訳あり悪役令嬢は侯爵様に溺愛される

水澤シン

待ち望んでいた言葉

「婚約を破棄する!」


 パーティーの最中、公衆の面前で第一王子から言い渡された言葉は、ミルディナ・ルスタリオが待ち望んでいたものだった。

 文句があるとすれば、「今、ここで言う?」といったところ。もう少しTPOを考えてくれても良かったんじゃないかとは思う。

 広げた扇は口元から鼻を覆ったまま、とりあえず一度はとぼけておこうと目を細める。


「あら、どうしてでしょう?」

「とぼける気か! この一年間、リナーシェに散々嫌がらせをしてきたそうじゃないか!」


 第一王子は随分とご立腹のようだ。それもそうだろう。今し方話題に上がったリナーシェ・アンブローズ男爵令嬢は、彼が婚約者であるミルディナを差し置いて懸想している相手だ。

 しかし第一王子も感情だけで、リナーシェの言葉だけでこう言い切っているわけではないことを、ミルディナも知っている。何かしらの方法できちんと裏付けをしてから判断する人だ。決して馬鹿でも無鉄砲でもない。

 そしてそれを、この場にいる他の貴族達も承知している。だからこそ彼らさえも、信じられない、という表情でミルディナを見るのだ。彼女の淑女振りも有名であるから。

 ふぅ、とひとつため息をつき、ミルディナは扇を閉じた。


「ええ、確かに覚えがありますわ。ですが、何の問題がありましょう?」

「何だと?」


 さらりと認めたミルディナの言葉に、第一王子はぎゅっと眉をしかめる。


「殿下は伯爵令嬢であるわたくしの婚約者ですわ。それなのに、図々しくも男爵令嬢の彼女が横恋慕していらっしゃると聞きましたの。婚約者でもない、恋仲でもない男女の関係を──まして自分の婚約者と別の女性の関係を快く見守ることが出来る程、わたくしは寛容にはなれなかったというだけのことですわ」


 言いながら、ミルディナはリナーシェをチラリと横目見た。途端、ビクリと肩を震わせた彼女のことを、ミルディナは調べている。

 男爵家といえ、彼女の父は実業家としての実力と実績がある。その血を確かに受け継いでいる彼女は、計算ごとが早く、利己的どころかむしろ愛他主義。ノブレス・オブリージュを体現することの出来る、貴族の鑑だ。

 彼女になら、第一王子を、この国の行く末を任せても良いと思えた。だから安心して、彼の方から婚約破棄される流れを作りに行った。

 はじめのモノローグでも告げた通り、婚約破棄はミルディナが望んでいた結果だ。例え自分が悪者になってしまう結果だったとしても、必要な経過だった。


「しかし、それ程までに殿下がその方を慕っておられるなら、わたくしが何を言っても何をしても無駄でしょうね。お望み通り、その婚約破棄を受け入れることに致しますわ」


 大袈裟にため息をついて言った後で、ミルディナは第一王子が肩を震わせているのに気付いた。

 馬鹿ではない。故に、悩むのだろう。


「四年前に婚約をしてからいつだって国を憂いていた……君程の淑女が、何故……っ! 拾い育ててくれたルスタリオ伯爵に悪いとは思わないのか!」

「思いませんわ」


 震える声に、はっきりと返す。

 十二年前、行き場も無く身寄りも居なかったミルディナを拾い、養子に迎えて自分の娘として可愛がってくれたのがルスタリオ伯爵だ。彼もまた、ノブレス・オブリージュの体現者たる器を持っている。

 既に伯爵には事情を伝えており、迷惑をかけることに対しての謝罪もしてある。そして婚約破棄という目的が果たせた後、どう贖罪するかまでが話し合って決めていることだ。


「わたくしは、義父ちちに恥じることはしておりませんわ」


 恥じるくらいならば、初めからこんな提案などしない。

 ギリ、と奥歯を噛み締め、隣で困ったように眉を下げているリナーシェの腰を抱き寄せ、第一王子はもう一度吐き捨てた。


「もう良い。君との婚約は無かったことにしてもらう」


 行こう、とリナーシェに声をかけ、不機嫌を隠しもしない表情のままで第一王子は彼女と共に去って行った。

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