SF飯 ~サイバーパンク・グルメリポート~

和田正雪

第1話 エナジーフード

 人間の食事は劇的に貧しくなった。

 栄養失調になるとか餓えるとかそういった意味ではない。

 餓死者は限りなくゼロに近い。

このニュートーキョーでは尊厳を捨てれば絶対に餓死することはない。食事に興味がなく、ただ生き永らえることができればそれでいいという人間にとってここはユートピアだ。

 では貧しくなったとはどういうことか?

それは見た目も味もへったくれもない栄養食であればいくらでも与えられる――ということである。

 ある意味で世界で一番貧しい食事が無制限に食べられる豊かな街。

 一方でそれでも食事にこだわって生きていきたいという私のような変わり者にとってはなかなか難易度が高い街でもある。

 とにもかくにも私はどんなに不味かろうと食べ物を料理の状態にし、きちんと自分の手と口で摂取したいのだ。

 そのためにこの美食家にとってのディストピア、ニュートーキョーのカブキで必死に働き、不味い飯を追い求めている。


     ※


 今日はタフな仕事だった。

 地下スモウファイトクラブで行われている違法大会の取り締まりだ。

 身体改造を施したスモウファイター達の凄惨な取り組みが行われ、多額の金が動いているという通報があったのはふた月前のことだ。

 警察の下請けであるフジヤマセキュリティサービスの社員である私はようやくそのファイトクラブの場所を突き止め、他の社員達と共に乗り込んだ。

 もちろんこちらも武装はしているし、カラテの心得もある。

 しかし、この賭場を取り仕切っているヤクザはもちろん、身長二メートル五〇センチを超えるサイボーグスモウファイターが抵抗してくると当然無傷で済む可能性は低い。

 本来なら元請けである警察や殺人ライセンスが発行されているサムライセキュリティサービスに丸投げしてしまいたいところだ。

 だが、警察はこんな汚れ仕事はやらないし、サムライセキュリティサービスは超高額の保険に加入しているお得意様の案件でしか出動しない。

 危険な指名手配犯狩りのようなキツい仕事は常にうちのような中堅下請けがやらざるをえないのだ。

 社員一同、暗澹たる気持ちで現場に向かうことになったのだが、運よく催眠ガス、広範囲ジャミングの許可が下りたため――一般人にも被害が及ぶ可能性があることなら街中では滅多なことで許可は下りない――一網打尽にすることができたのだった。

 これで会社にはかなりの額が入るはずだ。

 ちょっとしたボーナスも期待できる。

 

「今日は楽勝だったな」


 会社の更衣室で防弾チョッキや武装を外し、スーツに着替えた同僚のオダギリが笑いながら肩を叩いてくる。


 ――どこがだよ。催眠ガスの使用申請が下りる前は泣き出しそうだったじゃねぇか。


 私は呆れながら肩を竦めた。


「毎回こうだといいんだがな」


 それには私も同意だが、次もこうはいかないだろう。

 帰り道にも既にチンピラの喧嘩を二回も見かけている。

 誰もが餓えることのない世界は平和ではいられなかった。

 人間というのは暇に耐えられないようにできているらしい。

 仕事や金がない人間が命を繋ぐために仕方なく盗みや強盗を働いていた時代もあったようだが、みな餓えなくて済む世界になっても犯罪は減るどころか増える一方だ。

 腹だけは満たされた暇を持て余した人間はどうやら悪いことをする傾向にあるようだった。

 結果的に治安は悪化し、ニュートーキョーは犯罪者とそれを追う者の人数が加速度的に増加した最低最悪の街になってしまった。


「意外と早く片付いたけど、これからどうする? なんか予定あるか?」


「いや……」


 こんなに早く仕事が終わるわけがないと思っていたのだから予定などあろうはずもない。


 ――飯でも食いに行くか。


 と思ったがこの同僚は飯を食わない。

 時間と金が無駄だという発想の人間だ。


「じゃあ、マージャン行こうぜ」


 断るのも無粋というものだろう。


「あぁ」私は首肯した。


 カブキには一〇〇〇点一〇〇円、チップ五〇〇円レートの合法マージャンカジノが乱立している。

 もちろん違法レートの店も同じくらい存在しているが職業柄そこに出入りするのは気が引ける。

 私もマージャンは嫌いではない。


「だけど、腹が減ったな」


 私はオダギリがどう応えるかわかっていたし、その返答は求めているものではなかったのだが、仕方がない。


「栄養補給所【エナジーバー/エナジースポット】でいいだろ」

「あぁ」


 ――良くはない。良いわけがない。


 良くはないのだが仕方ない。社会の付き合いとはそういうものだ。

 今日は不味い飯は諦めて同僚とただ栄養だけを補給しに行くとしよう。


 栄養補給所【エナジーバー】カブキ支所。

 カブキシティのセントラルロードだけで三軒ある。混む時間帯はあるが、だいたいいつ行っても待たされるということはない。

 なぜなら一人あたりの滞在時間が短い回転率が極めて高い施設だからである。


「どれ入る?」


 食事の内容に選択権はないが、どこに入っても同じものが出てくるエナジーバーの選択はさせてもらえるらしい。

 出てくるものは同じだが内容が違う。


「和風にしよう」


「いいぞ。ホント、お前は食事にこだわるよな。あそこだとやっぱりちょっと味が違う気がするのは俺もわかるな」


 本当はバーの内装ではなく、口に入れるものにこだわりたいところだ。

 和風バー以外の二か所は病院のような真っ白な空間で――うち一軒は椅子すらない――たかが一瞬の栄養摂取でも気が乗らない。

 私たちは藍色のノレンを潜り、受付のパネルの前に立つ。

 オダギリは二番、私は三番だ。


「じゃあ、また後でな」


 我々は踏込で靴を脱ぐと、艶のある無垢の廊下を通ってそれぞれ指定された個室へと向かう。

 襖を開けるとそこは二畳ほどしかない掘りごたつだけの小さな個室だ。

 私が腰掛けると机上の液晶端末からアナウンスが流れる、


『ようこそいらっしゃいました。IDの認証をお願いします』


 私は端末に手首を近づける。

 手首に埋め込まれたマイクロチップが読み取られるのがわかる。


『サワダ様ですね』


「あぁ」


『エナジーフード自体の味を調整する場合はそのままお待ちください。脳内で調整する場合は神経接続をお願いします』


 エナジーフードは味覚を錯覚させることで少しでも美味いと感じるように調整することもできるし、エナジーフード自体に味をつけることもできる。

もちろん人口調味料の味付けには限度があるのだが。

 私は液晶からケーブルを引き出し、自身の首元の神経接続ジャックに繋ぐ。


『サワダ様の状態にあわせた栄養素を調合します。本日はビタミンE、カリウム、カルシウムがやや欠乏気味ですので多めに配合されます』


「任せる」


 ――どうでもいい。


『味の御希望はございますか? なければサワダ様の体調から一番欲していると予想される味にいたします』


 ――どうでも、よくないな。


 ここは少しだけ真剣に考えなければならない。

エナジーバーの食事は繊細な味付けなどはできない。甘いか辛いかしょっぱいか苦いかなど極端なものになりがちだ。

 実際に人間というのは自分に足りない栄養を含んだ食料の味を求めるようにできているらしい。

 しかしこの施設がどういった基準で味を調整しているのかはわからない。

これまで「あなたがもっとも欲しているのはこの味です」と言って出てきたものが美味かった試しはないが、かといって自分で「やや甘め」「少し苦く」などと言ってみたところで美味かったことはない。


 ――どうせビミョウな調節はできないんだ。


 料理の味を錯覚させるのではなく、単純に味覚に刺激を与えるだけのことに期待はできない。

 こうなったらもう諦めよう。


「味はいらない。無味無臭で」


 極端に甘いとか辛いとかは過去に失敗している。

 で、あればもう死なないための栄養を摂取する作業だと割り切ってしまえばいい。

 何の味もいらない。

 水を飲むようにして栄養を流し込んでしまおう。


『かしこまりました。少々お待ちください』


 と聞こえるやいなやすぐに壁についている小さな窓――エナジーフード取り出し口――にコップが到着する。


『お待たせいたしました』


「待ってない」


『いつもそうおっしゃいます』


「待ってないんだから、待ってないというだろう」


 私は取り出し口からグラスを取り出す。

 中身は見慣れた白濁液だ。

 この中に炭水化物、たんぱく質を中心に個人用にカスタマイズされた栄養素が含まれている。

 胃の中で膨らみ、一定時間留まるように設計されており、空腹感も抑えられる。

 まさに人類の英知。

 そして私が最も嫌いな食べ物――いや、飲み物か?――だ。


「はぁ……」


 私はグラスを一気に煽る。


 ――どうせ味もなにもないんだ。


 と思ったが、どうやらそうではないらしい。

 味覚を遮断しているはずなのに脳ははっきりと『不味い』と伝えてくる。

 そう、私は味覚を遮断していても触覚は残しているのだ。

 舌の上を泥のような液体が通過し、喉の奥に落ちていく。

 そう、これはまさに泥だ。

 もちろん泥など食べたことはないだが、そうとしか形容できない。

 そして胃の中から湧き上がる膨張感。

 味がないというのはこの感触だけをダイレクトに感じなければならないということなのだと初めて知った。

 今すぐにでも吐き出してしまいたいが、栄養が潤沢であるという事実が貧乏性である自らを吐かせない理由になってしまっている。

 胃が裏返りそうな吐き気を催したが、私はセキュリティサービス自慢の根性で喉の奥を締め付け、胃の痙攣を押さえつけ、一気に飲み干した。


「おぇ、ご馳走様でした」


『本日もご利用ありがとうございました。今後は何かしらの味付けをおすすめいたします』


「あぁ、そうするよ」


 私の口座からわずかなクレジットが引き落とされる。

 収入によってエナジースポットの支払い額に変動はあるが、一定以下の年収の者はセーフティーネットの一環として無料だし、私のような多少の収入がある者にもその徴収額は極めて安価だ。

 懐は痛くも痒くもない。企業によってはエナジーフード代は全額支給のところもあるという。

 ともかく今日も命を繋いだ。

 メシですらない栄養が入った泥でただ命を長らえるだけ。

 私はニュートーキョーの家畜だ。

 今日はもう仕方ない。

 だが明日は不味い飯で家畜からせめて奴隷になろう。

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