第62話 ニートの涙

 スープの中に過剰な銅成分が含まれている事実。そしてそれをホビットに打ち明けようとした結果、かえって彼を失望させてしまったことに僕は悩んでいた。


 ではこれから僕はどうすればいいのか? ホビットが泣き崩れて以来、僕は部屋に引きこもるようになっていた。


 そして月に一度の健康診断、正確には四週に一度行われる健康診断当日になった。


 僕は部屋の外の廊下を見渡すと、そっと自室を出た。


 すでに医務室前は芋を洗うかのように人でごった返していた。早く診断を終えて、自室に引きこもるのだ。そんな決意が皆の目にたぎっていた。


 そんな中、ホビットの姿を見かけた。どう接していいか分からないでいると、彼の方から歩み寄って声を掛けてきた。


「よう、クロパン」

 いつもの陽気で気さくなホビットだ。僕らは挨拶をかわし、医務室前の列に加わる。そしてたわいもない話をしながら採血の順番がくるのを待っていた。——僕がここを出て行く話は互いに切り出すはずも無かった。

 と、そこでホビットが突然うずくまった。


「大丈夫?」

 手で口を押さえていたホビットが、掌をじっと見る。そこには毒々しい色をした鮮血が掌に広がっていた。それも血液というには余りにも青みがかっていて、普通の状態でないことは一目瞭然だった。  


**********************************


 医務室の病床に運ばれたホビットを、僕は貧相な丸椅子に座りながら看病をした。といっても、常に看護師が待機しているため、彼の容体を見守ることしかできなかったけど。

「悪いな、心配かけちまって」

 ホビットがベッドで横たわりながら言った。


 病室の窓から雨が降っているのが見えた。梅雨の時期は終わったと天気予報では言っていたけれど、島ではそんな気配はまるでなかった。

「大丈夫なの?」

「ああ、単なる鼻血だ。それを御大層に医務室のベッドで点滴まで受けてしまうとはな」


 ホビットはそう言うが、心なしか元気が無かった。おそらく先ほどの鼻血が、鮮明な赤色をしていなかったことを、心のどこかで気に掛けているのだろう。それは僕も同じだった。


「どうしたら元気になる?」


 僕はどう気遣って良いか分からず、途方もないくらいアバウトな質問をした。


「なんだよそれ。人を末期癌患者のような扱いしやがって」

 ホビットは力なく笑った。先ほどの血の色とは打って変わって、血色はだいぶ良くなってきたみたいだ。


「そうやって俺の傍でじっとしていても退屈だろ。早く自分の時間を過ごせよ。俺も元気になったらまたパーティーに加わるからさ」


 ホビットはそう言うものの、僕の心は既に決まっていた。


「なあ、なんか言ってくれよ。またニートザワールドで一緒に冒険しようぜ」

 ホビットの言葉に僕は頷いた。そして、

「ああ、僕たちはいつも一緒だよ」と答えた。


「それを聞いて安心した。でも変だなクロパン」ホビットは言った。「どうして泣くんだ?」


 僕は知らず知らずの内に泣いていた。止めども無く溢れて来る涙を、僕は留めることが出来なかった。僕は手の甲で涙を拭うと、

「ゴメン、なんでもない。気にしないで」

 とだけ言った。


「そうか。分かった。俺はちょっと疲れてしまったみたいだ。少し眠るとしよう」


 そういうと寝返りを打って、僕とは反対の方へとホビットは向いた。


 医務室を出るとき、彼の小さな体が小刻みに震えているのが白いシーツの上からでも分かった。



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