 ルーチェが立ち上がり、食材を持ってスープと簡単なパスタ料理を作る。


(……ジュリアさん、いつ戻ってくるかな?)


 あ、ドアが開かれた音。ナイスタイミング! リビングの扉が開かれ、ジュリアと目が合い、ルーチェが笑顔で出迎える。


「お帰りなさいませ。ジュリアさん」

「……」

「……どうかしました?」

「いえ、……お帰りを言ってくれる人がいるのは……いいなと思って……あ」


 頬が緩んだジュリアがキッチンを見た。


「……作ってくれたんですか?」

「……食べてました?」

「いいえ。食べる暇もなかったものですから。今日は忙しい日でしたから」

「あ、ぱ、パスタなんですけど、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ。すごく嬉しい。ありがとうございます」

(わっ)


 優しく抱きしめられる。


(……一応……恋人ですから……)

「うふふ。お仕事疲れました。今夜は残業だったんですよ」

「あ……そうなんですね。……お、……お疲れ様で……(わっ)」


 キスで唇を塞がれた。


(わっ……わ……)


 ジュリアからキスを受け取る。


(わ、えっと、んー、……ん……)


 唇の感触、頬に添えられた手の体温。吐息。彼女の匂い。様々な五感を感じ、ルーチェの心臓が激しめに動き始める。


(足……崩れそう……)


 と思っていれば、ジュリアがルーチェを壁に押し付けた。


(わっ)


 キス継続。しっかりと抱きしめられて、唇を堪能される。


(……く、苦しい……)


 と思っていれば唇が離れる。


「ふはっ……」


 しかし額や瞼にキスの雨が降り続けられる。


「じゅ、ジュリア、さん……」

プティ・シュキャベツちゃん。そんな目で見つめられたら、止まれませんよ?」

「や……あの……ご飯……」

「……10分だけ」


(わっ)


 手首を掴まれ、ソファーに投げられる。その上にジュリアが跨がり、マントと帽子を投げるように外した。


「冷めたものは全部、魔法で元通りにしますから」


 その目は欲にまみれている。


「今は君に触れさせて」

「で、でも、あの、お、お腹の音、なる、かも……」

「あーは。何それ。可愛い。いっぱい聞かせてくださいな」

(何が何でもするんだ……。この人こういうところ多いよな……)

「間抜けちゃん、こっち見て」

(最近慣れてきたけど……)

「間抜けちゃん」


 それでも、そのキスだけはとても優しいから。


(……愛されては……いるんだろうな……)


 痛いほどの視線を感じながら、紫の目を見ればやはり目があって、白い手がそっと――ルーチェの体に伸びた。



(*'ω'*)



 10分どころではなくなった深夜、時間を戻して作りたてに戻ったご飯を食べながら、笑顔のジュリアからなんてことないように事情を説明され、ルーチェの血の気が下がった。


「え? ……ってことは……」


 そこで全てを把握したルーチェの顔が青くなる中、そんな彼女を見てニコニコ笑うジュリア。あー、この子やっぱりどんな顔してても可愛いなー。でへへー。


「それ……あの……あたし……や……やばかった……感じですよね……?」

「あ、そうですね。私達がいなかったから強姦されて殺されてました」

「……」

「強姦事件って、実は魔法学生にも非常に多くて。相手が魔法使えないにしろ、驚いて魔法に集中出来なくなって発動できなかったりするんです。口を塞がれたらね、学生レベルなら呪文を唱えないと魔法出てこないでしょ? 君も」

「……あー……」

「そう。だから今夜はうちにいさせたほうがいいかなーって」

「……」

「あー……このパスタいいですねぇ……。トレビアンです……」

(……あたし……まじでやばかったんだ……)


 今になって体が尋常じゃないほど震えてきた。ガタガタガタガタガタ!


「あ……ありがとう……ございました……」

「夜道のイヤホンは気を付けてね。……まあ、君に危険が及べば、魔力の気配で察するので、私が助けてあげますけどね!」

「は、はは……(まじでやばかったんだろうな……。こわ……。イヤホン……来週はつけるのやめとこ……)」

「……心配しなくとも大丈夫ですよ」


 そっと手を重ねられ、顔を上げると、優しいジュリアの笑顔が向けられている。


「私、君のことは『いつでも』見てますから」

「……ジュリアさん……」


 ルーチェが薄く笑みを返す。


「……ありがとうございます……」


 その笑みを見れば、ジュリアの真っ黒かったものが全て浄化された気がした。あー。神ー。まじで癒やしの力ー。この笑顔のために生きてるー。言葉の通りにいつでも側にしよー。君の声と吐息が聞こえる魔法つけよー。これでいつでも一緒ー。でへへへへーーー!


「……でも……あの……さっきみたいなのは……ちょっと……」

「ん? さっき?」

「あの……すごく……見られたので……今日……」

「あー、さっきのエッチですか?」

「んぐっ。……あの……あまり……その……み、み、見られると……はず、恥ずかしい……ので……」

「でも、私の顔に二つの目がついてる時点で、恋人を見ないのは不可抗力です。目隠しすればいけますけど、君、そんな趣味があったの?」

「や、そういうわけじゃ……!」

「でしょ?」

「あ、いや、あの、だから、み、みて、見て来るのは……!」

「ここ、ソースついてますよ」

「あうっ!」

「オ・ララ、可愛い。舐めて拭きましょうか?」

「やっ!」

「あら、そう? 残念」

「ん……」

「パスタとスープ、とても美味しいです。ありがとうございます」

「……ん、……はい……」

「……」

「……。(また見てくる……)……おかわりいりますか?」

「おかわり? あ、そうですね。欲しいです」

「あ、持ってきます」

「ああ、違います。スープじゃなくて」


 愛しい手を握って、見つめる。


「君のおかわり」

「……」

「欲しいな?」

「……」

「大好きです。私のルーチェ」

「……。……えと……、……あの……、……お、……お風呂……温まった……みたいです……」

「まあ、報告ありがとう。……一緒に入ります?」

「やっ!」

「まあまあ、照れ屋さんですね。あんなにいけないこと沢山したのに……」

「んぐっ!」

「はあ。まじ癒し。そんな君も好き」


 掴んだ手にキスをしてくるジュリアを見て、引くどころが、ルーチェは逆に感心した。この人の返しすげー。小説の参考になる。紫の瞳がまた見てくる。しつこいくらいに見てくる。執着される。


「じゃ、お風呂に入ってから……」


 ルーチェを見つめたまま、ジュリアがにやりと口角を上げた。


「ゆっくりしましょうね」

「……ね、寝るだけ……ですよね……?」

「そうですよ? 一緒に寝るんですよ? 裸で」

「いえ、あのっ、だからっ!!」

「いひひひひひ!!」


 一回抱いただけじゃ足りない。満足できない。だって私は常日頃君を求めているから。愛しているから。ずっと見つめていたいんです。君は私のもの。私だけが見ていていいんです。だからね、ルーチェ。


(この後も、楽しもうね?)


 困ったルーチェの顔が視野に映ると、ジュリアの心臓がずくんと鳴った。






 その瞳は欲まみれ END


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