第176話集中力と緊張感
セオフィラスの思いを聞いた週明け。
レセリカはどこかほわほわとしており、集中力に欠ける時間が増えていた。原因は当然、セオフィラスのことだ。
「レセリカ様。また心を飛ばしておいでですよ」
「っ、あ、ありがとうダリア。助かるわ」
自分がうっかりぼうっとしてしまうことを自覚していたレセリカは、有能な侍女であるダリアにその度に声をかけてもらうようお願いしていた。
現在、時刻は授業も終えた夕方。この日、レセリカがダリアに声をかけられた回数は両手の数を超えている。
学内にいる間は一緒にいないので、実質ほんの数時間ほどでこれである。
「こんなことではダメね。今週末はいよいよ例の交渉の場につくというのに」
赤くなった頬に両手を当てて、顔の熱を冷ますレセリカの愛らしさは破壊力抜群である。
ダリアはわずかにうっと息を詰まらせた後、すぐにレセリカをフォローした。
「切り替えれば良いのですよ。授業中は集中力を切らしていないと、あの護衛の青年から聞いています」
「それはそうだけれど……休み時間はジェイルにも迷惑をかけてしまったわ」
実際、ジェイルもまたダリアと同じように時々レセリカを呼び戻してくれていた。
事情もちゃんと知っている彼は、ニヤついてしまうのを堪えるのが大変だったことだろう。
「いつも気を張っている必要はないのですよ。そのための護衛なのですから。頼ってしまえばいいのです」
「とても頼もしいと思っているわ。感謝しなきゃね。もちろん、ダリアにもいつも感謝しているわ」
「ありがとうございます」
思わぬところで褒められたダリアは嬉しそうに微笑んだ。
ただ、褒められたことよりもレセリカが幸せそうであることの方が喜ばしいとダリアは思っている。
あの忌まわしき過去を知っており、己の命を懸けてやり直したダリアにとって、それだけが希望なのだ。
このまま何ごともなく幸せに、王妃としての道を歩んでほしい。ダリアが望むのはただそれだけであった。
※
「本日はお呼びくださってありがとうございます。わざわざ僕を指名してくださったとか。かの有名な公爵様からの依頼だなんて光栄です。今日が来るのが楽しみで仕方ありませんでしたよ、ベッドフォード公爵」
ベッドフォード家の屋敷にて、客室でオージアスに恭しく頭を下げているのはシィ・アクエルだ。
癖のある暗い青髪を肩口で揺らし、軽くハーフアップに結っている。穏やかな微笑みを浮かべているが、細いフレーム眼鏡の奥で光る青い目は笑っていない。
そんな彼は、予定通り単独で時間ピッタリにやってきた。
シィは、レセリカやロミオのことをよく知っているにもかかわらず、一切そちらに視線を向けることがない。
知らない者がいれば初めて彼らに出会ったのかと思うほど他人行儀だ。纏う雰囲気もレセリカの知る者とはまるで違う。
学園で教師をしていたシィと、本当に同一人物なのかと疑ってしまいそうになるほどだ。
目の前にいるのは教師ではなく、水の一族シィ・アクエルなのだと嫌でも思わされる。
レセリカは彼の持つオーラに呑まれないよう、ロミオと並んでお腹に力を込めて立っていた。
「大げさな挨拶は不要だ。時間の無駄だろう。君だって、なぜ呼ばれたのか予測がついているね?」
「はて、皆目見当もつきませんね」
「ふっ、息をするように嘘を吐くのだな。まぁいい」
対応をするのは主にオージアスだ。レセリカとロミオは無理を言って同席を頼んだが、口出しはするなと父に厳命されている。
(下手に口を開けば、吞まれてしまうわね……改めてお父様はとてもすごい方だと思い知らされるわ)
確かにシィは凄まじい存在感を放っているが、オージアスも負けてはいなかった。
むしろ、年齢による貫禄があるからだろうか、場数を踏んでいるからだろうか。一切動じる気配のないオージアスはとても頼もしい。
決して相手のペースに持って行かせない、そんな強い意思が感じられた。
「腹の探り合いをしに来たわけではあるまい。本題に入らせてもらう」
「話の早い人は好きですよ。お聞きしましょう」
座れ、とオージアスが言うと、シィはすぐにソファに腰かけた。目の前の席にオージアスが座り、両膝に腕を置いて両手を組む。その眼光は鋭い。
「私は、君に何か仕事を頼みたいわけではない。君の持っている情報を買わせてもらおう」
「ほう? これは珍しいことをおっしゃるお客様だ」
ピリピリとした空気が室内に流れる。ソファの近くに立ち、ただやり取りを聞いているだけでも緊張感で足が竦みそうになる。
そんな時、隣に立つロミオがそっとレセリカの手を握ってくれた。驚いて目だけをロミオに向けると、わずかに微笑みながらレセリカを見つめている。
(ああ、随分頼もしくなったのね)
涼やかな顔をしながら、気圧されそうになっているレセリカを支えてくれる。姉さまと後ろをついて回っていた甘えん坊の弟は、いつの間にこんなにも成長していたのだろうか。
ロミオのおかげでホッと肩の力を抜いたレセリカは、繋いでくれたロミオの手をキュッと握り返した。それだけで勇気が湧いてくる。
「僕はてっきり、毒を使って誰かを消したいのかと。ああ、気分を悪くされたら申し訳ありません。僕のお客様は、そういった方が多いので」
「そうだろうな。口ぶりから察するに、シンディー・バラージュからの依頼も、か?」
「はて、どなたのことでしょう?」
その間にも、シィとオージアスのやり取りは続く。どちらも引く様子がないようだ。
「ふっ、やはりタダでは漏らさんか。ではハッキリ言わせてもらおう。いくらあれば君は、前の依頼主の情報を売る?」
普段無表情なオージアスの浮かべるニヤリとした笑みは、多くの者を震え上がらせることだろう。
だがシィはその笑みと言葉を受けて、とても嬉しそうに笑うのだった。
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