第131話二人の時間と誓い


 お茶会を終え、城内の通路をドロシアや侍女たちと共に歩いていると、進行方向からセオフィラスが早足でこちらに向かってくる姿が見えた。


「レセリカ!」

「セオ様」


 セオフィラスはレセリカに駆け寄ると、すぐに手を握りしめてきた。そのことにドキリと心臓が音を立てる。相変わらず、触れ合うことに慣れていないレセリカはいつも頬を染めてしまう。もちろん、嫌だと思う気持ちは一切ない。


 ただ、まるで奪い取るようにレセリカを引き寄せたのを見て、ドロシアは片眉を上げてセオフィラスを見下ろす。 


「まぁ、何? まるで私がレセリカを虐めていたのではないかと心配していたような態度ね?」

「……虐めていませんよね? 母上」

「いーい笑顔ねぇ? さて、どうかしら。はぁ、それにしても我が息子ながら腹立たしいくらい整った顔だわ」


 ふふんと意地悪に笑うドロシアを、疑いの眼差しで見上げるセオフィラス。

 なぜそんな意地悪を言うのかも、なぜそこまで疑うのかもレセリカにはよくわからなかったが、この二人が仲良しなのは何となくわかる。軽い冗談のようなものなのかもしれない。


「ま、いいわ。ほら、貴女の大切な婚約者をお返しするわ。仲良くなさい」

「ありがとうございます、母上」


 あまり長くは引き止めず、ドロシアはセオフィラスに向けてそれだけを言うと、わずかに微笑んでその場を立ち去った。

 その凛とした後ろ姿を見て、レセリカは慌ててその背に声をかけた。


「あ、あのっ、ありがとうございました。……お、お母様」


 レセリカの言葉を聞いてドロシアはピタリと止まると、すぐに振り返って飛び切りの笑みを浮かべた。


「……私の方こそ、楽しい時間をありがとう。レセリカ、私の娘」


 ご機嫌な様子で答えたドロシアは、今度こそその場を立ち去って行く。

 一方、不機嫌そうなのはセオフィラスだ。レセリカの肩を引き寄せながら顔を覗き込んで問いかけてきた。


「……レセリカ、本当に虐められていない?」

「と、とても楽しい時間を過ごさせてもらいました。相談にも乗っていただきましたし」


 距離の近さに顔を赤くしながらも、レセリカは正直に答えた。ドロシアは本当に気さくに接してくれたのだ。短時間ではあったものの、レセリカは義母となる人を大好きになったのである。


「私には相談してくれないの?」

「えっ、あの」

「母上にはしたのに。『お母様』なんて呼んで……そんなに私は頼りない?」


 しかし、どうもセオフィラスはそれが少々気に入らないらしい。実際はただの嫉妬なのだが、それが理解出来ないレセリカはしどろもどろだ。


「早く成人したいものだね。そうしたらレセリカだって、一番に私を頼ってくれるかもしれないのに」


 軽く口を尖らせて拗ねたように言う姿を見て、ようやくレセリカは気付く。あまり構ってあげられなかった時の弟ロミオと重なったのだ。

 けれど、相手はセオフィラス。同じように扱っていいものか悩むところである。レセリカは少し考えて、素直に思ったことを口にした。


「セオのお母様だから、私もお母様と呼べるですよ?」

「……そう、か。うん、そうだよ、ね」


 純粋なその言葉はセオフィラスの機嫌を一瞬にして治してしまったらしい。

 暫し、赤面した二人がただ黙り込んで向き合う無言の時間が流れる。後ろに控えていたダリアを含む侍女たちが温かな視線を送っていた。


「意地悪を言ってしまったね、ごめん。私が精進すればいいだけの話だった。さ、気を取り直して約束だよ。これからレセリカの時間を私にくれる?」

「はい。喜んで」


 ようやくセオフィラスが言葉を発し、まだ少し顔が赤いままの二人は王城の三階にある部屋へと向かった。

 そこもまた王族しか立ち入れない場所であり、セオフィラスたち王子や王女たちが幼い頃によく遊び場として使っていた部屋だという。護衛が部屋の外から警備しやすく、何かあればすぐに駆けつけられ、人払いも出来る場所なのだそうだ。


「誰にも邪魔されずに考えごとをしたい時にくるんだ。物がほとんどないから他のことに気を取られなくて済むんだよ」


 確かに、レセリカも自室にいると本や資料が目に入ってつい他のことをしてしまいがちだ。

 この部屋は家具は置いてあるものの、それ以外には観葉植物くらいしか置いていない。子どもの頃は遊具でいっぱいだったらしいが、今はその影もない。

 新学期から学園に入学する予定の末の王女、エミリアがたまに絵本を読みにくる程度しか使われていないという。壁側にたくさんの絵本棚が置いてあるのが微笑ましい。


「君が一般科へ進むと聞いた時……実はすごく驚いたんだ」


 セオフィラスはその絵本棚をそっと撫でながら、静かに言う。


「も、申し訳ありません。勝手に決めてしまって」

「謝ることはないよ。君はこれから王族に縛られることになる。学生の間に好きなことをするのを、誰も止める権利なんかない」


 セオフィラスの視線は絵本に向けられたままだ。どこか寂しさを感じるその様子に、レセリカはなぜか胸がギュッと締め付けられる。

 まるで、運命から逃れられないことを少しだけ憂いているかのよう。その運命にレセリカを巻き込んだことを謝られているような気分になったからだ。


 レセリカはキュッと口を引き結び、セオフィラスの横に立つ。


「……私は、縛られるだなんて思っていません。セオとの婚約をお受けしたのも、自分の意思です」


 実際、断ることなんて出来ない立場ではあったし、当時はセオフィラスのことをよく知らず、不安にもなった。

 だが、未来に立ち向かう覚悟を決めたのは他ならぬ自分自身なのだ。謝られるようなことは何もない。


「一般科に決めたのも、少しでもセオの役に立てるようにと自分で考えたからです。貴方がどれだけ素晴らしい人かということを、たくさんの人に直接伝えられます」


 そして今は。

 隣に立って、やや不安そうに瞳を揺らしている婚約者を守りたいというのがレセリカの意思だ。彼をサポートし、いずれこの国のトップに立つセオフィラスを一番近くで支えたいと心から願っている。


「私はお話を受けたあの日から、少しでも力になりたいって、セオの支えになれるようになりたいってずっと思っていて……それは今も変わっていません。そのための努力は惜しまないつもりです」


 そのために、彼の暗殺を阻止したい、と。たとえそれで、自分が身の危険に晒されたとしても。

 

「……レセリカ、私はなんて幸せ者なんだろうね」


 黙ったままレセリカの言葉を聞いていたセオフィラスは、少しの間を開けて呟いた。その微笑みがどこか泣きそうな顔にも見えて、今度はレセリカが言葉を失う。


「少しだけ、君に触れることを許してくれない?」

「え? ……あ」


 そんなセオフィラスに見惚れていたからか、レセリカの反応が少し遅れた。

 拒否するつもりはなかったが、レセリカが返事をする前にセオフィラスは彼女を自分の腕の中に閉じ込める。


(だ、抱き締められている……!?)


 それに気付いた瞬間、レセリカの心拍数が上がっていく。だが嫌ではなく、むしろ心地好さを感じている自分に気付いてさらに驚いた。

 少しぎこちなさの残るセオフィラスの腕は、見た目よりもずっと力強いものだった。ロミオとはまた違う、男の子の腕。レセリカはただされるがままになるしかなかった。


「君のことは、私が絶対に守るよ。その身も、心も」


 ギュッと腕に力が込められる。そのままレセリカの肩に顔を埋めたセオフィラスは、小さい声で、しかし力強い意志のこもった誓いを告げた。


 自分だけが、相手を守りたいと願っているわけではなかった。


 それを知ったレセリカは、嬉しいはずなのに泣きそうになる。


(ああ……さっきのセオも、こんな気持ちだったのかしら。だとしたら)


 セオフィラスも、先ほどの自分の言葉で嬉しいと感じてくれたのかもしれない。それが何よりも嬉しいことだとレセリカは思う。


「……私も、とても幸せ者です」


 辿々しい手つきで、レセリカもセオフィラスの背に腕を回す。そのまま、レセリカも彼の肩に顔を埋めた。

 まだ背の高さにそこまでの差がないからか、互いの顔が近い。きっとこの距離で顔を見てしまったら、自分は真っ赤になってしまうだろう。


 そうなったらどうしよう、という可愛らしいことを考えながら、レセリカはセオフィラスの体温の心地好さを感じて幸せに浸るのだった。

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