芸術の学習実験
和泉茉樹
芸術の学習実験
◆
サロメ、答えて。
「はい、マスター。何でしょう」
僕は目元を覆うゴーグルの位置を調整し、言葉を続ける。
大英帝国美術館へアクセスして。
「イエス。ラインはクリアです。アクセス。オンラインゲートに到達。入館料の支払いの了承を」
いくら?
「二〇ダラーです」
オーケー。
三十二桁の暗証番号を思考入力。中国系の電子バンクから情報通貨が支払われ、僕は大英帝国美術館に入ることを許される。
「入り口から進みますか? それとも何か目的がありますか?」
そうだね、まぁ、経路通りに進もう。
ゴーグルの中に立派な門が見えてくる。
大戦争で焼け野原になったロンドンに建てられた美術館は、いかにも過去を懐かしんでいる造形に溢れている。門でさえも、どこかルネッサンス風というか、もっと言えば古代ギリシア風である。太い石柱が並んでいるのだ。
あの国は遥か昔にユリウス・カエサルが遠征するまで大した文明もなかったはずで、つまり古代ギリシアとはおそらく繋がりはないだろう。
中に入ると、やはり古代ローマ風の男性の彫像がある。均整のとれた体には最低限の布しかない。視線の移動の途中で股間に焦点が合った時、僕の年齢を確認する表示が出た。股間にモザイクがかかって、思わず笑い声が漏れてしまった。
「どうしましたか、マスター」
なんでもないよ。
サロメの質問に答えて、年齢認証はやめにした。別にモザイクを外したくないし、どことなくモザイクがかかっているのが愉快に感じた。もしかして実際に大英帝国美術館に行っても、あそこだけは見えない工夫がされているんだろうか。
気になるが、ロンドンは遥か彼方だ。
通路を進むうちに、古代ローマの展示室を抜け、次には古代エジプト。天井の一部がくり貫かれて、そこにはかの有名なオベリスクがそびえ立っていた。
古代エジプトの王のミイラを収めた、有名な黄金のマスクがいくつも並ぶのは壮観だ。視点の位置を変え、様々なアングルから見ていく。
ミイラそのものも展示されているけど、こちらは年齢を確認されたりしない。まぁ、ミイラみたいな無味乾燥なものに悪影響を受ける人もいないだろう。
次のブースは古代中国。かの有名な兵馬俑とかいう膨大な立像が並んでいる。一人一人、表情が違うと聞いているので、僕は念のために一体ずつ、確認して、二十人ほどで諦めた。どうやら本当に顔つきはみんな違うらしい。
当時の職人もさすがに知恵を絞っただろうな、という感想。
さらに先へ。今度は日本のブース。いきなり目の前が開け、庭が出来上がった。
枯山水、という、石と砂で作られた庭だけど、正直、どこにどういう価値があるのか、わからなかった。芸術とは奥深いものである。
今度はロシアのブース。時代が一気に変わり、ロマノフ王朝時代の宝物の類が並ぶ。金がふんだんに使われ、宝石がびっしりと並ぶ様子など、無意識にどれだけの価値があるのか、想像してしまう。
さらに先へ。今度はアメリカで、何があるかと思うと、スポーツカーが現れた。
いや、スポーツカーだろうか。すでに車といえばスポーツカー以外はクラシックカーくらいしか種類がない。
ともかく、その車がこちらへ突っ込んでくる。反射的に逃げようとしても体が動かない。
ぶつかる!
強烈な光が瞬き、車が消えた。
僕を突き抜けた?
背後に振り返ると、レールのように二つの筋で揺らめく火の帯が地面にできていた。
夜空に「Back To The Future」とロゴが出た。なるほど、ハリウッド映画か。しかしアメリカにはそれ以外に芸術がないわけではないだろう。
視線を背後へ向けると、恐竜の巨体がすぐそこにあり、僕の前の前でものすごい吠え声を上げ、開いた口にずらりと並ぶ牙にも、背筋が冷えた。
と、思ったら、僕は恐竜に飲み込まれ、真っ暗になり、光が差すと今度はどこかの美術館の中だった。
目の前に絵画がある。
ひまわりが題材の絵画が、壁に並んでいる。ゴッホの作のようだ。
その前を抜けると、巨大な壁にどこかの未開の地を描いた壁画が現れる。
こちらはゴーギャンの作だ。長いタイトルが付けられている。補足情報として、クラシックな小説においてゴーギャンを題材にしたものがあり、その小説では最後に主人公とともに壁画は焼かれるが、現実ではこうして壁画は残った、とある。
こういう情報の例に漏れず、電子書籍の販売会社へのリンクが付与されている。
サロメ、この小説のデータサイズは?
「空容量を圧迫するほどではありません」
なるほど、それもそうか。
では、この壁画のデータは?
「原寸大ですか? 彩度、精密度も選べますが?」
冗談だよ。値段も張るし、容量を無駄に圧迫したくない。
「外部記憶装置の購入ページへのリンクがあります」
そういう商売だよ、サロメ。調子に乗ると、破産するからね。
「イエス。用心します」
こういう言葉を選べるあたりが、さすがに頭がいいと言える。
順路を巡っていくと、巨大な岩壁が出現し、そこには仏像が掘り出されていた。いたが、見ている前でバラバラに爆破された。そういう事件があった、ということだ。バーミヤンという地名か遺跡の名だと表示が出た。
さらに先へ進むとインディアンか、アボリジニーか、そんな人々の群れが僕の周囲で歌い踊り始めた。もしかしたら、南米かアフリカかもしれないけど、表示が難解で、よくわからなかった。
そのうちに周囲にあるのは人間や動物の標本になり、それは今はもうない、ハンテリアン博物館の収蔵品らしい。ここでもやっぱり年齢確認されたけど、僕は即座に認証した。だってそうしないと、モザイクで何が何やらわからないからだ。
最後のブースにたどり着き、そこはイギリス王室の記録のようなものだった。僕でも知っている長寿を全うした二人の女王についての記述が印象深い。もっとも先の女王は記憶媒体が発達する前の時代の人だったので、曖昧で部分的な情報しかない。
短い白黒の映像を僕はじっと睨みつけた。
わからない。全く、判然としない映像だった。
こうして展示は終わり、お土産売り場コーナーに入る。この世界のどこにいても配送してくれるし、ほとんど全部の電子通貨に対応している。ここだけは超多言語に対応していて、世界中の人間が商品説明をすんなり読める仕様だ。
その努力を展示物に反映させればいいのに、と思うけど、芸術は言語では表現しきれないのかもしれない。
僕は適当にお土産のマグカップを二つ買った。一つは例のゴーギャンの壁画がプリントされている。もう一つはイギリスの国旗、ユニオンジャックが大きくプリントされているものだ。ちなみにどちらも陶器製で、そのせいでとんでもない値段だった。
しかし合成樹脂製のマグカップほど、飲み物の味を最悪にする食器もない。
やはりコーヒーは陶器で飲まなくちゃ。
お土産売り場を出ると、目の前にどこか、確認したい展示物はあるか、確認する表示が出た。ここで退室してしまうと、改めて入館料を支払わないといけないという表示がそれに続く。
何か、気になったものはある? サロメ。
「どれも興味深かったです、マスター」
こういうやりとりはまだ苦手なんだな。
もう一回見たいものはあるかな?
「では、フェルメールを」
フェルメールね。
ブース選択をして、その中でもフェルメールの絵画を厳選する。この画家は真作が非常に少ないし、大量に贋作が氾濫した結果、現在でも真贋に関しては議論が分かれたりする。
スタンダートな「ターバンを巻いた少女」、「落穂拾い」などを眺めているけど、サロメの方からは何も言葉がない。
感想は?
「幻想的で、美しいと思います」
美しいの定義とは何かな?
「芸術的、ということです、マスター」
答えになっていないよ、サロメ。では、芸術的とは?
「突飛、飛躍がある、ということではないでしょうか」
でも、画法のようなものは突然には生まれないはずだね。どこが突飛に見える? どこに飛躍がある?
「感性、ではないでしょうか」
それもやっぱり答えになっていない。感性とは何だろう?
「場面を切り取る感覚、だと思います。この世界の特定の場面を切り出す、という部分に、人間の個性が出るのだと思います」
なるほど、口だけは達者になったじゃないか。
これはどう思う?
言いながら、僕はブースをスキップして、例のハンテリアン博物館の人体標本の前に移動した。
目の前には、はるか昔の御者の足に施した血管のバイパス手術の標本がある。当時としては画期的で、極端な技術といえる。どうやら麻酔薬もない時代のことのようだ。
「標本として優れています」
ここにも突飛や飛躍があるはずだね? サロメの価値観なら。
「はい。誰もやらなかったこと、想像しなかったことを、この医者はやっています。この標本というより、その技術にはある種の芸術性があります」
しかし今では当たり前になったよね。それで価値は落ちたというわけではないけど、しかし、もはや過去という場においてのみ、価値があるんじゃないかな。
「技術は発展しました。マスターのおっしゃる通り、成立時期、その当時の諸要素の水準が芸術を芸術たらしめるのではないでしょうか」
フェルメールにあるものもそうかな?
「……いいえ。その問いかけに答えるためには、美というものを議論しなくてはいけないと思います」
さっき、サロメは美しいという言葉を使ったけど、それとは違うのかな。
「美しいという表現には、いくつもの側面がありますから、ただの一つの単語に複数の意味が含まれていると思います」
ちょっと重複した表現を使い始めたな。コミュニケーションプロトコルにズレが出てきたか。
サロメ、標本と絵画、その二つの美はどう違う?
「標本はある種の機能美です。的確で、効率的で、無駄がないように見えます」
ではフェルメールには無駄があるってこと?
「いいえ、違います。フェルメールの絵画には、無駄はないように見えます」
無駄がないわけないけどなぁ。まぁ、そこはサロメの感性だし、下手に否定しないでおこう。
では、フェルメールの絵にある美とはなんだい?
「フェルメールの美は、無謬、かも知れません」
無謬? いよいよコミュニケーションが困難になってきたな。
完成されている、という意味かな。
「それに限りなく近いですが、マスター、私は今、おかしなことを言っていますか?」
少しね。
「言語統計の再確認をしてもよろしいでしょうか」
別にしなくていいよ。言いたいことはわかる。
「推測や忖度で伝わる言葉は、滅多にないと理解しています。ぜひ、どこがおかしいか教えて下さい、マスター」
そもそも人間はそこまで厳密に会話しないよ。伝わればいいな、というかね。大抵の言葉は完全には伝わらないと割り切っている。サロメも気にすることはない。
「学ぶためには、ズレは少ない方がより早く、結論を出せます」
人間はそもそも、結論を出さないんだから、きみが気にすることはないってば。
「気にするな、という命令でしょうか」
やっぱりちょっとずれているな。
命令じゃないよ。気を楽に、大きな気持ちでいよう、ってことだね。議論の筋が変わっているよ、サロメ。無謬というのを解説して。
「フェルメールの絵画には、焦点を絞ったような要素があります。これは絵画の多くに言えることです」
焦点を絞る?
「無駄を省く、という意味です。見るものの視野を一点に集めて、そこだけを見せるような手法が、絵画にはあると私には思えます」
では、これは。
僕はまたブースをスキップして、古代ローマの彫像の前に移動した。さりげなく年齢認証をして、モザイクを外す。
この彫像にも、焦点を絞る効果がある?
「この像がぽつんと立っていることで、私たちは一対一で向かい合いますから、焦点は自ずと絞られます、マスター」
なんか屁理屈になってきたな。
じゃあ、こっちは。
僕は兵馬俑の前に移動した。
サロメがしばらく沈黙する。
「美しいですが、ダビデ像とは違う美ですね。焦点は確かに絞られますが、兵馬俑は大きな視野で見ると圧倒的な美を感じます」
美を感じる、と来たか。
彼女には「美」という概念はある。
さて、それはどこまで及ぶだろう。
これを見て、サロメ。
僕はブースの一つ、日本のそれに移動し、近代を選択。
相撲レスリングの映像から、評価の高いものを選び出す。
「相撲ですか」
そう、えーっと、白鵬と朝青龍という二人のチャンピオンの勝負らしい。
「相撲ではチャンピオンではなく、横綱、というのではないですか? マスター」
わかっているなら話は早い。再生するよ。
目の前でふんどしだけ身につけた巨漢が、円形の土で作られた舞台でぶつかり合う。ふんどしは「回し」で、舞台は「土俵」というようだった。
実況の日本語がすぐに字幕で翻訳されるけど、臨場感はややそがれる。
ただ、なかなか面白い、白熱した勝負だった。
次はこれだ。
僕は近代のスポーツ関連のデータベースから検索し、一つの映像を表示させる。
それはテニスの映像で、今は亡き四大大会なるもののほんの一部だ。
片方のプレーヤーはロジャー・フェデラー、もう一方はノヴァク・ジョコビッチという名前だった。
この二人がラリーを始めるのだが、まるで終わりが見えない。いつまでもいつまでも、ボールを打ち合っている。遊びではなく、本当の試合の中で、延々と続くラリー。
しかし最後にはついにラケットが空を切り、客席から爆発したような歓声が起こり、拍手がわき起こった。
どう思う、サロメ?
「面白いと思います」
これはどちらも芸術的なファイトだと思うけど君には理解できる?
答えには時間がかかった。
「テニスはよく、わかりません」
正直じゃないか。
「しかし相撲レスリングは、興味深いです」
興味深い、とは?
「古代の彫刻に似たものがあります」
……それは裸だからではないかな?
「肉体美、という言葉がありますが、それに該当すると思います。このように」
サロメの方から画像が表示された。
片方はダビデ像。片方は白鵬なる相撲レスラー、いや、正式に言えば力士の写真だった。どこから引っ張ってきた画像なのか、白鵬なる力士は堂々と仁王立ちをしている。
うーん、どことなく似ているけど、あまり多くは似てはいない。
二つには別々の美があるのか、それとも共通する美があるのか、僕にもよくわからなかった。
「美とは、一側面から見ても幅が広いようです、マスター」
サロメの方からそんな風に指摘されるようでは、僕も大概、美というものをわかっていないようだ。
「マスター、もう一度、フェルメールを見てもいいですか?」
積極的なのはいい傾向だぞ。
オーケー。移動しよう。
二人の男の裸は消え、目の前には絵画の列が浮かび上がる。サロメが絵画を移動させていき、それは最後には「ターバンを巻いた少女」で止まった。
しばらく二人ともが無言になる。
僕もその間、目の前の一枚の絵に集中していた。
フェルメールの贋作のことを考えていた。
贋作でも評価されるとなれば、それは作者が評価されているわけではなく、作品が評価されているのだろうか。色使いやアングル、タッチなどに美が宿っていることになる。
ただ、そのことを考えれば、彫刻の本当の作者は不明であり、もっと踏み込めば芸術家とは作者の生涯や人格、発言その他よりも、作品が残るような奇妙な立場といえる。
どこかで勉強したゴッホとゴーギャンの人生を思い描いていた。
この二人の生涯はドラマチックで、それを知ると絵画を見る感覚は変わってしまう。
それは例えば、別の画家だったらどうなのだろう。
平凡な人生、味気ない人生を生きた画家もいるだろう。波乱万丈な日々が作品を作り上げた、なんてこととは無縁な画家がいるはず。
逆に、絵画の評価が、画家の人生を暴き立てることもあるだろう。僕たちは何故、一幅の絵画の奥にある正体不明の何かを求めてしまうのだろう。
美が美として、絵画に収束し、目の前にはっきりとあるのに。
「不思議な気持ちです、マスター」
サロメが囁くような声で言った。感情表現ソフトもなかなか良い精度なので、本当に囁かれているような響き方をした。
不思議というのは、どういう気持ち?
「心がざわめきます」
心?
「いえ、感覚に奇妙な波がある、ということです。少し人間のように表現しました」
いや、悪くない表現だよ。まるで……。
そこまで言って、僕は言い淀んだ。
「まるで、なんですか? マスター」
なんでもないよ。
まるで人間みたいだ、と言おうとしたけど、それはサロメに余計な情報を与えるだけだろう。
彼女は人間をモデルに作られたが、人間ではない。
彼女は別に人間になろうとはしていない。僕も彼女を人間にしようとはしない。意見を交換できるだけの意思疎通の能力とその思考を支える理論があり、それなりのいつでも検索可能な記憶があればいいのだ。
それが人間なのだから。
言語を使い、思考し、記憶を参照する。
それ以外に人間が外部表現する術は、まさに芸術ということになるんじゃないのか。
言語で伝えられないことを、像や絵画にする。
自分自身を表現するために、裸でぶつかり合ったり、球をラケットで打ち合ったりする。病気や怪我の治療をすることさえ、やはり自分の内にある好奇心か欲求のようなものを、表出させて他人に伝えたいのだ。
あるいは、サロメの相手をする僕も、サロメという存在を使うことで自己表現しているのではないか。
「マスターはもう、何も見なくていいのですか?」
うん、だいぶ時間も経ったしね。そろそろ食事に行きたい。
「わかりました。今日はありがとうございました、マスター」
興味がわいたら、いつでも言ってくれよ。ここの入館料は安すぎるし。
「そうさせていただきます。できれば、私が入館料を払えればいいのですが」
すぐできるようになるさ。
「その発言の根拠はどこにありますか? 私には自信がありません」
自信というのも、人間らしい表現だった。だけど彼女が言う「自信がない」とは見通しが立たないと同義だろう。これくらいのアレンジはプロトコルの正常な翻訳の範囲内と思って間違いない。
特に根拠はないよ。希望的観測かな。
「マスターは楽観的です」
それは違うよ。
「どう違うのですか? 情報として教えてください」
僕が楽観的なんじゃない。人間は総じて、楽観的なんだよ。
サロメは小さく笑ったようだった。かすかにそんな音がした。感情表現ソフトが対応する範囲の、一番ささやかな笑いかもしれない。
「今日はありがとうございました、マスター」
こちらこそ。
僕たちは大英帝国博物館からログアウトした。
◆
「ヘイ、スティーヴィー」
僕は壁に背中を預けて目の前の光景を見ていたので、部屋に入ってきた友人に気づかなかった。
「やあ、ニール。顔を出すなんて珍しいね」
カップをちょっと掲げて見せるけど、ニールは僕が見ていた光景の方に気を取られていた。
「今も彼女は作業中か?」
「まあね」
「しかしこいつは、とんでもない装置だな」
僕とニールがいる空間は、五十メートル四方の大空間で、天井も梁が剥き出しだがはるかに高い。このスペースには小さな家ならすっぽり収まるだろう。
四つの隅には高さを自在に変えられるアームがあり、その先には様々な装置が備え付けられている。これが各種の絵の具その他を駆使できる上に、立体を作ることもできる特殊な樹脂を吹き付けるスプレーも完備している。
今、四つのアームは休むことなく動き続け、床に設置された六メートル四方ほどのキャンバスの上に絵を描いていた。ちなみにキャンバスを置く台も自在に角度を変えられる仕組みだ。
つまりこの巨大なスペースは、ある種のアトリエである。
「前に作った作品はどうなったっけかな」
ニールが腕組みをして、じっとキャンバスの方を見て訊ねてくる。僕は軽く肩をすくめた。
「二百五十ダラーで売れたよ」
「人工知能の作品だって明かして?」
「いや、まだ人間のふりをしているよ」
「二百五十ダラーなんて、美術学校の生徒の作品より安いな」
それが実力ってこと。そう応じて、僕はゆっくりとマグカップを口へ近づけた。ニールが唸るような声を出す。
「人工知能に美術を学ばせるのはいいと思うが、もう少しオープンにしたらどうだ? ここのことも仲間内で秘密だろ? この光景は、マスコミが放っておかないぜ」
「人間は何もないところから芸術品を生み出す。そう教えちゃったからな」
「学習データを部分的に切り取って消せよ」
「それだとこれまでの学習の全てが無駄になる。別にいいんだよ、僕は。このままで」
「サロメもそう言っているのか?」
まあね、と答えるとニールが目を丸くする。
「本当だよ。いつか自分が描いたもので稼ぎたいようだ。芸術家としての野心だけは人間と大差ないな」
本気かよ、とニールは苦笑いした。
現時点で人工知能による芸術は、ある種のジャンルとして成立しているが、人間の芸術と同じフィールドにはない。それは人間の側がそう区分けを作っている面もあるが、人工知能芸術には人間の芸術とは違う何かがある。
僕が目指しているのは、人工知能芸術の発展であり、人間の芸術と同等のそれを生み出すことだ。人間を超えるという意味ではなく、ジャンルを確立したい。先入観とは無関係に、である。
もっとも、到達点に関してなんらかの見込みがあるわけではなく、サロメという人工知能に徹底的に学習させ、議論し、実践させ、それを繰り返していて、しかし現時点では結論は影も形も見えない。
ただ、こうして機械の腕が絵画を生み出していくのを見るのは、面白かった。
「あまり根を詰めるなよ、スティーヴィー。お前は機械じゃない」
「わかっているよ。ありがとう」
ニールが部屋を去って行き、僕はあくびをしてから、そろそろ寝る時間かな、と思った。
マグカップに残っている最後のコーヒーを飲み込む時、このコーヒーの香気も芸術家の霊感、第六感を刺激するとしたら、どうやったらサロメにそれを伝えられるかな、と考えていた。
僕は壁際を離れる時も、機械の腕は動き続けていた。
人間は芸術を真の意味で理解したことは有史以来、一度もない。
機械が芸術を理解したことも、おそらくない。
つまりスタート地点は同じだ。
芸術には無限の答えがある。
なら一つくらい、機械だけが辿り着ける答えもあるだろう。
僕はもう一度あくびをして、今度こそ部屋を出た。
(了)
芸術の学習実験 和泉茉樹 @idumimaki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
相撲談義/和泉茉樹
★6 エッセイ・ノンフィクション 連載中 27話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます