忍法・空蝉の術2

 一連の出来事は、スローモーション動画でなければ視認できないほど超高速だった。実際に高速機動していた面高ですら、自分がなにをやっているのか把握しきれなかったのだから。


 複数のことが同時に起こった。

 フクロウの尊林が敗北を宣言する直前、大蛇の背後に何者かが姿を現した。何もない空間に突然人体が形成されたとしか表現しようがない。その姿は面高に酷似していて、手には刀を握っていた。


 次に、面高の分身が大蛇の左の首を切り落とした。これは面高の利き腕を封じていた方の頭部だ。

 刀を振るった音すらしない。肉を切り裂く音すらしない。


 高速無音の斬撃がぬるりとヘビの頸部けいぶを切断したにもかかわらず——あまりに切れ味が良すぎるのか、体の一部を失った大蛇はまだそのことに気づいていない。

 やがて切断された頭部の自然落下が始まる。そこから打ち上げるような一閃。大蛇の左頭部は切断面も鮮やかに両断された。


 ミツマタはこの時点で己の身体の異変に気づいたようだ。驚愕の表情を浮かべ、中央の首が反射的に振り返った。

 面高にそっくりな分身が刀を下げて立っている。それをミツマタが視認した瞬間——今度は大蛇の右の首が切断された。


 ミツマタに唯一残された中央の頭部はさらに反転して正面の標的を見る。

 頭部を貫かれたままの面高が、左手に持った刀で反撃している最中だった。


 ミツマタはこの時点でパニックを起こしていたのだろう。背後からは分身が、正面からは死んだはずの少年が刀を振るっているのだから。

 噛み合わせの力を失った毒牙から面高は脱出する。しかしその動きは少年の意思とは関係なく実行されたので、他人事のように感じられた。早すぎて感覚すら追いつかないのだ。


 そしてそのまま大蛇の右の頭部を両断した。骨と筋肉の支えを失った頭部が道路上に落ちるまでの一瞬で、少年はヘビの右頭部を両断して両断して両断した。

 東京の将軍の腕はなたやぶを伐採するかのように、刀を雑に振るった。


 この時にはミツマタも戦意を失っていたのだろう。

 ブツ切りにされた頭部では何もできず、残ったひとつの頭部で再戦しようと、先ほど以上の戦果は得られないだろう。そのように敗北を悟ったような雰囲気でミツマタは口をあんぐりと開けていた。死体と分身による同時攻撃というあり得ない剣戟に圧倒され、中央の頭部は威嚇のための舌を収めた。


 文字通り、業前わざまえに舌を巻いてしまったのだ。

 分割されバラ撒かれた頭部とその内容物、血液、メタリックブルーの鱗などが、アスファルトの道路にボタボタと降りそそぐ。


 黄色い線の外側に居たため、美しい姫君はそれらで汚れずにすんだ。

 これら一連の出来事が、わずか数秒のうちに行われた。


 ◆ ◆ ◆


「これで勝負ありってことにしてくれませんかね」

 面高は髪に絡んだ鱗を取りながら語りかけた。毒も抜けたのか、身体は自由に動く。少年は一瞬ちらりと後ろを見て、ゼナリッタの無事を確認する。彼女の顔は喜びと困惑の入り交じったものだった。


 分身の面高は一瞬でしぼんでからひも状になり、少年の左袖内部に収納されていった。残された刀だけは本人が握り、二刀流になる。その刀には鞘や鍔といった部分が全く無い。剥き身の日本刀だ。本来鞘を装着するべきなかごという部分を直接握っているので、鋼の冷たさが感じられた。


「将軍なんざ、いつも威張っておきながらいざとなったら尻尾を巻いて逃げ出す——そんなへたれ野郎だと思っていたが」

 もはや大蛇からは戦意が感じられなかった。

「——で将軍、俺の両手が本当の頭ではないと、いつ見抜いた?」


 面高は頭部に穴を開けられた直後とは思えないほど気楽に答える。

「いやまあ、見てみたらメインで動くのもしゃべるのもなんか真ん中だけっぽいし。それで、もともと人間なのに頭を3つにするってなんか不自然に思えて。だったらあれは頭じゃなくて手なんじゃないかなって。あれって拡張人体かくちょうじんたいを義手みたいに装備してたんですよね?」


 拡張人体とは【人体の外付けパーツ】だ。

 人間の人体という枠を拡張する万能の道具。それは第3第4の手足にもなり、翼にもなる。

 既存の義手や義足と違うのは、機能が固定されておらずだいたい何にでもなるという点だ。


 ただしガソリンエンジンや電子機器など、使用者が制御しきれないほど複雑な物体にはできない。拡張人体とはあくまで使用者が『これは自分の身体の一部である』と認識し制御できるものにしかならないのだ。

 まさに魔法ともいえる技術である。


 ミツマタは続けて問う。

「なるほど。ではなぜ俺の本当の頭を狙わなかった? たやすく頭を割れただろうに」


「これはですね、あんまりやりすぎると『グロ動画いい加減にしろ!』ってみんなに怒られちゃうんで」

 これは主にマスコミ関係者からの要望だ。将軍が戦いに勝利した場面の映像をニュース番組に使う際、内臓や肉片がまき散らされていてはモザイクをかける必要がある。それは手間だというのだ。

 ならば最初からグロテスクなシーンにならないようにしてくれ、という要望が将軍庁には多く寄せられていた。東京の将軍はこのような部分にも配慮して戦わなければならない。


 面高は剥き身の日本刀をしっかりと握りなおした。

「——んで、やっぱりそこまでやらなきゃ諦めてくれませんかね?」


 面高には戦意や凄味すごみという、最強と呼ばれる人物にふさわしいものを発するのが苦手だった。殺し合いなど好きでも何でもないのだ。刀の構えもあまりサマにはなっていないと酷評を受けたこともある。


 現代の将軍にとって魔人案件はただの仕事。だからとただ淡々と戦闘をこなしているにすぎない。好きでも無いことは大して上達しない——それは人間として当然だろう。

 それが逆に、敵から見ると不気味に映るのだろうか。


 道路上に散らばったミツマタの左右の頭部——両腕は、拡張人体の部分が糸状に分割され、生身の部分を残らず回収し、元の頭部として再形成された。


「いいや、ヤメだ。しばらくはまともに戦えねえし、せっかく眷属として生まれ変わったからにはもう少し長生きしたいんでね。まったく、将軍が分身の術を使うなんて聞いてねえぞ……忍者かよ……」

 大蛇はズリズリと胴体を引きずり、背を向けた。

「——だがな、次に来る俺の主が、必ず将軍……おまえを救い出すだろうよ」

 ミツマタはそう言い残すと、緩やかに空を飛び、やがて空の果てに消えていった。


 基本的に魔人や眷属は空を飛べる。拡張人体を極細の繊維状にまで分割してから翼やマントのように広げ、それで大気を蹴って進むのだ。その様子は海中を漂うクラゲのようだ、ともいわれる。

 ゼナリッタが地上に降り立ったときも、これを応用して着地寸前に急ブレーキをかけたのだろう。


「え……おれを救う? なんで?」

 ——わけがわからねえぞ……。

 そんな顔で面高はしばらく空を眺めていた。

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