最弱の巫女3
「今いる97人の患者を解放してくれよ。その人たちを収容するために首都圏中から救急車をかき集めてるって長官も言ってた。それでもう勝手に治療とかしないでくれよ。大人たちだって身勝手な奴ばっかじゃない、困ってる人を助ける制度だっていっぱいあるんだからさ」
「そうか……人類社会は日輪卿の治療をそれほど怖れていたのか」
ニナは落ち込み、俯いた。一般人は人命より感情論を優先し、為政者たちは人命より経済を優先する。いくら言葉を尽くしてもその考えを変えられない、という悔しさと諦めがにじみ出ていた。
「——わかった。患者の解放については日輪卿に進言しよう」
「うん……助かるよ」
面高はここで初めて微笑を浮かべられた。対称的にニナは不満を噛(か)み殺していた。
「だがな、日輪卿が地上に出てきた目的はお前の治療だ。それだけは見過ごすわけにはいかないんだ」
「やっぱそこに戻ってくるのか……」
「当たり前だ。お前が使っている将軍兵装も、お前の左腕にしがみついているカムヅミも、極めて危険な魔界の秘宝だ。地上で使っていいものではないんだ」
面高はこのとき反射的に周囲を見回した。将軍兵装とカムヅミは最重要の国家機密であり、人前で口にできる情報は少ないのだ。
しかし広尾や麻布という土地柄、野次馬根性を示す人は限りなく少なかった。面高とニナという話題のふたりが対峙しているというのに、不躾な視線や無許可の撮影などはなかった。
それなりにある公園内の人通りは、少年少女をちらりと見たあとただ通り過ぎていくだけだった。それらの様子を確認してから少年は言葉を選ぶ。
「……魔人ってさ、強さこそが全てなんだろ?」
「日輪卿のように強さ以外で爵位を得た方もいるが、基本的にはそうだ」
「セリさまとゼナ姫は親が何をしたのか知りたがってんだよ。何で罪人扱いされてまで魔界の秘宝を盗み出したのか。でも子供扱いだと知ることすらできない。力を示して自分は大人だと認めさせて、全てを知る必要がある。そのためには将軍兵装とカムヅミが必要なんだよ」
「それがどれほど危険なことか、お前はわかっているのか? 魔界の秘宝は危険だからこそ宝物庫に封印されていたんだ。そんなものを無理矢理外に出したら何が起こるかわからない」
「確かに危険性は高いんだろうけどさ。でも人間は『火』っていう危険物を使いこなしたからここまで進歩できた。歴史漫画でもだいたい最初は火とか石が出てくる。火薬とか車とか、便利なモンってだいたい危険なんだよ」
「将軍兵装はそんな物とは比べものにならない。将来地球が破滅するとまで言われているんだ」
「おれはそこまで危険だとは思えないよ。今まで何の事故もなかったし、安全装置もしっかり作動するし」
「ああ……その考えは大事故の第一歩だ」
会話の応報に妥協点は見つからなかった。
ニナは意を決したように面高へを歩み寄ってくる。そして両手で少年の右手を包み込み、見上げながら
「——お願いだから私と一緒に魔界へ来てくれ。お前は戦えば戦うほど、勝てば勝つほど、どんどん深みにはまっていずれは死んでしまう。武器を捨てて一緒に行こう。お前が寂しい思いをしないよう、私がずっと面倒を見てあげるから」
涙ながらの哀願は面高の心を強烈に惹きつけた。
美しい少女と手を取り合い、故郷を捨てて理想郷に旅立つ——それは古典的で根源的な少年の欲求だ。しかし面高は欲望に溺れたりはしなかった。東京の将軍をやっていれば、自制心はそれなりに鍛えられるのだ。
それに、セリやゼナリッタという魔界の令嬢との約束もある。それを放棄して自分だけ安穏と生活するわけにはいかないのだ。
「ごめん、そっちには行けないよ。おれは東京の将軍で、新宿はおれの生まれ故郷なんだからさ」
「……なんてわからず屋なんだ」
ニナは手を離してから涙をぬぐい、数歩後ずさった。
「——魔人は人の心がわからない。それは日輪卿も、そちらの『天女さま』たちも含めてだ。お前はそう思ったことはないか?」
「まあ、少しは思ったことがあるよ」
「日輪卿は『人命より経済』という人間の考えを絶対に理解できない。たとえ患者を全てそちらに委ねても、それは患者個人の命の問題でしかない。でもお前に関しては人類全体に関わる重要事項だ。だから人類の守護者として、日輪卿は絶対にお前の治療を諦めない」
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