≪隼人≫3

 護は、大学受験のための勉強を始めた。

 本人は、奨学金で行くと言っている。俺は、全額は無理でも、貯金から出してあげられたらいいなと思っていた。

 護に、ちゃんと話したことはなかったけど、俺はきっと、護に、施設にいた頃の自分を重ねていたんだろうと思う。俺の家と比べたら、護の家の方が、明らかに裕福なんだろうと分かってはいても。



 九月が終わる頃に、ミャーと飯田が来てくれた。


 昼間にうちに着いて、畑の手伝いをしてくれた。

 ミャーの計画では、冬になったら、庭のどこかにチューリップ畑を作るらしい。

 球根を買ってきて、植えてくれるんだそうだ。

 護が買ってきてくれたゼラニウムは、今のところ枯れてはいない。

 ゼラニウムの花言葉は、「尊敬」と「信頼」だけじゃない。「育ちの良さ」という意味もある。あの日には、言えなかった。今だったら、言えるような気がしていた。


 畑仕事の後は、四人で、だらだらと過ごした。

 ミャーと護が、妙に仲よくなっている気がして、おかしかった。


 台所に立って、料理を作った。

 いつの間にか護が横にいて、手伝ってくれていた。

 空気みたいな子だ。最近は、俺のこだわりでもある節約にも、しっかり協力してくれている。


「ごはん、なに?」

 ミャーが来た。

「栗ごはんと、カレイの煮つけです」

「うわーっ。たのしみー」

 護が、鼻で笑った。

 居間を振り返る。飯田は、座卓の近くで、設計の本を読んでるみたいだった。



 四人で、居間の座卓で夕飯を食べはじめた。

「隼人のごはん、まじうまい。執事くんのとは、ちがって」

「すみませんね……」

「護も手伝ってくれたんだから。その言い分は、おかしいと思う」

「あっ、そうだね。ごめんね」

「『最初の頃の』が頭につくんだったら、異論も反論もない」

「だよねー」

「切れていいですか?」

「いいよ」

 飯田が言った。

「おいしい。これは、お世辞じゃない」

「ありがとうございます……」

 護が照れた。


「隼人さまは、料理がうますぎると思います。どうしてなんですか?」

「大学の部活を、料理部にしたんだよ。大学の先生と女の子たちが、親切に教えてくれた」

「はあー……。用意周到って感じ、ですね。

 家事は? どこかで練習したんですか?」

「ミャーが、大学に通ってる間だけ、一人暮らしをしてたから。

 ミャーのところに遊びに行って、教えてもらってた。送り迎えはあっても、さすがに、アパートの部屋まではついてこられないから」

「努力されたんですね……」

「楽しかったよ。母さんが亡くなるまでは、やってたことだし。もちろん、なにもかもやってたわけじゃないけど。

 その頃は、料理もしてた。かんたんなものしか、作れなかったけど」

「それ、小学二年生だった時の話ですよね……。じゅうぶんすぎると思いますよ」

 ミャーが「はいっ」と言って、挙手をした。

「僕も、聞きたいことがある」

「うん?」

「隼人じゃなくて、執事くんに」

「なんですか」

「君、敬語が上手だよね。じゃっかん、いんぎん無礼な感じもするけど。

 どこで習ったの? それ」

「妹の漫画です」

「ぶっ。まじ?」

「まじです。一番上の妹が、執事の男の人が出てくる漫画が好きで。それを借りて、死ぬ気で勉強しました」

「面白すぎるんだけど。それ」

「そうですか?」

「ちゃんと、正しい敬語になってる。漫画って、すごいな」

 飯田が感心したように言った。


「そうだ。飯田ちゃんの結婚は、いつなの?」

 飯田は、あのオーストラリア人の彼女……キャサリンさんと、婚約したらしい。このまま、国際結婚をすることになるのかもしれない。

「まだまだ、先だよ。向こうが、大学生だから」

「そっかー。隼人は、彼女いないの?」

「今のところは」

「僕も、合コンとか、行こうかなー」

「行けばいいのに。ミャーは、もてそうな気がする」

「そうお?」

「うん」

「隼人は、しばらくは、この家でのんびりする感じ?」

「そうだな」

 今はまだ、心ゆくまで味わっていたかった。

 蜜のような、自由の味を。


「どうしたの? 隼人」

「うん? モラトリアムって、最高だなって」

「モラトリアムって、あんまし、いい言葉じゃないよね。本来」

「そうなのかな。ミャーは、そう思う?」

「うん。なんか……。親のすねかじり、みたいな。そういうイメージ。

 ちゃんとしないで、ふらふらしてる、みたいな」

「俺は、ふらふらしたかったんだと思う。今は、最高に幸せだよ。

 一人暮らしをするって、会社で話してたら、先輩にバカにされたんだよ。

 『今さら、モラトリアムかよ』って。俺としては、なに言ってんだろうって感じだった。将来までの猶予期間があるなんて、最高じゃねーか、みたいな……」

「そっかー。ほんとに、よかったね」

「ミャーは、どうなの。今の仕事、しんどくない?」

「そうでもない。よくしてもらってるよ」

「しんどいって。なにか、あるんですか」

「僕ね。背骨が、ちょっと曲がってんの。生まれつき。

 ふつうに生活はできるんだけど。長時間の立ち仕事とかは、無理なんだよね。

 たまに、すごく痛くなって、休まないとだめな時がある」

「え……。

 しょっちゅう、ごろごろしてるのは、そのせいだったんですか」

「まあ、そうだね。たんに、眠いだけの時もあるけど」

「すみません。猫みたいだなって、思ってました」

「いいよ。僕も、そう思ってるし。あと、猫好きだし」

「猫、好きなんですか」

「うん。そうだ。ここで、猫飼わない?」

「それは、いいです。結構です」

「だめかー」

 ミャーは、がっかりしていた。俺も猫はいいやと思っていたので、護が断ってくれて、ほっとした。



 自転車と車で、それぞれ帰っていくミャーと飯田を見送った。

 それから、庭と畑の間に立って、家を見た。

 俺の夢の家は、美しかった。宝物みたいだった。

 ずっと見ていると、護が玄関から出てきた。


「隼人。風邪、引くよ。中に入ろう」


 少しだけ、驚いた。

 護の裏表の、裏が、表とぴったり重なったような気がした。


「うん」


 返事をして、笑った。

 護が、照れたように顔をしかめるのが見えた。


 俺のモラトリアム生活が終わるまで、あと二年半。

 上等だ。全力で、楽しんでやろうじゃねーか。


「びっくりした。護が、俺の弟みたいだった」

「どきどきしましたよ。僕は。怒られるんじゃないかって」

「怒らないよ」

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