第4話


 「有樹がアテンドしてくれると思ったんだが。」

 

 なんで同期をアテンドせにゃならんのだ。

 だいたい、なんでこんな僻地に来るんだよ、史郎。

 

 「有樹にしちゃ、大人しくしてるじゃないか。

  30超えて、ツメ隠しでも覚えたか?」

 

 こんな場末の研究所でどうやって暴れられるっつうんだよ。

 

 山尾史郎。

 同じ課長でも、本社総務本部の担当課長様。

 四葉の社史に載るような異様な早さの大出世株。

 兵隊さんのランクで言えば三つくらい違う。同期なのに。

 

 嫌みなくらいスーツが板についている。

 美容院に置かれた雑誌モデルが鼻白むような垢抜け方。

 大手町ならちょっと目立つくらいで済むが、萱平だと目立ちまくる。


 で。

 

 「こんな場末に送り込んでおいて、今更何の用だよ。」

 

 分かってるけど、言いたくもなる。言うだけだが。

 

 「そうか? 愉しんでるようだが。

  血色も大分良くなってるぞ。」

 

 20代の頃なら、滅茶苦茶腹を立てただろう台詞。

 どういうわけか、ストンと受け入れられてしまう。

 

 「……所長、舞い上がらせちまって。

  相変わらず悪い奴だな。」

 

 本社の総務本部長代理が、こんな場末まで来てる。

 大きな予算が動く案件だと錯覚させている。

 コイツが出張費を使って俺に逢うためだけのことなのに。

 

 でもって、コイツの御神輿には、何の権限もない。

 ラインから外れたから本部長代理なんだから。


 「恩は売っておくものだよ。

  本部長、向こう東京で楽に案件を進められるだろ。」

  

 一石三鳥かよ。いつも通りだな。

 本当、嫌みにアルマーニを着せて歩いてる奴だ。脚が細すぎんだよ。

 

 「田舎にしては、結構、いい店だな。」

 

 萱平ではなく、うちの研究所に関係がない丘屋の街。

 社費でハイヤー廻せるから行ける場所だ。

 

 「だろ。」

 

 柚葉と引きこもってる俺が知ってる訳がない。柏木さんの紹介だ。

 個室があって、上品な和モダン、余所者を接待できる程度の料理。

 店のほうが弁えてくれているので物凄く有り難い。

 

 「要件を先に言っておく。

  有樹、お前を東京へ戻す。」

 

 確定事項のように告げる同期を持ったのは、幸せなのか不幸なのか。

 っていうか、仙台じゃないのか。そもそも、俺を引っ張るのは無理だろうよ。

 いや、コイツは話の文脈を折られるのを極端に嫌う。それなら。

 

 「大手町か。」

 

 「違う。青山だ。」

 

 なるほど、営業本部古巣か。

 

 キュッと一杯呑む姿がどの角度からも様になって

 嫌みったらしいことこの上ない。

 

 「入江氏がやらかしただろ。」

 

 入江隆行。統括営業本部長代理。

 前の上司で、俺の前妻を奪った男。

 

 「有樹、お前、よくあんな男を支え続けたな。」

 

 「腐っても上司だったからな。

  上司を支えるのは部下の勤めと叩き込まれたもんでな。」

 

 二年で移勤してくれるもんだと思っていたが、

 まさか四年半も仕えなきゃいけなかったとは。

 

 「奥さん、寝取られてもか。」

 

 よう言えるな、本人目の前に。

 ……思ったよりは、心が痛まない。

 ぽっかり穴が空いていたような時期があったのに。

 

 「……有樹。

  お前、聡子さん、

  入江氏のことが本当に好きだったとでも思ってるか?」


 ……は?

 

 「違うのか。」

 

 聡子は、入江に、出世頭の甘口ダンディ中年に誘惑されて、

 俺を捨てたものとばかり思っていた。

 甲斐性のない、家庭を顧みない俺への罰だと。

 

 「そんな訳ないだろ。有樹は相変わらず鈍いな。」


 辛めの日本酒をキュっと呷ると、史郎のシャープな頬が軽く火照る。

 異性関係ではお前のほうがよっぽどな鈍感だと思うが。

 

 「お前、遠山家と、本店の関係、分かってるか。」

 

 ……ん?

 遠山家。前妻、聡子の実家だ。

 

 「本店の下の土地、遠山家のものなんだよ。」

 

 は? あの38階に建て増しちゃったビルの?

 え、登記上そうなってんの?

 

 「遠山家は、元々神職なんだよ。

  分かるだろ、お稲荷さん。」

 

 あ、あぁ。

 あの屋上のお稲荷さん、そういう意味だったのか。

 ただの気休めの厄払いの類いじゃなかったのか。

 

 「本店は、遠山家の旋毛、

  曲げるわけにゃいかないんだよ。」

 

 「……俺じゃ、役不足だったってことか。」

 

 「少なくとも22歳の頃のお前じゃな。

  初めて聞いたって顔、してるぞ?」

 

 初めて聞いた。

 結婚式に聡子の両親が来て貰えなかったことくらいは、

 どうってことはなかったが。

 

 え。

 

 「じゃあ、入江の奴は、遠山の親を?」

 

 「入江っていうか、本社の役員だな、当時の。」

 

 閨閥派と永田町派の蜜月関係があった頃か。

 そんなうえつかたの話が、俺たちの結婚生活に影響してたとはな。

 

 あ。

 そういうことか。

 お稲荷さんなら、右バネ人脈だもんな。

 

 「だから、永田町か。」

 

 「やっと気づいたか。

  まぁ、あとは聡子さんに聞けよ。こっちから言う話でもない。」

 

 酒のアテを旨そうに食うなよ、童顔の癖におっさん臭いな。

 ……もうおっさんなのか、史郎も。

 

 「……聡子が話すわけないだろ。

  今や入江本部長代理の奥方様だろう。」

 

 「こっちで別れさせた。」


 ……は?

 

 「言ったろう。入江氏がやらかしたって。

  入江氏、聡子さんをゴルフクラブで殴っちまったんだよ。

  聡子さん、赤坂警察署に駆け込んじまって、

  ちょっとしたニュースになったんだよ。」


 な、なんでそんなことに……。

 っていうか、ゴルフクラブって、立派な傷害案件じゃねぇか。

 

 「お前、一般ニュース、全然見てないだろ。」


 見てない。

 東京にいる時でも、会社に関すること以外は、全く見てない。

 汚染されていたから、誘導しか感じなかったから。

 

 ……今なら、もう少し違う見方もできてしまう。

 誘導をしているのは誰で、どこへ向かわせようとしているのか、

 それはなぜかを考えるのは、良い頭の体操にはなる。

 それだけ性格は悪くなるが。

 

 今、ニュースを見てないのは、単純に、柚葉の相手をしているから。

 相手をしている、というよりは、遊んでいるから。

 ノーミス25歳表示を狙って18時から21時まで体幹ゲームにうつつを抜かし、

 22時よい子の時間には寝ちまってるなんて、このオトコに言えるわけがない。


 「今の聡子さんなら、お前と普通に話せる。」

 

 話せる、か。

 前妻と何を話せっつうんだ。

 

 「有樹。

  お前、聡子さんが裏切ったと思ってるか?」


 ……裏切った、か。

 まだ、抉られるものがある。治りかけの瘡蓋を錐で突き刺されるような。

 

 「……分からん。

  ただ、俺といても面白くなかったことは確かだろ。」

  

 でなきゃ、突然離婚して、入江の元になんか行くわけない。

 日々逢い続ける上司の元になんて。

 

 「まぁいい。

  お前と聡子さんの問題だからな。こっちもこれ以上は言わない。」

 

 相変わらず上から目線だ。

 偉そうにしやがって。実際、偉いんだけど。

 ……同期なのに、なぁ。

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