第8話 築いてきたもの

 時刻は夕方の六時、俺は前の職場である建設業の会社に着いた。

 もう二度と来ないだろうと思っていた。ここには兄弟子との二年間の思い出が沢山あるが、それもあの事件で全てを失った。

 俺は一先ず、要件を伝えるために一階の受付に向かった。


「あれ?悠人さんじゃないですか!二年ぶりですね!今日はどういったご要件でこちらまでいらっしゃったんですか?」


 受付をやっていたのは前と変わらず、俺の一個下の後輩の女の子の葉月(はづき)だった。人付き合いの苦手な俺に対して比較的軽く接してくれて会社の中では一番話しやすい存在だった。

 容姿も二年前とは変わっていた。前は黒髪ロングで幼さが残る顔立ちだった。今はアッシュブラウンのショートカットの髪に化粧も上手になったからだろうか、凄く大人の女性になっていた。


「いや、ちょっと社長に話があってね。今社長いる?」


「そうなんですね、分かりました。ちょっと確認取るので待っててください」


 そう言って彼女は受話器を取り、社長室に電話を入れた。


「あ、もしもし、社長ですか?実は今、以前働いていた月城悠人さんが受付までいらしていて。社長にお話ししたい事があるとのことでして……」


 だいぶ長く話してるな。しかし電話も俺に対する対応も本当に上達したな。

 人は成長するもんだな。そんな事を考えて余裕ぶっているが、もしかしたら話をする前から断られるんじゃないのかと少し不安になった。


「……分かりました。ではそのように伝えておきます。失礼します」


「それで社長はなんだって?」


「とりあえず、悠人さんの話は聞いてくれるみたいです。では二階の社長室までどうぞ」


 俺は彼女の先導で社長室に向かった。

 向かっている最中、話は二年前の事件の話になった。


「でも悠人さん、二年前は本当に大変でしたね。兄弟子さんの道具を守るためにあそこまでやるとは思いませんでしたよ。相手は怪我させちゃいましたけど、自分の命と兄弟子さんの道具の両方を守った悠人さんは本当に凄いと思います。」


「でも俺は会社をクビになった、それに変わりはない。殴らなきゃ良かったと後悔しているよ」


「それでも社内では悠人さんを支持する声の方が多かったんですよ、私もその一人です。どうして誰にも言わずにこっそりいなくなっちゃったんですか!皆、兄弟子さんに言われて知ったんですよ!」


「……そんなの言えるわけないだろ。殴ってクビになった俺を皆がどんな顔で見てくるのか、何を言われるのか不安だったんだ。だからこっそり誰もいない時間に会社を抜けた。兄弟子にはバレバレだったけどな」


「じゃあ皆が悠人さんがいなくなった後にどんな行動をしたのか全て教えてあげます!」


 俺はそれを聞いて驚いた、そして嬉しかった。俺がクビになった事を知った会社の皆は全員で社長室に乗り込み、社長に猛講義したらしい。

 自分の命までもが危ない中、道具を守るために戦った悠人をなぜクビにする必要があるのかと。


「皆、悠人さんが大好きなんですよ?入社当初から人と接するのが苦手ですが、真面目で自分の仕事は絶対に期日前にしっかり終わらせて、困ってる人を見つければサポートをする。悠人さんほど仕事が出来る人はいないって皆言ってましたよ」


「……皆、俺のことをそんなふうに」


「それに今日来たのはまた働きたくなったからじゃないんですか?」


「分かっちゃったか」


「社長に話があるっていうくらいですからね。あえて理由は聞きませんよ」


 彼女はそれ以上深くは言及してこなかった。そして俺達は社長室に着いた。


「どっちに転ぶかは分かりませんが、良い報告を期待しています。それでは」


 そう言って彼女はお辞儀をして一階の受付へと戻って行った。

 彼女が去って俺は一人になった。今までにないくらいに緊張している。

 今にも心臓が飛び出そうだ。早く入りたいが足が竦んで前に進めない。ここまで来てもまた自分に自信が持てない。断られらどうしようと考えてしまう。怖かった。

 怯えた子犬のようになっていた俺の脳内に日菜乃のある言葉がよぎった。


『でも悠くん、私その『絶対』に怯えていたら何も出来ないと思う。確かにそう思っちゃうのはしょうがないよ、私が悠くんの立場でもそう思う。それでも起こるかどうか分からないことを考えてもダメだよ。マイナスなことを考えちゃダメ、プラスの事を考えて生きいこうよ。私みたいにね』


 俺は冷静さを取り戻し、気持ちを整えた。

 ここまで来てマイナスになってどうすんだ。

 今俺に期待して待ってくれている人がいる。

 その人の気持ちを裏切るわけにはいかない。


 俺は決心し、社長室のドアをノックした。


「開いているよ、入りたまえ」


 社長の声が聞こえ、俺はドアを開けクビ宣告を受けた日以来の社長室に入っ

た。


        *


 社長室に入ると、そこには煙草を吸い足を組んだ社長の姿があった。


「月城くん、久しぶりだね。会うのは二年ぶりくらいかな」


 先に口を開けたのは社長だった。相変わらずの図太い声に俺は嫌気が差す。

 ここだけの話、俺は社長が嫌いだ。いかにも俺が偉いんだと言わんばかりの大きな態度と社員の気持ちを考えない自己中な性格が俺は気に食わなかった。

 クビ宣告された時もどうせならこの人もぶん殴って出ていくかと思った程だ。 

 とりあえず、俺は喧嘩をしに来たわけではない。ここは気持ちを抑えて行こう。

 

「そうなりますね。あの時は色々とご面倒をお掛けしました、社長」


「ああその件ならもう良いんだよ、気にしないでくれたまえ」


「そうですか、ありがとうございます」


「君をクビにした後、すぐに皆が私のところに抗議しに来たよ。私も正直びっくりしたよ。君があそこまで皆の支持を集めていただなんて知らなかったからね。私も惜しい人材を失ってしまったと後悔してしまったよ。」

    

 俺は社長が本当にそう思っているのか疑問でしかなかった。この社長は俺のことなど一度も褒めたりした事が無い。ましてや他の社員に対してもそうだ。こいつは俺たちのことをただ働く駒だとしか思っていない。金稼ぎのための。


「そう思って頂けると光栄です」


 俺は全ての感情を噛み殺し、上っ面だけの言葉を並べ社長に返した。


「昔話もこの辺でいいだろう。そろそろ本題に入ろうか。どうしてまたうちに来たんだい?まさかとは思うが、またうちで働きたい、だなんて話ではないだろうね?」


 急な話の切り替えに俺は焦り動揺した。

 社長のこういうメンタリストではないのかという位の相手の心情を読むところには本当に圧倒される。

 そこまで言われてしまっては俺も引き下がる事が出来ない。

 俺は社長に直球(ストレート)に言った。


「……はい、そうです。俺はまた働きたくてここに来ました」


「やっぱりか」


 前屈みになり両手を顎の下に組みながら座っていた社長が姿勢を崩し、背もたれに寄りかかった。


「月城くん、君は自分が何をして、ここで何を言われたか。忘れたわけではあるまい?」


「俺は窃盗犯である同僚を殴りここで社長にクビを言い渡されました。この二年間、一秒たりとも忘れたことがありません。とても忘れられないです」


「……そうか」


「俺は自分がやった事にずっと後悔してました。でも周りの反応は違いました。皆、俺のやった事は誰にも出来ない凄い事なんだよと言ってくれました。確かに俺は他人を傷つけました。でもそれ以上に兄弟子の道具を命を懸けて守った方に皆が目を向けてくれました。俺は嬉しかったです。俺がやった事が正しかったのかどうかまだはっきりとは言えません。それでも正しいと言ってくれる人がいる。俺はそれを見つけるのに二年も掛かってしまいました」


 そうか、と小さな声で社長は呟き立ち上がり窓の方まで歩いて行った。社長が窓を見て黙り込み、沈黙の時間が続いた。俺は早く答えが欲しかった。あまりの緊張で心臓が押し潰されそうだ。


「……月城くん、君の気持ちは良く分かった。答えは――」


 俺は息を吞んだ。


「……ノーだ。帰ってくれ、月城くん」


 社長の返答に俺は両手で机を叩き立ち上がった。


「どうしてですか!?」


「どうしても何も理由は二年前と変わらない。暴力を振るった君の面倒を見れないそれだけさ」


「でも、もう気にしていないとさっき言ったじゃないですか!」


「それはそれだ。君がまた暴力を振るった場合どうするんだい?また私は君をクビにすればそれでいいのかい?そういう話ではないだろう」


「俺はもう暴力を振るったりしません!」


「それは絶対ではないだろう。もし前と同じことが起きたら君は暴力を振るわずに解決できると自信を持って言えるかね?」


「そ、それは……」


 俺と同じ経験をしたことがないくせによくそんなことが言えるな。

 お前もあの状況になって暴力なしでどうやって制圧するんだよ。

 お前なんて日和って何も出来ねえだろ。


「出来ないだろう、そういう事だ。帰りたまえ」


「そ、そういうわけには――!」


 俺が社長に詰め寄ろうとした時、


 『ドガンッ!』


 ドアを開ける激し物音が部屋全体に響き渡った。


「誰だ!社長室に入る時はちゃんとノックしてから入りたまえ!」

 

 俺は振り返り、社長室のドアの方を見た。そこには、


「み、みんな……」


 そこには、かつての同僚、そして兄弟子の姿があった。


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