王様先輩と物書き後輩の恋愛事情

@kurohituzi_nove

教育的指導

 僕はコーヒーが好きだ。

 正確には、珈琲を入れるのが好きだ。

 ローストされた豆の香りが部屋中を満たし、そこにゆっくりとお湯を注ぐ。

 この時間が何とも贅沢ぜいたくに思えて、何となく心が安らいでいく。

 時間をかけて丁寧ていねいに作った珈琲をいつものマグカップに移して、それを持って部屋へと戻る。

 現実逃避は終わり。さて、仕事を片付けてしまうとしようか。

 眠っていたノートパソコンを起こして執筆用ソフトを起動させると、アゴに指をあてて数秒ほど動きを止めた。

 窓から流れてくる風は温かで、今が冬だなんて嘘かのようだ。

 そんな事を思い、キーボードに指を走らせる。

 カタカタと心地の良い音が流れ、自分の機嫌が良くなっていくのを実感した。

 今日も僕は、僕だけの世界を紡ぎあげていく。

 小説と言う名の世界創造が、やがて誰かを幸せにするのだと信じて。



 ふと気が付くと、窓の外は夕焼けの赤色に沈んでいた。

 まるで絵の具を溶かしたような光景に目を奪われ、そして次の瞬間ハッとする。

 まずい、集中しすぎた。コーヒー以外何も口にしていないのは非常にまずい。

 これではまた「教育的指導」されてしまう。

 急いで何か食べないと。

 そう思って椅子から立ち上がるのと同時に、部屋の入り口のドアが

 ……どうやら、少しばかり遅かったようだ。


「後輩よ。今日の作業進捗しんちょくを聞こうじゃないか」


 ドアに見事なヤクザキックを決めた彼女は、両腕を組んで鋭い眼差しを僕に向けてきた。

 その立ち姿はとても綺麗で、切れ長の目とサラサラな黒いロングヘアがすみで描かれた美女のように思わせる。

 うん。綺麗なんだけど、毎度思う。せめて普通にドアを開けてください。


「えぇと……読み切り短編と長編を一本ずつ、ですね」


 コミュ障な僕が眼光の鋭い彼女とまともに目を合わせるのはとても勇気がいる。

 かといって目をそらせば「教育的指導」が待っている訳で。

 仕方なく頑張って目を合わせて、今日の執筆の結果を伝える。

 すると予想通り、彼女はにっこりと微笑んだ。

 例えるのなら、そう。得物を前にした肉食獣のような表情と言い換えても良いだろう。

 あーあ。これはもうダメだ。

 どうやら今日も見逃してくれそうにない。


「ほう。一日でその量を書ききるのはさすがの一言だ。いやはや恐れ入る」


 鋭い目付きで言いながらゆっくりと距離を詰めて来る。

 間合いを測る猫科の動物のように、しなやかで美しくて、そして全く容赦ようしゃがない。

 止まる事無く距離を詰めてきた彼女は、ぐいっと顔を近づけて来た。

 その距離、わずか五センチ程。互いの吐息を感じられるどころか体温さえ伝わってくるような距離。

 僅かに花のような甘い香りがする。

 先輩は美人だ。すれ違う人全員が振り返る程に綺麗で、そんな彼女の顔がこんなに近くにあると照れてしまう。

 いつもの事とは言え、そしてこれから先の結末が分かっているとは言え。

 どうしても、顔が熱くなっていくのを感じた。


 そして、ガシリと両手で力強く頭を掴まれた。


「おい後輩。無茶はするなと散々言って来たはずだが……貴様、食事と休憩きゅうけいはどうした?」

「あ、ちゃんと休憩きゅうけいしましたよ。ほら、コ-ヒーがあるでしょう?」

「ほう。では食事はどうした。まさかコーヒーが食事だなどと阿呆あほうな言い訳をするつもりか?」

「……えぇと、その。忘れてました、ごめんなさい」

「良い度胸だ」


 一度ぐいっと身体をそらし。


「教育的指導っ!」


 ずどんっともの凄い勢いで頭突きされた。


「ーーッッッ!?」

「全く。自己管理も仕事の内だと何度も……おい、聞いているか?」


 ひたいを抑えてゴロゴロ転がりまわる僕を見下ろして、先輩は大きなため息をつく。

 マジで痛い。頭が割れたかと思った。


「しかしまぁ予想通りではあるがな。ほら、差し入れだ」


 言いながらどこからともなく取り出した小さな箱を突き出して来た。

 ……差し入れ?


「え? なんですか?」

「ショートケーキだ。昨晩作っておいた」

「うわ、ありがとうございます!」


 がばっと立ち上がって箱を受け取り、さっそくふたを開けてみる。

 中には言われた通りショートケーキが二個入っていて、まるでお店に並んでいるかのようなクオリティだった。

 

「ほら、さっさとコーヒーをいれろ」

「今日はどうします?」

「砂糖を五個。ミルクも頼む」

「……了解です」

「何か言いたそうだな、後輩?」

「いえ、何も」


 入れすぎだろう、とか。コーヒーの風味が全部なくなるだろう、とか言ってはいけない。

 そもそも先輩は珈琲が好きじゃないのだ。

 それでも毎回僕にコーヒーをいれさせるのには何やら理由があるらしい。教えてくれないけど。


「じゃあ原稿を読みながら待っていてください」

「あぁ、そうさせてもらおう」


 言うが早いか、長い黒髪をかき上げながらノートPCの前に座る。

 そんな仕草も綺麗だな、とか思いながら、僕はコーヒーを入れる為に部屋を出ようとして。


「いや、忘れていた。後輩、ちょっとこっちに来い」


 寸前で先輩に呼び止められた。

 なんだろう。他に「教育的指導」されるような事は無かったはずだけど。

 てくてくと歩いていくと、先輩はさっきとは違う、柔らかな微笑みを浮かべた。


「集中しすぎるのは悪い癖だが……貴様が誰よりも努力しているのはこの私が一番よく知っている」

「……えーと。ありがとうございます?」


 何故かいきなり褒められた。

 嬉しいけど、何か企んでそうで怖い。

 怖いんだけど、先輩が微笑んでるだけで僕の顔はまた熱くなって、胸がドキドキ鳴ってしまう。

 ずるいなぁ、この人。


「おや。何やら様子がおかしいが、体調でも崩したのか?」

「……性格悪いですよ、先輩」

「何を言う。私ほど慈愛じあいに満ちた女はそういないだろうさ。それより、後輩よ」


 ぐいっと顔を近づけられて、思わず両手でひたいを隠す。

 その、無防備となった僕のほおに。


「教育的指導だ」


 優しく、キスをした。


「……へぁ!?」

「何を間抜けな顔をしている。このくらい平然と流して見せろ」

「いやいやいや無理ですって! いきなりは止めてくださいよ!」

「でないと貴様は逃げるだろうが。それとも何か、ベッドに押し倒したら良いのか?」

「何でそうなるんですかっ!?」


 あぁ、たぶん今の僕は全身が夕日のように真っ赤になっているだろう。

 それが自分でも分かるくらいに身体が熱くて、心臓がやかましい。


「ふむ。自分で言っておいてなんだが、アリだな」


 にやりと笑うと、先輩は椅子から立ち上がって、ブラウスのボタンを上から外しだした。

 一つ、また一つと外されていくボタンと、滑らかに動く細い指につい見とれてしまう。

 この人は何をやっても綺麗だな、なんてのんきな感想を抱いた後、現状を理解して慌てて後ろを向いた。


「だから何をやってるんですか!?」

「なに、私も初めてだが、大丈夫だ」

「何も大丈夫じゃないですからね!? 僕、コーヒーいれてくるんで服着ててくださいよ!?」


 大急ぎで部屋を飛び出す、その瞬間。


「続きは後でな」


 そんな、嬉しそうな声が背中に届いてきて。

 閉めたドアを背に、僕はズルズルとへたりこんでしまった。


 本当にあの人は、ズルい。

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