応援する、つもりだったのに……

九傷

応援する、つもりだったのに……



 私には一つ年下の幼馴染がいる。

 名前は朝比奈 紫苑あさひな しおん君。

 今年高校生になったばかりで、まだ幼さの残る顔立ちをした可愛い男の子だ。


 紫苑君にはどうやら、最近になって好きな子ができたらしい。

 本人は否定しているが、長年一緒にいた私にはわかってしまうのだ。


 だから私は、幼馴染として彼の応援をしているのだけど……



「いいってば亜紀姉。俺、別に肌とか荒れてないし……」


「荒れてないのとキレイなのは一緒じゃないの! 肌がキレイだと女の子にモテるんだからね?」


「だから、別にモテなくていいって!」



 確かに、意中の子以外にモテる必要はないだろう。

 しかし、異性を落とすには、やはり自分を磨くのが一番だ。



「私はなにも、たくさんの女の子にモテろって言ってるんじゃないの。好きな女の子を落とすために、男を磨くべきだって言ってるのよ」


「だから、好きな女子なんて……」



 紫苑君はそこで言い淀んでしまう。

 こんな態度だけど、やはり好きな子がいるのだろう。



「とにかく! これを使って肌を清潔に保ちなさい!」



 私は、先日通販で購入した美肌芸能人御用達の化粧水を紫苑君に押し付ける。

 折角買ったのだから、むしろ受け取ってもらわない方が困るのだ。



「……女子って、そんなに男の肌とか気にするもんなの?」


「うーん、みんながみんなってワケじゃないけど、やっぱり清潔な方がいいなとは思うよ?」


「じゃあ、亜紀姉も気にはなるんだ?」


「多少はね」



 その人のことを好きになってしまえば、多少の肌荒れくらいなら気にはしないと思うけど。

 ……でも、紫苑君がニキビだらけの顔になるのはちょっと嫌だな。



「……わかった。一応使ってみるよ」


「うん! 結果報告、期待してるね!」



 動画サイトの宣伝は恐らく過剰だと思うけど、本当に凄い効果がありそうな紹介なので、ついつい信じたくなってしまう。

 仮に詐欺だったとしても、高校生の私でも手が出るくらいの安さだったので懐はあまり痛くなかった。



「それじゃ、また明日!」


「うん。じゃあね、亜紀姉」



 私は紫苑君と別れ、お向かいにある我が家の門をくぐる。

 玄関を駆け上がった私は、そのままの勢いで洗面所へとダッシュする。

 そして鏡を確認して……



(よし、大丈夫。問題無い)



 最早日課となりつつある自分の顔のチェックを行った。

 最近は慣れつつあるけど、やはり心配なものは心配だ。

 万が一にも紫苑君に変に思われるワケにはいかないので、表情のチェックだけは忘れてはいけない――





 紫苑君との付き合いは、もう10年以上にもなる。

 家がお向かい同士だった私達は、幼稚園も小学校も、中学校も一緒だった。

 流石に高校まで一緒になることはないだろうと思っていたけど、紫苑君が私と同じ高校を受けたため、結局また一緒になってしまった。

 もしかして自分を追ってきて? などと自惚れたりはしない。

 私の容姿はお世辞にも良いとは言えないし、胸だってあまり大きくはないから、紫苑君の興味からは外れている。

 ……紫苑君は、巨乳の美人さんが好きなのだ。


 紫苑君が私と同じ高校を選んだのは、単純に家から近いからである。

 それを聞いた瞬間、私はすぐに納得をしてしまった。何故ならば、私が学校を選んだ理由も同じだったからだ。


 そんなこんなで、私達二人は学校の変わり目である卒業後以外は同じ場所に通っており、登下校もずっと一緒だったりする。

 私も紫苑君も部活には入っていないので、特別な理由でもない限りは本当に毎日一緒だ。

 私の方が少し背が高いこともあり、ご近所の人達には昔から、仲の良い姉弟きょうだいのようだと言われ続けている。

 私も紫苑君も一人っ子のため、面識のない人には本当の姉弟と間違われることも少なくなかった。


 しかし、そんな関係もそろそろ終わりにするべきだろう、と私は思っている。

 本人は気にしないと言っていたけど、このままずっと二人でい続けたら、お互い他の異性が寄り付きにくくなるだろう。

 特に紫苑君の場合かなりの美形なので、既に私のことを鬱陶しいと思っている子もいるかもしれない。

 お互いの為にも、この関係は早いうちに解消すべきなのだ。


 だからこそ、紫苑君に気になる人ができた今こそが、姉離れ弟離れのチャンスとなる。

 この機に紫苑君とその子が付き合い始めれば、私との関係も自然と薄れていくことになるだろう。

 ……うん。これこそが、最もあと腐れなく距離を取る最善の一手だ。


 私はなにも、紫苑君と疎遠になりたいワケではない。

 今後も、彼とは仲の良い関係を続けたいと思っている。

 でもそれは、今の仲良し姉弟という距離感ではない。

 もっと一般的な、友達の距離感じゃないとダメだ。

 だから私は、紫苑君の男としての魅力を磨いて、彼の想いが一刻も早く成就するよう働きかけているのである。



(よし、明日も頑張ろう!)











 ――翌日の放課後



 私と紫苑君は、一緒に下校する為にいつも図書室で待ち合わせをしている。

 学年の関係で私の方が遅くなることも多いのだが、紫苑君は全く気にした様子もなく待ってくれている。

 前に一度、「先に帰ってもいいよ」と言ったのだけど、待つのは好きだから問題ないと断られてしまった。

 私はその時、悪いなとも思いつつ、少し嬉しかったのを覚えている。



「お待たせしお……」



 いつも通り、本棚を曲った奥の方にいる紫苑君に声をかけようとして、先客がいることに気づく。

 その先客は、紫苑君と楽しそうに談笑しているところであった。

 私はそれを見て、少し胸がチクりとするのを感じた。



(……ああ、これは本当に、いよいよマズいかもしれない)



「あ、亜紀姉!」



 私が来たことに気づいた紫苑君が声をかけてくる。

 私は平静を装いつつ、それに笑顔で応えた。



「お待たせ紫苑君。でも、もう少し遅れた方が良かったかな?」


「……っ!? 何言ってるんだよ亜紀姉! 桐谷さんはそんなんじゃないからな!?」


「そ、そうです! 私は、朝比奈君にオススメの本を聞いていただけで……」



 ふーん、桐谷さんっていうのか……

 桐谷さんと呼ばれた子は、控えめそうな雰囲気だけど顔立ちは整っており、美人のカテゴリには十分入れるキレイな子だった。

 髪の毛はサラサラのロングだし、胸も大きい……

 恐らくこの子が、紫苑君の気になっている子なのだろう。



「そ、それじゃあ朝比奈君、私はこれで……。先輩も、失礼します」



 桐谷さんは丁寧にお辞儀をして去っていく。

 今時珍しい、おしとやかな雰囲気の少女である。



「……今のが、紫苑君の気になっている子?」


「だから違うって!」



 機嫌を損ねたのか、それとも恥ずかしがっているのか、紫苑君は鞄を持ってさっさと歩きだしてしまう。

 私はそれを追って隣に並ぶが、紫苑君は暫くそっぽを向いて口を利いてくれなかった。



「…………」


「…………」



 気まずい沈黙が流れる。

 普段会話が途切れることがないだけに、この沈黙はとても心臓に悪い。



「あの……、怒ってる?」


「……別に」



 そう返しつつも、紫苑君はやはり不機嫌そうだ。

 そんな表情を見ていると、心がズキズキと痛い。



(こんな表情をされるだけでコレって、私もう、かなり重症かも……)



 こうならないように、早く紫苑君の恋を成就させようと思っていたのに、これでは手遅れではないか。

 もう、どうしたらいいのだろう……



「……亜季姉、俺好きな女子なんていないって言ったけど、本当はいるんだ」


「え!? う、うん、知ってるけど……」


「亜紀姉は、俺がその子と付き合い始めたら、どう思う?」


「そ、それは勿論、祝福するけど……」



 言葉とは裏腹に、胸はチクチクとした痛みを発している。

 桐谷さんと二人で仲良く歩いている紫苑君を見たら、今の私なら泣き出してしまうかもしれない。



(ダメだダメだ! こうならないように、覚悟を決めて紫苑君を応援するって決めたんじゃないか!)



 私は紫苑君に悟られないよう、後ろで腕を組んで手の甲をつねる。



「さっきの、桐谷さんだっけ? 凄く可愛いと思うし、紫苑君とお似合いだと思うよ?」


「っだから!…………いや、亜紀姉は、俺と桐谷さんが付き合っても、何も思わないの?」


「だ、だから、祝福するって……」


「そうじゃなくて! 俺が誰かと付き合って、亜紀姉は平気なのかって言ってるんだよ!」



 振り返って言い放たれた言葉に、私は硬直してしまう。

 今のは、どういう意味で、言ったのだろうか?



「えっと……、なんで私が平気かなんて、聞くの? 私は別に……」


「亜紀姉は! 俺が他の女子と仲良くしてても、何とも思わないのかよ!」


「…………」



 何も思わないワケがない。

 今だって、想像するだけで胸がチクチクと痛みを発している。

 でも、そんなこと、口にできるワケがない。

 だって私は、ただの幼馴染で、紫苑君にとっては姉のような存在で……

 だから、私は姉として、紫苑君の恋を応援してあげなくてはならないのだ。



「さ、さっきも言ったけど、私は紫苑君の恋が成就するのを、願っているよ……?」



 私は骨に食い込む程強く手の甲をつねり、無理やり笑顔を作る。



「……それは、俺の恋を、応援してくれるってことだよね?」


「うん……。勿論だよ」



 私がそう返すと、紫苑君は素早く私の背後に回り込み、腕を掴んでくる。



「ちょっ、紫苑君!?」


「もう、こんなことしなくてもいいよ」


「っ!」



 紫苑君はそう言って、手の甲をつねる私の手を優しく引き離す。

 どうやら、紫苑君には私が何をしているかバレていたらしい。

 どうしよう、次はどうすれば……



「亜紀姉、俺が好きなのはさ、ずっと昔から、亜紀姉だけだよ」


「っ!?」



 そう言って紫苑君は、私の手を慈しむように手で包み込んでくる。

 その温もりと言葉に反応して、私の心臓がドキドキと高鳴り始めた。



「同じ高校を選んだのだって、本当は亜紀姉と一緒の学校に通いたかったからなんだ」


「……嘘」


「嘘じゃないよ」



 私自身、口では嘘と言いつつも、なんとなく腑に落ちたような気がしていた。

 紫苑君は頭が良い。いくら近いからと言って、私と同じ平凡な高校を受験したことに、少し違和感を覚えていたのだ。



「俺が同じ高校に入って、亜紀姉、凄い喜んでくれただろ? だから、きっと亜紀姉も同じ気持ちでいてくれていると思ってたんだけど、俺の勘違いだったのかな」


「…………」



 心臓がドキドキして、声が出ない。

 でも、私は自然と、紫苑君の手を握り返していた。


 だって、紫苑君の言う通り、私も同じ気持ちだったから……



「勘違いでもいいんだ。でも、俺の気持ちはわかって欲しい。いつまでもこんなことを続けられると、正直辛いんだよ。……ねえ亜紀姉、もう一度聞くけど、俺の恋、応援してくれるんだよね?」


「…………………うん」



 たっぷりの沈黙を挟んで、私はなんとか、それだけを返すことしかできなかった。



「ありがとう」



 紫苑君はそう言って、私の背中に頭を預けてくる。

 恥ずかしくて顔から火が出そうだったけど、手を後ろで拘束された私は逃げることもできず、ただそれを受け入れることしかできなかった。



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