第24話セオフィラス・ロア・バラージュ
セオフィラスは心底うんざりしていた。
新緑の宴で婚約発表をすると聞かされた時からずっとだ。だが、婚約者であるレセリカが大変好ましい人物であったのは嬉しい誤算であった。
(あれだけのパフォーマンスをしたのに、なんでこいつらは言い寄ってくるんだ……)
レセリカとの楽しいダンスが終わり、さぁ役目は終わりとばかりに裏に引っ込みたかったがそうもいかない。立場上、挨拶に来た者たちとは一言二言の言葉は交わさなければならない。
宴に出たくなかった一番の理由はこの時間があったからだ。
「先ほどのダンスは素晴らしかったですわ。今度、私とも踊っていただきたいものです」
「ありがとうございます。お褒めの言葉、大変嬉しく思います」
もちろん、表には一切出さないが。セオフィラスは本心を笑顔に隠すのが得意であった。それもこれも、幼い頃に暗殺されかけたあの事件があったからこそ。
あれはセオフィラスが五歳の頃。姉であるフローラ王女が九歳で、新緑の宴でのデビューも間近という時であった。
城に貴族たちが集まるパーティーが催された日で、彼は姉とともに中庭で小さなお茶会を楽しんでいた。煌びやかなパーティーに参加したいとワガママを言うフローラ王女のためだ。
まだデビュー前であるし、様々な思惑が飛び交う場に出るにはまだ王女は子どもすぎる。
とはいえ、部屋で大人しくしていろと言うのもかわいそうだと国王夫妻が中庭でのお茶会を許したのだ。参加者は弟のセオフィラスだけではあったが、フローラはとても喜んだ。実際にパーティー会場で出された食事やお菓子を少し並べてもらえたのが大きい。
だが、それがいけなかった。パーティーで出されるお菓子の一つに、毒が仕込まれているものがあったのだ。
毒見役が気付き、すぐに対処したことでパーティーに出されることはなかったのだが、手違いにより中庭の小さなお茶会で出されてしまったのである。
「セオのお菓子、美味しそうね」
「姉上は、これが食べたいのですか? よかったらどうぞ!」
「え、いいのかしら。これ、一つしかないわよ?」
「姉上のためのお茶会ですから!」
「……優しいのね、セオ。じゃあ、半分にしましょ?」
微笑ましい光景だった。しかし、先にお菓子を口に入れたフローラ王女が苦しみ出したことでその光景は一変する。セオフィラスは飲み込む前だったのが幸いした。
本来なら、毒入りのお菓子を口にしていたのは自分だけだったのに、良かれと思って譲ったことで姉のフローラ王女はそこで命を落としてしまった。
まだ五歳だったセオフィラスは何が起きたのかわからず、少しだけ毒を口にしたことで込み上げてくる吐き気を感じながら、倒れたフローラと慌てる使用人たちの姿をただ茫然と見ていることしか出来なかった。
急いで兵士に守るように囲まれ、医者の下に運ばれ……。慌ただしく過ぎていくその時の記憶は曖昧となっている。
話を聞きつけた貴族家の者たちは、
(なんでこの人たちは笑っているんだろう。なんでこの人たちは自分に優しくするんだろう)
五歳のセオフィラスは何がなんだかわからなかった。
(ニコニコしているけど……この中に姉上を殺した毒を仕込んだ人がいるかもしれないんだ)
そう思ったら、全てが信じられなくなった。笑顔の裏で、どんな恐ろしいことをしているかわかったものじゃない。
その中には本当の笑みや優しさもあったかもしれないが、全てが怪しく見えてしまう。
実際、すぐに今後の話を切り出したことから、少なくともその気持ちが上辺だけのものだと察してしまった。
自分の周りにいる大人は、醜い。今いる子どもだって、そんな醜い大人に教育されているのだからすぐに醜くなる。
自分はもっと勉強しなければならない、とセオフィラスは考えた。騙されないように、考えを読まれないように。
そして身を守れるように強くならなければ、と。
醜い大人たちのように、笑顔の仮面で本心を隠すようになったのは、それからであった。
(まぁ、中には信頼出来る人がいるっていうのも、わかってはいるけど)
例えば、幼馴染であるジェイルやフィンレイ。あの二人の家は代々近衛騎士となる者を輩出する伯爵家と士官の男爵家であり、ジェイルの家に至っては遥か昔から王家に仕える血筋でもある。
また、フィンレイの父は現国王とは親しい仲であることから、セオフィラスはこの二人だけは信頼していた。いずれ、専属の護衛となるであろう。
今回、婚約者として選ばれたベッドフォード家も遠い縁者であり、代々王家に仕える文官の血筋ではある。当主は国王とも旧知の仲だと聞いてはいるが、あの強面だ。城内では怖がられるばかりで、あまりいい噂を聞かなかった。
有能ではあるし、不正や裏切りの陰もないのだが……雰囲気だけで損をしている家である。
(レセリカも、たぶんそうなんだろうな)
今日、少しの間だけだが話せてよかったとセオフィラスは思っていた。まず、まったく取り入ろうとしてこないところが最初から彼の中で好印象であった。
裏があるならもっと笑顔で擦り寄ってくる。けれどそれが一切ない。単純に嫌がられているのかと思えばそんな様子もなかった。
(まだ完全に信用は出来ないけど……笑った顔が見たいな)
そう考える時点でセオフィラスはすでにレセリカを意識しているのだが、本人に自覚はなかった。
次から次へとやってくる令嬢たち。もちろん令息たちも挨拶には来るが、彼らは婚約への祝辞と簡単な挨拶だけですぐに去ってくれる。
しかし、令嬢たちはそれだけでは終わらない。あわよくば名前を覚えてもらおうと、聞いてもいない自分の得意なことや趣味を勝手に話し始めるのだ。
(……照れた顔は、可愛かった。他にも色んな顔が見てみたい)
セオフィラスは永遠にも感じられる令嬢たちとの挨拶の時間を、現実逃避をしながら乗り切っていた。
「……でも、それを知るのは私だけがいい」
「セオフィラス様? どうされました?」
「ああ、すまない。次の方を」
レセリカに思いを馳せるあまり、少々ぼんやりしすぎていたようだ。側に控えていた使用人に声をかけられ、セオフィラスは再び背筋を伸ばす。
「フロックハート伯爵家のラティーシャです。殿下、この度はご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。フロックハート伯爵令嬢」
次にやってきた令嬢の相手も笑顔を貼り付けながら答えていると、急に令嬢の身体が傾いていった。
頭の中では他のことを考えていたセオフィラスだったが、反射的に手を伸ばして令嬢の身体を支える。危うくそのまま倒れるのをぼんやり見ているところだったと内心で冷や汗を流しながら。
「大丈夫ですか」
「……う、も、申し訳ありません、殿下。少し眩暈がして……」
すぐに手を上げて使用人を呼ぶと、令嬢ラティーシャはキュッとセオフィラスの袖を握りしめる。よほど気分が優れないらしい。すぐに使用人に別室で休ませるように指示を出した。
「支えてくださってありがとうございます、殿下。力がおありになるんですね……」
使用人に支えられながら立ち去る直前、ラティーシャはセオフィラスに向かって弱々しい声で微笑んだ。その姿を見ていた周囲の令息たちは、その儚げな姿に見惚れている。
彼女はフワフワとした愛らしい容姿で、守ってあげたくなるような雰囲気があるのも魅力的に映ったのだろう。
「フロックハート伯爵令嬢、今日はもう休んだ方がいいでしょう」
しかし、セオフィラスには響かなかった。当たり障りのない言葉をかけてそのまま使用人に任せてしまう。今の彼は、レセリカのことで頭がいっぱいなのだ。
ちなみに、レセリカと会っていなかったらパーティーを抜け出すチャンスだと、セオフィラス自ら彼女を控室まで連れて行っていたことだろう。
実際、本来ならここでセオフィラスとラティーシャは出会い、僅かながら親睦を深めるはずだった。
レセリカが新緑の宴に参加しただけで、こんなにも大きく未来は変わっていたのである。
セオフィラスとの仲を深めるのが目的だったらしい、令嬢ラティーシャにとっては誤算である。
彼女は誰にも気付かれないよう、顔を歪ませていた。
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