第26話 柊日菜乃は勉強ができない

 五月も間もなく終わりを告げる頃、俺はハードな仕事の疲れを取るために家でのんびりとくつろいでいた。しかし、俺の休日を邪魔する「奴」、それは忽然と姿を現した。


「悠くん!助けて!ヘルプミー!」


 日菜乃が玄関から俺の座るソファへマッハで飛んできた。俺の休日はこうしていつも幕を閉じるのである。

 「休日」ってなんだろう、休む日だよな。こんな体力ばかでかまちょな彼女の相手をする日じゃないよな。


「俺は寝るから助けられません」


 当然、俺は断った。隣人になってから毎日ご飯作ってくれるのは本当に有難いと思っているが、さすがの俺も疲れているので一人になりたい気持ちが最近はある。


「可愛い彼女のために一肌脱いでよ〜」


「俺はいつだってお前のために尽くしてる。てか、自分で可愛いとか言うなよ、どんだけ自分に自信あんだよ。……可愛いけど」


「そう言われると照れちゃうな。悠くんいつもありがとね。……可愛いんじゃん」


「だろ?じゃあ今日は自分の部屋に戻ってくれ」


「いやだめ!今日はそういう訳にはいかない!」


 そう言うと日菜乃はテーブルに教科書やら参考書を大量に置いた。俺がこれから何に付き合わされるのか、一目瞭然だった。間違いなく「テスト勉強」だ。


「悠くんお願い!勉強教えて!」


「勉強くらい自分でしろ、俺は勉強教えるために彼氏になったんじゃない」


「そこをなんとか!」


 日菜乃は涙目になりながら土下座をして懇願してきた。


「一時間だけだぞ……」


「ありがとう!」


 やっぱり俺は日菜乃に対しては甘々だ。


        *


「 じゃあ、まず歴史から始めるぞ」


――1549年に鹿児島に到着し、キリスト教の布教を行った人物は?


「ハゲオヤジ!」


 日菜乃は自信ありげに答えた。


「答えは『フランシスコ=ザビエル』な」


 確かにあの写真見たらそう思うかもしれないが、少しは言葉を選べよ。


「次は英語な」


――( ) your mother drive a car?「あなたのお母さんは車を運転しますか」の( )に入るのは?


「英語無理!分かんない!日本人だもん!」


「答えは『Does』な。これは一般動詞の英文だから」


「一般動詞?一般人なの?もう!分かんないよ!」


 日菜乃の頭は既にパンク寸前だった。

 be動詞と一般動詞の違いくらい最初に習うと思うのだが。


 勉強を始めてから二十分で俺はとんでもない事に気づいてしまったかもしれない。



――――柊日菜乃は全く勉強が出来ない。



 その後も国語、数学、化学と五教科全て問題を出してみたが、ことごとく外した。


「……日菜乃、お前どうやって高校入ったんだ?」


 俺は急いで日菜乃の学校の偏差値を調べてみたのだが、日菜乃の学力でこの学校に入るのは困難だ。


「普通に入ったけど?」


「お前のその脳みそで?」


「それ、ほとんど悪口じゃん!」


 俺は思っていた事がそのまま口に出てしまった。

 こんなお馬鹿な子が普通に入れる学校では決して無い。絶対に闇があるはずだ。


「あ、でもうちの高校は料理出来る学校だって言ったじゃん?入学する時のテストの点数ってあんまり関係ないんだって〜。その分調理実習のテストあるんだけど、七十点以上合格のところで私は百点だったから」


 全ての闇が晴れた瞬間だった。それにしても普通のテストの点数が関係無いっていうのも凄いな。だったら初めからやらなければ良いのに俺は思った。


「それでお前が料理出来るのは知り尽くしているから特にそこは突っ込まないが、それなら入学してからの普通のテストだって関係じゃないのか?」


「それがそうもいかなくて……。一応は入学してからは赤点はだめなんだって」


「じゃあ一年生の時はどうやって赤点防いでいたんだ?何回も言うがお前の脳みそじゃ無理だろ?」


「んーとね、女の先生には土下座して頼み込んで、男の先生には色仕掛けで対応してた♡」


「先生相手にお前は何してんだ!」


 俺は日菜乃の頭にチョップをした。


「い、痛い!だってしょうがないじゃん!」


「しょうがなくないだろ!十五歳の少女がやっていい事じゃない!お前それで、もし先生にそれ以上の関係を迫らせたらどうするつもりだったんだ!」


「確かに。そ、それは……そうだけど」


「二度とそんな事するな、次したらチョップだけじゃ済まないからな」


「……はい」


 日菜乃は俯き、暗い表情を浮かべた。


「しょうがねぇ、今度からは俺が勉強教えてやる」


 俺は呆れた声で日菜乃に言った。また同じ事をされたのでは俺が困る。それなら教えてやった方が日菜乃のためにも絶対に良い。


「……ほんとに?」


「ああ、ほんとだ。それにお前の身体を好き勝手していいのは俺だけだ。他の男には触らせん」


「それって、ただの悠くんの自己満足というか、あれだよね。私の事を独占したいって事だよね?」


「そうだけど?日菜乃は俺のだから。当然だ」


「悠くん、なんか変わったよね」


「どこが?」


「出会った頃よりも私の事を大切にしてくれるというか、明らかに私への好きな気持ちが大きくなっていってるような気がする」


「それは間違いではないな、俺もそれは分かっている。日菜乃と一緒に過ごしていくにうちにお前に対する俺の感情は大きく変わった。俺はお前がいないと生きていけないし、お前とずっと一緒にいたいと思っている。大好きだしな。」


「……よくもまあ、そんなセリフを恥ずかしげもなく言えるね」


「事実だしな」


 日菜乃が少し顔を赤らめてもじもじしていた。攻めに弱い日菜乃にとっては俺の言ったセリフはどうやら効果抜群だったみたいだ。


「それじゃあ、テスト勉強再開するか。とりあえずテストはいつだ?」


「水曜日です」


 水曜日か何とかなりそうだと思い、俺は試験範囲も見せて貰ったのだが。


「……これ、範囲広すぎないか?」


「悠くんもそう思う?」


「お前の脳みそじゃこれはちょっと厳しいぞ、これ……」


 俺はとりあえず五教科の教科書と問題集を広げ、範囲と同じところに付箋を貼り始めた。そこから日菜乃でも解けそうな問題、そして出題されそうな問題をピックアップして日菜乃に渡した。


「とりあえず、これを勉強しろ。そうすれば赤点はなんとか免れるはずだ。分からないところは俺に聞け。暗記は口に出すか、ひたすら書いて覚えろ」


「分かりました!頑張ります!」


 こうして俺達の三日間に及ぶテスト勉強が行われたのであった。


        *


 無事にテストが終わって一週間が経過した……。


「悠くん!見て~!」


 帰ってきた俺のところに答案用紙を両手に持った日菜乃が出てきた。


「これ見て!やったよ!」


「……ああ、おめでとう」


 全教科、赤点すれすれの点数だったがどうにか回避になった。ちゃんと勉強させて良かった。俺は一番の悩みから一気に解放されて、肩の力が抜けた。


「先生達もめっちゃびっくりしてた!本当にありがとう!」


ニコニコの笑顔で俺を見つめる日菜乃の頭を撫でて、俺はリビングのソファに倒れ込んだ。


――――これ卒業するまで俺付き合わされるのか。


 俺の彼女は家事万能だが、どうやら勉強はできないらしい。

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