第27話 衣替えと梅雨

 今日から六月に入り、俺の仕事もいよいよ仕上げの工程に入った。ここまで本当に大変だった。納期まで二ヶ月しかない新築の工事を俺は一ヶ月半で形にしてしまった。二年のブランクがある中でここまでのハイペースで仕事を進めた俺に雅弘さんもさすがに驚いていた。

 正直、自分でもここまで出来るとは思っていなかったのが本音だ。

 「次の仕事はもう少しのんびりしながらやりたいな」と思いながら仕事へ向かうために玄関を出ると、そこには日菜乃が立っていた。


「おはよ、日菜乃。今日の弁当か?ありがとな」


 日菜乃は弁当を差し出した。俺はその弁当を受け取ろうとしたが日菜乃は弁当を胸元に手繰り寄せた。


「……日菜乃、弁当は?」


 日菜乃は両手を腰に当てて少し怒った口調で言った。


「……今日の私の姿を見て何も思わないの?」


 今日の姿?いつもと変わらない気がするが、一体どこが変わったんだ?日菜乃が綺麗で可愛いのは変わらない。特別、化粧してるわけでもないし。

 そして俺は今日から何月になったのか思い出した。


「衣替えだ!」


「せいかいでーす、でも時すでに遅しでーす」


 棒読みで話したあと、日菜乃は俺の弁当を持ったまま自分の部屋に戻ろうとした。

 

――――これは間違いなく怒ってる。


「待って待って!ごめんって!」


 俺の弁当……俺の愛妻弁当が……。いやまだ日菜乃は俺の嫁じゃねぇわ。

 俺は弁当奪還のために急いで日菜乃を捕まえた。


「じゃあ十秒あげる」


「え?」


 そう言うと日菜乃は「十、九……」と数え始めた。


「似合ってる!似合ってるよ!」


「それだけ?八、七……」


 カウントダウンは止まらない。


「凄く可愛い!冬服とは違ってちょっとラフな感じが良い!白いセーラー服はやっぱり最高!今すぐにでも日菜乃のこと抱きしめたい!」


 日菜乃の学校はセーラー服。冬服は紺を主体として襟は白でそこに赤のラインが二本入っている。リボンも赤だ。まるでお嬢様が着るような上品な制服だ。

 逆に夏服は白を主体として襟は薄いピンクに濃いピンクのラインが一本入っている。リボンは桜色だ。こっちはお姫様が着るような可愛い制服だ。

 ここまで冬と夏とでギャップのある制服も珍しい。


 ちなみに俺はブレザーではなくセーラー服派だ。


「なら早く抱きしめてよ?ほら早くしてよ」


 確かに抱きしめたいとは言ったが今要求してくるのか。しかも言葉に少し棘を感じるのは気のせいか?


「そ、それはちょっと·····」


「じゃあ今日は弁当抜きね」


 俺はすぐに抱きしめた。弁当のためとはいえ、俺は朝から一体何をやらされてんだろう。これでは飼い主に従うただのペットじゃないか。自分が馬鹿に思えてきた。


「ご褒美の弁当ね。ほんとなら渡さないつもりだったんだけどしょうがないよね」


「いつもありがとうございます。いつも美味しく頂いてます。これからも楽しみにしてます」


 俺はこれ以上日菜乃の機嫌を損ねないためにも、かなりへりくだった態度で答えた。


「じゃあ私学校行くからね、悠くんも気を付けてね」


「あ、ああ。日菜乃も気を付けてな!いってらっしゃい!」


――――今日は帰りに甘い物でも買って帰るか。


 仕事終わりに俺は大量のケーキとアイスを買って帰宅したのだが、日菜乃はそれを見るや否や飛び跳ねて喜んだ。朝の怒りはもうすっかり無くなったみたいだ。


「悠くんありがとね!ご飯食べたら一緒に食べよ♡」


「そうだな。てか、俺も食べていいのか?」


「もちろん!だって悠くんが買ってきてくれたんだもん〜」


 いつもの日菜乃に戻ってくれて俺は一安心した。


「ん〜!このモンブラン甘くて美味しいね!こっちのチーズケーキもほどよい風味で最高!」


 やはり俺は笑顔で沢山のご飯を食べる日菜乃の姿が大好きだ。この笑顔はオタク用語で例えるとあれだ、「尊い」ってやつだな。

 俺は幸せそうに食べる日菜乃の姿を向かいの椅子に座って眺めていた。


        *


 別の日の朝。


「今日、あんまり天気良くないね」


「午後からは雨降るかもしれないな」


 俺と日菜乃は朝ご飯を食べながらニュースの天気予報を見ていた。関東もそろそろ梅雨入りの時期だ。


「悠くん、一応は傘持っていきなよ?」


「大丈夫だよ、会社に置き傘あるから」


「ほんとに?それならいいんだけど」


「それに降ったとしても夕方頃みたいだし降る前に帰って来れるんじゃないかな〜」


「それもそうだね〜」


 俺と日菜乃は支度をして玄関を出た。


「これ、ほんとに雨降るの?」


「確かに、そうだな」


 外に出ると空は雲ひとつない快晴だった。本当にこれで雨が降るのか信じ難い話だった。

 だが仕事を始めて2時間後、徐々に雲行きが怪しくなり晴天だった空は一気に曇天になった。


「これはゲリラ来るぞ」


「自分達は中で仕事してるから良いですけど、外だったら地獄を見ることになるかもしれないですね。」


そんな話を雅弘さんとしていた矢先、「ザァーッ!」という激しい音とともに雨が降り始めた。ゲームのダンジョンのゲリラ襲来なら大喜びだが、こんな大雨は誰も喜ばないだろう。


――――外仕事の人、ご愁傷さまです。


 仕事を終えて俺は会社の玄関に置いていた傘を探した。

 だが、その傘が見つからない。


「おっかしいな、確かにここに入れといたはずなんだけど·····」


 俺は受付の葉月に聞きに行った。


「なぁ?葉月、あそこに置いてあった俺の傘知らん?」


「私は多分分からないですね。ちなみにどんな傘でした?」


「普通にコンビニで売ってるようなビニール傘」


「それだったら名前でも書いてない限り、誰か勝手に持って行ってしまうんじゃないですか?」


「確かにそうだな、無いって事はそういう事か」


「それが一番かと。あっ、私の傘貸しましょうか?」


「それだとお前が濡れるだろ。しゃーねぇから駅まで走ってくよ。ありがとな」


「いえいえ!風邪だけ引かないようにお気を付けて下さいね、お疲れ様でした!」


「葉月もびしょ濡れにならないようにして帰れよ〜、ご苦労さんな!」


 俺は葉月に挨拶を済ませ、玄関を出て駅まで全速力で走った。


 電車内で俺に視線が集まっていた。それはそうだ。全身ずぶ濡れ状態で俺は立っているのだから。「水も滴るいい男」とはよく言ったものだが、俺はそこら辺にいるカエルと同類レベルだろう。ゲロゲロ鳴いてるのがお似合いだ。


 最寄り駅の改札を出て、俺が深い溜め息を付くと「ピロンッ」とスマホが鳴った。


『悠くん、雨大丈夫?傘ちゃんとあった?』


 日菜乃からのLINEだった。


『大丈夫。あった』


『嘘だ、ずぶ濡れじゃん』


『ずぶ濡れじゃない、ちょっと濡れた』


『それをちょっとで済ませる君はあほですね?』


『ちょっと待て、お前、どこにいる?』


『目の前』


「……目の前って、……おい!」


 俺がスマホから顔を上げると目の前に日菜乃がいた。


「お仕事お疲れ様~ずぶ濡れだね〜傘あるよ?」


「なんで持ってないと思った?」


「ズバリ勘でしょ」


「やっぱりお前って超能力者だろ」


「だからさ!最初にも言った!普通の女子高校生!」


 普通の女子高校生は彼氏が「傘持ってる」って言ったら信じてくれるものなんじゃないんですかと俺は疑問に思ったが口には出さなかった。


「てか風邪引いちゃうから早く帰るよ!早く入って!」


「『入って』ってどういう事?傘持ってきたんじゃないのか?」


「持ってきたよ、一本」


「普通はそこは二本だろ……常識的に考えてさ……」


「相合傘はカップルの常識でしょ?」


「俺はそっちの常識に触れた覚えは一度も無い」


「でも一本しかないから。相合傘しかないよ?」


 新しく傘買うのも勿体ないし、俺は諦めて相合傘で帰ることにした。


「ちょっと悠くん!肩濡れてるじゃん!もっと中入りなよ!」


「お前が濡れるだろ。俺はもう全身ずぶ濡れなんだから関係ないの、いいから入ってろ」


「やだ!」


 日菜乃は俺の腕を引っ張り、身体を密着させてきた。


「こうやって歩けば濡れないね♡」


「·····ああ、そうだな」


「明日も雨らしいから明日も相合傘ね〜」


「明日はちゃんと二本持ってこいよ。てか明日は自分で持ってくから別にいいわ!」


 一つの傘の下、俺達はいつも通りの会話しながら家に向かって歩いて行くのであった。

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