第123話困惑とヒント


 慎重になる必要がある。レセリカはいつも以上に頭を冷静に保った。

 自分は完璧ではない。冷静を装えるだけで意外とすぐに動揺してしまう。それを自覚しているからこそ自分に言い聞かせるのだ。


(無理をしてはダメ。判断を誤るわけにはいかないわ)


 深く追わず、不自然にならないように。レセリカは暫しの沈黙の後、静かに質問を口にした。


「……私にそのヒントを与えて、先生にどんなメリットがあるのですか?」


 まず、最も疑問に思うことを素直に聞いてみることにした。依頼を受けているというのなら、そんなにあっさりヒントを出すなんてあまりにもおかしい。


 例えばそのヒントを出してくれたとして、それが事実であるという保証もないし、レセリカの思考が混乱する恐れがあるのだ。それが狙いだというのならわからなくもないのだが。


 脳内であれこれと予想を立てながら返答を待っていると、シィはニコリと微笑み、軽い調子で椅子の背もたれに寄りかかった。

 もはや今のシィは教師としての顔ではない。アクエルとしての顔、もしくはオフの顔をしているように見える。


「メリットなどありませんよ。聡明な貴女のことですから、ヒントから僕が受けている依頼内容や依頼主まであっさりと言い当ててしまう、そんなリスクしかありませんね」


 ますます意味がわからない。完全に、レセリカをからかっているとしか思えなかった。

 レセリカがまだ子どもだからだろうか? それにしては、こちらの能力を買い被っているようにも思える。

 いずれにせよ、やはりこんなことを言い出した理由がさっぱりわからなかった。


 そんな疑問を察したのか、シィはクスクス笑う。あまり表情も態度も変わらないレセリカを見て判断したというのなら、相当観察眼に優れている。レセリカの思考を予想した、というのが正しいかもしれない。


「理由が必要ですか?」

「そう、ですね。先生がそのようなことを言い出す理由がわからないので、困惑しています」

「ククッ、素直な方だ」


 シィは楽しそうに声を出して笑うと、机に頬杖をついてメガネを一度クイッと上げる。その溢れ出る色気は、ますます教師らしからぬ姿だ。


「ならば理由をお教えしましょう。……つまらないからですよ」

「つまらない、ですか」


 思いもよらぬ返答にレセリカは軽く目を丸くした。誤魔化すにしてももっとそれらしい理由があっただろうに。


 だからこそ、それが真実なのではと信じてしまいそうになる。ただ、自分の判断だけで話を進めてはいけない。目の前にいる人物は、人を油断させるのが上手いのだから。


(……大丈夫。この会話はヒューイも聞いているはずだもの)


 心を落ち着けるよう自分に言い聞かせて、レセリカはシィの言葉を待った。


「ええ。これほどまでにつまらない依頼を受けたことはありません。やりがいなんて微塵も感じられないのです。報酬が弾むのはありがたいのですけれどね。……いえ、教師という仕事は予想以上に楽しかったので、その点については評価を改めますが」


 先ほどまでの楽しそうな様子から一変して、シィは心底つまらなそうな無表情で淡々と話し始めた。


 それはまるで、職場の愚痴を呟いているかのようで……レセリカはさらに困惑してしまう。これが嘘だというのなら、相当な演技派だ。


「依頼内容に関しては、どう足掻いてもつまらないのですよ。多少、寄り道してお遊びを入れなければやってられません」


 シィはそう言うと、最後に大きくて長いため息を吐いた。整った容姿とサラリと揺れる少し長めの青髪が妙に艶めかしい。伏せられた目により、長いまつ毛がよく目立った。

 青い瞳がパッとレセリカに向けられる。目だけでこちらを向くシィはさらに色っぽさを増しており、なぜだか気恥ずかしさを感じた。レセリカには少々、刺激が強いらしい。


「ですから、僕の暇つぶしに付き合うつもりで。ヒント、聞いてみませんか?」


 いわゆる流し目というものを向けられたレセリカは、反射的にその目を逸らす。見てはいけないような雰囲気があったためだ。初心なのである。


 そんなレセリカの反応が愉快なのか、シィはさらに笑みを深めた。

 やはりからかっているのだろうか。この男の本心は本当に見えにくい。


(相手が悪すぎるわ。あまり時間をかけるとこちらの情報を取られてしまいそう。それに、いつヒューイやダリアが痺れを切らして出てきてしまうかわからないもの)


 レセリカは困ったように小さくため息を吐いてから、諦めたように告げた。


「ヒントを言われても、私は聞くことしかしませんよ? 先生のおっしゃるように言い当てたりなど出来ません」

「それでもいいのです。話を聞いてくれるだけで僕もありがたいので。ですが……貴女はきっと当ててしまうと思いますけどね」

「買い被りすぎです」


 実際、聞いてしまえばついあれこれ推理はしてしまうだろう。だが、それによって導き出された答えが正解とも限らないし、シィによってそう誘導されているのかもしれない。

 聞いても聞かなくてもどちらでも良い。いずれにせよ、証拠を押さえない限り真実はわからないのだ。


「まぁ、それはどちらでもいいんですよ。本当に聞いてほしいだけなんです。だって僕の一族のことを知っていて、なおかつ迂闊に人に漏らさず、害もない人物なんて……貴女くらいしかいませんから。レセリカさん」


 どうやらシィは聞いてもらいたいらしい。ここまで引っ張るということは、そういうことなのだろう。


「聞いてほしいのなら、最初からそうおっしゃってください。時間もないことですし、どうぞ?」

「ふふっ、なかなか言いますね? ではお言葉に甘えて」


 シィは、先ほどのように笑みを消して真顔になると、声のトーンを落として話し始めた。


「……僕はね、貴女とフレデリックさんに関する依頼を受けているのです。ああ、危険なことは何もありません。それはお約束しますよ」

「フレデリック、殿下……?」


 やはりフレデリックに関することだったと納得した反面、そこでなぜ自分の名が出てきたのだろうという疑問が湧く。

 シィが自分の判断でレセリカに探りを入れていたのではなく、依頼主からの依頼の中にレセリカの名があったということだろうか。


 その事実に、レセリカは悪寒を感じて小さく身震いをした。


「はい。このつまらない依頼を終わらせるためにも、どうか一度だけでいいので彼とゆっくり話をしてもらえないでしょうかねぇ? 僕を助けると思って」


 あまりの衝撃的な事実に何も言えないでいると、これで面談は終わりです、とシィが教師の顔でそう告げた。

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