第132話伯爵令嬢の決断
時は少し遡る。
夏季休暇のため、実家へ戻る支度を済ませていたラティーシャの下に、一通の手紙が届いていた。
(帰省前に時間をいただけませんか、ねぇ。リファレット様ったら、まだ私を諦めていらっっしゃらないのかしら)
送り主はリファレット・アディントン。ラティーシャの一応の婚約者である。
その名を見るとどうしても以前行われた個人面談を思い出す。シィに言われた余計な話は今も時々思い出してはラティーシャを不機嫌にさせていた。
『ところでラティーシャさん。貴女はそろそろ、セオフィラス殿下のことを諦めたのではないですか?』
自分の進路について話があっさり済んで、時間も大幅に残したまま退室するのだろうと思った時だ。
シィから急にそんなことを言われたラティーシャは一瞬何を言われたのか分からずポカンと口を開けてしまった。
『自分でも驚くほど、レセリカさんを好きになっているのでしょう?』
そんな自分を置いてけぼりにするかのように、シィは勝手なことを話し続けたのだ。
(全てお見通しとでも言うかのようなあの態度……! なんで私はあの時、もっと言い返さなかったのかしら!)
驚きの方が勝っていたあの時のラティーシャは、ただ呆気に取られてシィを見つめ返すことしか出来なかった。それが悔しいからこそ、いまだに思い出しては苛立ちを募らせている。
(いくら顔が良くても、あんな失礼は許せないわ! 水の一族ってみんなそうなのかしらと勘ぐってしまうわよ!)
とはいえ、もちろんあの場でも言われっぱなしだったわけではない。我に返ったラティーシャはちゃんと言い返すこともしたのだ。
『そろそろ、リファレットさんと向き合ってみては?』
『なっ、よ、余計なお世話ですわ! 教師というのは生徒のプライベートにも首を突っ込むという無粋なことをなさるものなのですか!』
あれほど屈辱感を味わったのは初めてだった。カッと頭に血が上り、しかし相手は教師ということで必死で冷静を装った。
あの場で叫びでもしたら、外で面談の順番を待つレセリカにも聞かれてしまっていたことだろう。それはラティーシャのプライドが許さなかったのだ。もはや意地であった。
ラティーシャが言い返した後も、いかにアディントン家との婚約が有意義か、シィは懇々と説教を続けた。
良かれと思って言ったのかもしれないが、どうもあのシィという教師に馬鹿にされているような気がする。
そうは思ってもあの面談の場で勝手に退出することも、ましてや激昂することも出来ない。
両親からそういった説教をされたことがないラティーシャにとって、あの時間は苦痛でしかなかった。そのせいで面談時間が大幅に延長してしまったことにも腹が立つ。
だが逆に長くなったことで次第にどうでもよくなり、退出する頃にはかなり気持ちも落ち着いた。おかげでレセリカに八つ当たりせずに済んだのである。
(本当に失礼な方だったわ。なぜ部外者が人のデリケートな問題に……)
ふと、ラティーシャはあることに思い至ってピタリとその動きを止める。あの時もこれまでも、あまりの腹立たしさに気付くことはなかったことだ。
『余計なお世話なのは確かなのですがね。主にリファレットさんにとって』
────なぜ、シィは知っているのだろうか。
『……彼がいつも、貴女を切なそうに見つめているので。とても見ていられないのですよ』
ラティーシャとリファレットの婚約は、制限付きのいつ解消されてもおかしくない婚約である。それを両家ともに納得しており、はっきりとするまでは互いに婚約の件は公にしない約束だ。
百歩譲って、婚約についてはどこからか漏れたとしよう。だがなぜ、婚約の条件まで知っているのか。
ラティーシャがセオフィラスを想っていることは、あの事件があったことで広く知れ渡ってはいる。教師であるシィが知っていてもおかしくはないことだが。
(セオフィラス様に振り向いてもらえなかったその時に、ようやく婚約が成立するって約束をどこで知ったというの……?)
ラティーシャは寒気を覚えて自分の身体を抱き締める。水の一族が自分の担任であったというその恐ろしさを、学年が変わる今になってようやく実感したのだ。
一体、どこまで知られているのだろうか。いや、おそらく全てだろう。ラティーシャのような小娘と呼べる年齢の隠しごとなど、苦もなく暴かれてしまうのだ。
現に、実はすでにセオフィラスを諦めていることや、あまり認めたくはないがレセリカを好ましいと思っていることも言い当てられてしまった。
「……そろそろ潮時だってことなのかしらね」
お前に逃げ場はないと突き付けられたような気分だった。諦めてリファレットの妻になれと、この世の全ての人から言われているような錯覚に陥る。
フロックハート家に、ラティーシャの居場所はない。成人をとうに迎えて後は婚約者と結婚するのみである兄が跡を継ぐためだ。
今まだ結婚していないのは、単純に兄がラティーシャの住む実家で暮らしたくないと主張しているためだ。娘を溺愛するあの家が、次期当主である兄にとって居心地が悪いのは当然といえば当然だった。
つまり、ラティーシャが嫁ぐのを待っている状態なのである。それは、学園を卒業と共に家から出なければならないということでもあった。
「あと、三年……」
まだチャンスがあるかもしれない……とは、すでに思えなくなっていた。
レセリカを見ていれば、まだ自覚がないだけでとっくにセオフィラスに想いを寄せているということくらいわかる。
セオフィラスに関してはその気持ちを隠そうともしない。あの二人は、きっと誰かが間に入る余地などないくらい仲睦まじい夫婦となるのだろう。
そのことに納得し、受け入れてしまっている自分がいる。出来れば気付きたくはなかった。
だが、本当にセオフィラスが好きなままであったらこの状況を絶対に認められないし、今頃は怒りで爆発しているはずだ。ラティーシャは己の子どもっぽい性格を少しは自覚しているのである。
ならば道は一つだ。自分を愛してくれている相手と一緒になればいい。その道は開かれているし、後は自分が首を縦に振れば全てが解決するのだから。
「でも私、ああいうタイプは本当に苦手なのよ……」
いくら愛を向けられていても、好みだけはどうしようもない。ただそれが、わがままにすぎないことくらいは理解していた。
ラティーシャは長いため息を吐きながら、再び手紙に視線を落とす。
「少しは、歩み寄る努力をするべきかもしれないわね……」
堅物そうで大柄で、筋肉ばかりの男っぽい人。その父親であるドルマン・アディントンもまた似たタイプであり、それに加えてやや横暴なところがあると聞いている。それがよりラティーシャを怖がらせるのだが。
文机の前に腰掛けてペンを取る。時折、何度もため息を吐きながらラティーシャは了承の意を伝える文章を認めるのであった。
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