第122話教師と面談
レセリカが入室すると、穏やかに微笑むシィが席を立って申し訳なさそうに口を開いた。
「申し訳ありません。かなり時間を過ぎてしまいましたね」
「いえ。仕方のないことですから」
どうぞ、と促されるままレセリカはシィの前に用意された椅子に優雅に座った。少しの隙もない所作を見て、シィは感心したように小さく頷きながら自身も椅子に腰掛ける。
「まさかここまでお待たせすることになるとは僕も思っていなかったのですよ。のんびりしていると時間がなくなってしまいます。申し訳ありませんが、早速始めましょうか」
必要最低限のやり取りだけをするつもりだったレセリカにとって、それは願ってもないことだ。シィの言葉に頷きだけを返して質問を待つ。
「レセリカさんは、一般科へ進むことを希望していましたね? それは、本気ですか?」
ごく普通の質問内容に内心でホッと安心しながらも、レセリカは自分の考えを述べ始めた。
「ええ。一般家庭の生活や人々の様子を学べるのは学生のうちだけですから」
「なるほど。一理ありますね。ですが貴女の進路を聞いて学園長たちは大騒ぎでしたよ? 貴族家の頂点に位置するベッドフォード公爵家ともあろうお方が、平民を気になさるのか、と。ああ、別に平民を馬鹿にしている訳ではありませんよ? 少なくとも僕は」
貴族と平民を区別し、差別的な目で見るものは少なくない。教師の中にもそういった目で見る者がいるのも事実だった。逆に、平民が貴族に対して悪印象を抱いている者もいる。
彼らからしてみれば、公爵家で次期王太子妃であるレセリカがわざわざ一般科に進もうとするなど理解が出来ないことなのだろう。冷やかしだと思われる可能性も高かった。
「国は、民がいてこそですから。彼らの気持ちをほんのわずかでも理解出来ないと、人の上に立つことは出来ないと。私が、そう思うのです」
「……レセリカさんは次期王太子妃ですしね。素晴らしいお考えです」
どことなく「次期王太子妃」という言葉に含みを感じたが、レセリカは気にしない。この程度で気にしていたら、来年の学園生活など耐えられないのだから。
「やっかむ者がいるかもしれませんね。一般生徒からはお貴族様に何がわかると悪意を向けられたり、貴族からは貴族としての誇りはないのかと言われるかもしれません。それでも選ぶのですか」
「はい。それも一つの意見ということでしょうから。むしろ萎縮させて授業に影響を与えてしまわないか、そちらの方が心配です」
全てを理解した上で、それでも歩み寄りたいと願うのだ。市民が何を願い、どんなことに苦労をしているのか。それを知ることこそ、国のためになるのではとレセリカは考えている。
(……断罪される未来を回避出来たら、そして予定通り王太子妃となったのなら。少しでもセオフィラス様のサポートをしたいもの)
穏やかで優しい王太子。彼にはこのまま、民に好かれる王となってもらいたい。そのためなら、自分が冷徹な妃だと思われても構わないと思うほどに。
(あれほど、冷徹と思われることが悲しかったのに。セオフィラス様のためと思えば気にならないなんて、不思議ね)
それだけセオフィラスが大切な存在となっているということなのだが、レセリカはまだその本当の気持ちに気付いてはいない。
「ご自分の影響力をよく理解しているのですねぇ。良いことです。それに、意志も固そうです」
レセリカの返事を聞くたび、シィは楽しそうに笑う。
言葉ではあれこれとレセリカに考え直させるような、脅しのようなことを言っているのだが、レセリカが全く動じていないことを喜んでいるようにも見えた。とても説得しようとしているとは思えない。
「貴族家が一般科に進むというのは前例がないことなのだそうです。だからこそ上の方々に相談させてもらったのですが……」
シィはわざとらしく肩をすくめて教師側の事情を語り始める。学園長含む上の教師たちは苦労するだろう、とレセリカも予想はしていた。ただでさえ元素の一族を教師に迎えることになって頭が痛いだろうに、公爵家が一般科に進みたいと言い出すなんて。
レセリカはほんの少しだけ罪悪感を抱く。もちろん、変える気はないが。
「説得してくれ、と言われたのですよ。ですがおそらく無理です、とお答えしました。個人的にも、生徒の望みは出来るだけ叶えたいと思っていますからね。僕はなかなか良い教師でしょう?」
シィはどこまでもご機嫌だ。レセリカの答えが予想通りだったことが嬉しいのかもしれない。進路を応援してくれることはありがたいが、考えを読まれていたようで素直に喜べないレセリカである。
「冗談はさておき。学園長たちはどうしてもレセリカさんが一般科へと進みたいのなら条件付で認めるとおっしゃっていましたよ」
「条件、ですか?」
もっと止められると思っていただけに、意外にもあっさりと話が進んだことにレセリカは拍子抜けした。それこそ、父オージアスを呼ばれて説得される可能性だって考えていたのだ。
それでも意思を曲げるつもりはなかったのだが……おそらくシィだからこそ、ここまであっさりと意思が尊重されたのだろうと思う。他の教師であったら、もっと説得されていたはずだ。
それでいて後で学園長に聞かれた時、何度も説得しましたよ、と何食わぬ顔で報告するのだろう。その様子が容易に想像出来た。
「条件は、レセリカさんも一般生徒と全く同じことをさせるということと、公爵家と言えど忖度をしないということ。特別扱いはしないってことですね。それについて一切の文句を禁じること、になります」
「……それだけで良いのですか?」
「ええ、それだけで良いのです。貴女なら大した条件ではありませんよね。わかっていました」
確かにその条件で文句を言う者はいるだろうし、承諾しておきながらいざ同じ態度を取られたら激昂する者もいるだろう。
だがレセリカにとって、むしろその条件は望むところでもあるのだ。萎縮されないか、他生徒の学びの妨げにならないか、それが最も心配なのだから。
「他の生徒へのフォローについては、僕や他の教師にもお任せください。レセリカさんは自由に、お好きなことを学んでくださいね」
「あ、ありがとうございます」
最後に、柔らかく微笑んでそう告げたシィは心から生徒を思う教師に見えてレセリカは戸惑う。
だが、いくらそう見えても信用するなとダリアにもヒューイにも言われていた。出来れば素直に信じたいものだが、難しいところである。
「随分、意外そうな顔をしますね?」
しかし次の瞬間、信用するには早いと思い知らされる一言がシィから告げられた。
「僕が水の一族だからでしょうか。……気になります? 僕が今、どんな依頼を受けているのか、が」
まさかそう来るとは思っておらず、レセリカはただ目を見開く。自らその話を切り出してくるとは。探りを入れられることを警戒していたからこそ、予想外であった。
「貴女になら、ヒントくらいは教えて差し上げてもいいのですよ? 優秀で、崇高な志を持つ……未来の王太子妃様になら、ね」
これまでの優しい教師の顔はすでにそこにはなく、蠱惑的に微笑んだシィはまさしく水の一族アクエルとしての顔にしか見えなかった。
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