【御陵菜衣美】船内での格闘

第78話 貴公を懲戒免職とする

※この章より話し手及び視点が「御陵菜衣美みささぎないみ」に変わります。



須藤の隣で眠っていたわしがその異変に気が付いたのは、船の揺れが急に激しくなったからだ。


 西野が操舵をあべこべにしたのか、目的地が見えたので速度を上げたのかは分からぬが、その振動に狂気めいたものを感じたのだ。


 予感は的中した。西野が変異していたのだ。山科を我が物にしようとする寸前のところでボールを投げつけ、これを阻止。今、黒い下着姿の西野が、片膝と片手を床につきながらわしを睨みつける。


 彼女の腕を見ると、人に噛まれたあとがくっきりと付いている。


 女性ホルモンの多い人間は変異者に襲われないという山科ユージンの話であったが、これはどういうことなのか? そこでサービスエリアでの出来事を思い出した。


 初めに買い物袋を提げて売店を出てきたとき、変異者に襲われなかった西野が、もう一度代金を支払うためにと売店を往復したときには、彼女の着衣が乱れていた。


 おそらく再び売店に戻った際、とがめられたアルコール類を密かに摂取したのであろう。アルコールは一時的ではあるが、急激に女性ホルモンを減少させる働きがある。それに加えて煙草だ。煙草の臭いも女性ホルモンの分泌臭を消し去ったのだ。


 嗅覚 > 視覚 > 聴覚


 変異者はこの優先順位で襲う対象を選別していることを、今改めて思い知らされた。


 西野はサービスエリアからワゴン車へと戻る途中に襲われ、逃げ帰って車に乗った、と考えれば合点がいく。あのときトラックドライバーの変異者に噛まれた感染の症状が今頃現れた、と考えるのが妥当だ。


「貴公、酒を飲んだな? あれほどきつく命じておったのに」


 西野がわしを睨みつけながら立ち上がる。目の前にいる女は、当学園の教師ではなく、無垢むくな生徒をかどわかすただの変質者だ。


「規則、規則、規則、相変ワラズクソ真面目ナ小娘ネ。ソンナダカラ男ガ寄ッテ来ナイノヨ。アッ、ソウカ。ソノ貧相ナバストデハ男ナンテ寄リツカナイカ」


 西野が口から舌を出しヘビのようにビラビラさせながら、黒のブラジャーで包まれた自身の胸を両手で揉みしだく。

「イイデショコレ、欲シイデショ?」


「言いたいことはそれだけか、西野」


「私ト交ワレバ巨乳ニナレルノヨ。ドウ、欲シクナイ? 男ヲ惑ワス魔法ノチカラヲ」


「魅力を作り出すのは人の心だ。胸の大きさはそのきっかけにしか過ぎぬ。貴公のような邪な考えでは、魔法と呼ぶその身体も抜け殻同然だな」


 西野はそれを聞いて高笑いをした。


「恋モマトモニシタコトナイクセニ偉ソウナ口ヲ叩イテカラニ。チョウド良イ機会ダ。私ノ身体ヲ張ッタ性教育ノ現場ヲ、ソコデ指ヲ咥エテ見テイナサイ。愛ノ形トイウモノヲ、小娘ノオマエニモ見セテヤロウ」


「未成年との淫行は、青少年保護育成条例により歴とした犯罪だ。現時刻をもって理事長代理として貴公を懲戒免職とする」


「フン、イツモイツモ生意気ナコトバカリ言ッテ。前々カラオマエノコトガ気ニ入ラナカッタンダヨ!」


 西野の姿が一瞬視界から消えた。超人的な跳躍でわしの顔に研ぎこまれた爪を立てようとした。


 腰を低く落とし左右に軽くステップを踏むと、空中の西野に目掛けて回し蹴りを放つ。蹴りが西野に命中はしたが、交差させた両腕でガードされたまま後方へと吹き飛んでいった。その勢いのまま反転し、床へと着地した。敵ながら見事な防御。


「ハハハハハッ、小娘ニシテハイイ蹴リシテルジャナイ。オッパイヲシボマセルホド、身体ヲ鍛エアゲタ成果ネ」


 西野が足を斜めに振り、履いていたパンプスを両足分飛ばす。素足に近い状態なら、さらに動きやすくなると考えたのであろう。——西野は戦う気満々だ。


「余計なお世話だ」


 臨戦態勢を取るため、その場で軽やかにステップを踏む。カポエイラの基本、ジンガ。他の格闘技で言うところの「構え」に相当する。


「アアソレ、確カ手枷てかせヲサレタ奴隷ガ、ヤムヲ得ズ足技ヲ習得シタトカイウ」


「それは後世の作り話だ、にわかめ!」


「フッ、ソンナ足技モコレナラドウカシラ?」


 西野が横へ揺れ動く。気配を感じ取れぬまま一瞬の内に背後を取られ、わしは羽交い絞めにされる。


「サア、遅効性ノウイルスデ、オマエモユックリ念願ノ巨乳ニシテヤロウ」


 耳の後ろで、西野が大きく息を吸い込むのが聞こえた。おそらく、わしのうなじに噛みつく気なのであろう。だが、少しも焦りはしなかった。


「カポエイラが、何も足技だけの格闘技だと思うなよ」


 頭を前に倒し、「頭突きカベッサーダ!」と勢いをつけて西野の鼻柱に頭突きを喰らわせた。


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