第56話殿下の事情と思いやり
初めてセオフィラスの怖い一面を見たレセリカは驚いてその後ろ姿を見送っていたが、ふと近くに立つリファレットがジッとラティーシャを見つめていることに気付いた。
睨んでいるわけではない。むしろ逆で、どこか切なそうにも見える。
「僕たちもそろそろ行きましょう。時間がなくなってしまいますから」
「え、ええ。そうね」
リファレットの様子に気を取られたものの、フィンレイの呼びかけで我に返る。レセリカたちのグループも教室の外に向かい始めたことで、他のグループもポツポツと移動を開始した。
先頭をリファレットが歩き、その後ろをレセリカが歩く。そんな彼女の歩調に合わせるようにフィンレイがレセリカのやや後ろからついて来ていた。
リファレットは振り向くことも、口を開くこともなくどんどん先を進む。次第にレセリカたちとの距離が開き始めてしまった。
レセリカが追い付こうと少し歩調を速めかけたその時、フィンレイが彼女を呼び止める。リファレットとの距離が離れてしまったことを気にもしていない様子だ。
レセリカものんびりとした彼の雰囲気につい流されてしまう。
「驚かれましたか?」
フィンレイの問いの意図は間違いなく先ほどのセオフィラスのことだろう。レセリカが小さく頷きで返すと、フィンレイは苦笑しながら簡単に事情を説明してくれた。
「殿下が愛称で呼ぶのを許すのは、フローラ様だけなのですよ」
「フローラ様……お姉様ですね」
フローラ・バラージュ。毒入りのお菓子を口にしたことで九歳の時に亡くなってしまったセオフィラスの姉である。とても仲が良かった姉を亡くしたセオフィラスの傷は、今も癒えていないだろう。
どういった思いがあって他の者に呼ばれるのを拒むのか。レセリカにはわからないが、とても大事な呼び名なのだということは伝わった。
「とても、大切な思い出なのでしょう」
思い出、という単語を使ったレセリカに、フィンレイはわずかに目を見開く。
胸の前でそっと両手を重ねたレセリカは、まるで彼女自身がその思い出を大切にしているかのようだった。
「……呼びたいとは思わないのですか? その、レセリカ様は婚約者ですし」
この質問が少し失礼だと思っているのだろう、フィンレイは様子を窺うように控えめな声でそう訊ねた。
一方、その言葉を受けたレセリカは不思議そうに彼へと視線を向ける。
「逆にお聞きしますが、フィンレイは婚約者なら何を望んでも良いとお考えなのですか?」
これは探りでもなんでもない、ただの疑問だということはレセリカを見ればすぐにわかった。
フィンレイはそんな彼女の反応に驚きを見せた。自分の周りにいる令嬢は、婚約者や思いを寄せる相手に対してどこまでもワガママだからだ。
こうしたい、という自分の欲だけを相手に押し付ける姿に辟易としており、そんな令嬢だったら絶対にセオフィラスは相手にしない。
しかし、やはりレセリカはそうではなかった。むしろ、相手の気持ちを優先出来る。
それを目の当たりにして安心したのだろう、フィンレイはフッと肩の力を抜いた。
「……大変失礼いたしました。レセリカ様は真に、殿下のことを考えてくださっているのですね」
「? 当たり前のことでは……? これは、誰に対しても言えることです」
「ええ、僕もそう思います。が、そう考えられない者も少なくないのですよ」
ですから安心しました、とフィンレイは穏やかに微笑む。よくはわからないが、彼が満足そうなのでレセリカはそれ以上の追及はしないことにした。
それよりも、今はリファレットに追いつかなくてはならない。つい、フィンレイの速度に合わせてのんびりと歩いてしまったため、そろそろリファレットを見失ってしまう。
レセリカは少し焦っていた。かといって、廊下を走るわけにもいかない。
「ああ、大丈夫ですよ。レセリカ様はゆっくりいらしてください。僕が先に行って彼を引き留めてきますので」
そんな焦りを察知していたのだろう、フィンレイはのほほんとそう告げると颯爽と前を歩き始めた。決して急いでいるようには見えず、走っているわけでもないのに、ぐんぐんとリファレットに追いついていく。
(すごい……やはり殿下の護衛候補だけあって、動きが違うわ)
内心で感心しながらホッとしたレセリカは、急ぐのを止めて素直にフィンレイに任せることにした。
「アディントン伯爵令息ー? まずはどちらに向かうのですかー?」
大声を出すことなく、フィンレイは前をズンズン歩くリファレットにのんびりと声をかけた。誰かを案内する気などないのでは、と思えるほどのスピードで先に行ってしまった彼を、いい加減に立ち止まらせるためだ。
「ああ、そうだな。今日、明日は一限しか時間がない。この校舎内にある主要な移動教室を……っ!」
話しながら振り返ったリファレットは、そこでようやく距離が開いていることに気付いたようだ。バツの悪そうな顔で言葉と足を止めた。
「……女性を気遣えないようでは、紳士とは言えませんよ?」
「……チッ、嫌な言い方をする。だが、確かに配慮が足りていなかった」
レセリカが追い付くのを待ちながら、男同士は小声でそんなやり取りをするのだった。
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