第71話使命と楽しみのバランス


 俯くレセリカを愛おし気に見ていたセオフィラスは、右手で頬杖をついた。テーブルに肘を置くなど本来は行儀の悪いことなのだが、流し目といい微笑みといい、麗しの王太子にはその仕草が妙に似合う。

 その行動は、彼がレセリカを前にかなりリラックスしているということでもあった。まだ十歳である彼の、年相応な少年らしい一面である。


「私は、フィンレイよりもレセリカともっと仲良くなりたいけれど」

「っ、お、お心遣いありがとうございます……!」

「本心なんだけどなぁ」


 クスクスと笑う楽しそうなセオフィラスの声が耳に心地好い。おかげでレセリカは、恥ずかしかった気持ちが少し落ち着いていくのを感じた。


「悪かったね、レセリカ。それで、何か思いついたのなら教えてもらえると嬉しいな」


 セオフィラスは両手を組んでやや身を乗り出すと、小首を傾げて微笑む。どこかワクワクしている様子が伝わり、レセリカはふといつも無邪気に笑う弟のロミオを思い出した。


 その期待に満ちた目を前に話さないわけにもいかず、緊張しつつも提案を口にする。


「は、はい。あの、放課後の時間を使って、馬に乗れないかと思いまして」


 レセリカの発言を聞いて驚くセオフィラスとジェイルだったが、フィンレイだけはピンときたようにポンと手を軽く打った。


「実は僕たち、オリエンテーションで乗馬広場に行ったのですよ。そこでレセリカ様が馬に乗れることを知ったのです」

「えっ。レセリカ、馬に乗れるの?」

「ええ」


 目を丸くしたセオフィラスに、へぇと面白そうに口角を上げたジェイル。いずれにせよ好意的な反応のようでレセリカは安心した。

 令嬢が男子のやることを真似るなどはしたない、などと思われたらどうしようかと思っていたのだ。


 フィンレイは好意的であったし、大丈夫だろうと思ってはいたのだが、やはり目の前で反応を確認出来ると安心するのである。


 肩の力が抜けたレセリカは、乗馬に対する思いを続けて口にした。


「馬は賢くて優しくて、大好きなのです。それに、風を感じながら走るのは楽しいです。ロミオと一緒に訓練させてもらいました」


 姉弟で乗馬訓練をしていた時のことを思い出す。

 訓練は大変ではあったが、いつも楽しかったのだ。良い天気の中、木々や草花の香りを感じながらロミオと過ごすひと時は何ものにも代えがたいほどの時間だった。


 その時のことを語るレセリカの表情は自然と柔らかいものとなっている。セオフィラスたちにも、レセリカが本当に乗馬が好きなのだということがよく伝わっただろう。


「それは驚いた。でも、レセリカなら上手く乗りこなせていそうだね。もしかして、ロミオにはあまり上達しないでください、と言われたのではないかな?」

「えっ、どうしてわかるのですか?」


 まるでその場で見ていたのかと思うほど正確に言い当てられて、レセリカは驚く。事実、何度も頬を膨らませたロミオに言われたものだ。


「あはは! 男っていうのは女性の前で格好つけたい生き物なんだよ。これは私も、うかうかしていられないな。もっと訓練に身を入れようか」

「おっ、それは良い心がけですねぇ、殿下」

「競争はしないよ、ジェイル」

「えーっ! いい勝負になるのはセオフィラスくらいなんだからたまにはいいだろー?」


 今度はジェイルと仲が良さそうに軽口を叩き合っている。ジェイルの口調が砕けたものになっているので、三人でいる時はいつもこうなのだろうことが予想出来た。


 ジェイルのその気さくさはどこかヒューイを思い出させる。もしかしたら二人は気が合うかもしれない、などとレセリカは考えた。

 だがヒューイの立場上、彼らの前に姿を現すわけにはいかないのが残念である。


「私の騎乗技術などたいしたことはありません。セオフィラス様はもちろん、ロミオにだって一生追い付ける気がしませんから……」

「乗れるだけで充分すごいよ。そっか。それなら放課後、一緒に訓練でもしようか。頻繁には無理かもしれないけれど」

「良いのですか?」


 自分から提案したことではあるが、思いの外セオフィラスが乗り気になってくれたようだ。

 目を丸くして問うと、セオフィラスはとても嬉しそうに笑う。


「もちろん。私がそうしたいんだよ。お願いしたいのは私の方なのだから。場所の予約は私が取ろう。都合の良い日を決めようか」

「は、はい……!」


 正直なところ、レセリカは学園でこのように楽しみな時間が取れるとは思っていなかった。何より優先すべきは、セオフィラスの暗殺の阻止。そのための調査や学業に忙しくなると思っていたからだ。


(心配なことはまだまだあるわ。気は抜けないけれど……)


 今はアディントン伯爵に暗殺の動機があるのを知ってしまったのだから余計にそれどころではないかもしれない。

 それでも、やり直しの人生では悔いのないよう楽しく過ごしたいという思いも強い。とはいえ、その欲に従い過ぎるのも良くない。


(バランスが難しいわ。放課後に時々、乗馬を楽しむくらいは大丈夫かしら……? 頻度は? こんなに幸せでいいの?)


 結局、乗馬については全てセオフィラスにお任せすることとなってしまった。生真面目なレセリカが、ちょうど良い匙加減を考えるのはまだ難しいようである。


 こうしてレセリカは、学園生活の一年目を調査、学業、時々息抜きしながら過ごすこととなる。


 ただ一点、どうしても達成出来ない目標を抱えて。

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