仮想世界に沈むとき
工事帽
仮想世界に沈むとき
ポコン、パコンと軽快な音が響き、タンッ、タンッと軽い足音が鳴る。
「あっ」
「やった!」
追いつけずにピンポン玉が卓球台から飛び出していく。
卓を囲む境界線でピンポン玉が消滅し、スコアカウントが一つ上がる。
スコアが11点となり、ブブーというブザー音の後で、私の前に「LOST」の文字が現れた。
「また負けたーー」
「へっへー。十年早いのよ」
友達の咲ちゃんと二人で言い合いながら卓球台から離れる。
すぐに次の人たちが卓球を始めた。
咲ちゃんとは高校で知り合った友達で、今ではよく遊ぶ仲だ。
今は冬休み、外はとても寒い。特に私の住んでいる街は、海岸沿いに張り付いた細長い街で、どこに行くにも冷たい海風が吹き付ける。そしてそれを我慢して出掛けたとしても、過疎化が進む街には、ろくに遊ぶ場所がない。
それなら寒い街に繰り出すよりも、時間を合わせてVR内で遊ぶほうが楽しい。
VR空間に設置されたこの部屋は、アトラクション施設に近い。
卓球以外にも、ビリヤード、ダーツ、フリースローといろんな設備が入っている。種類は多くても、設備の数が少ないから、一ゲーム終わったら交代するのが決まりだ。
パッと見る限りでは、設備はすべて使われている。
ビリヤードは、よく分からないしやったことがないけれど、ダーツもフリースローも順番待ちだ。
仕方ないから、一度休憩することにする。
「もっと沢山あればいいのに」
「続けて遊びたかったらお金払えってことじゃないの」
「だよねー」
この部屋以外にもVR空間にはいろんな施設がある。
その中には、卓球台が並んでいる部屋も、ダーツが沢山ある部屋もある。この部屋にはないけれど、ボーリングやバッティング、テニスコートなんかもある。けれどそういう施設は時間単位でお金がかかる。たまにならともかく、学生が毎日遊べる値段ではない。
自然と、無料で使えるこの部屋で暇をつぶすことになる。
最近の定位置になっているテーブルには、同い年の少女が座っていた。
少女の目の前にいくつものウィンドウを開いている。
「春香ちゃんは遊ばないの?」
席につきながら話し掛けてみる。
クラスメイトの春香ちゃんは、クラスの中では割りと仲が良いほうだ。
最近はよくこのVR内で会う。いつもウィンドウを開いていて、卓球もダーツもやらない子だ。
「運動嫌いなの」
横からひょいと覗けば、ウィンドウの一つは文字だらけの本で、もう一つには動画が流れている。まんじゅうという名前の、頭だけのキャラクターがいろいろ解説している動画だった。
三つ目のウィンドウはSNSだろうか。文字がどんどんスクロールしていく。
「せっかくいろいろあるのに」
「前にも言ったでしょう。部屋で本を読んでると、親がうるさいのよ」
確かにそういう話は聞いた。
せっかくの冬休み、読む時間がなくて積んであった本を読もうとしたら、親から「友達と遊んできなさい」と追い出されそうになったって。
でも外に出れば寒いし、過疎化が進む街に遊ぶ場所なんてほとんどない。ゲームセンターも綺麗な洋服屋さんも、とっくの昔に潰れてしまった。
だって夏の寒くない時期の、遊びの定番が海で泳ぐというような街だ。
冬の寒い海風を浴びながら出歩く先なんてない。それに波の音だけでも寒い気がする。たぶんそれは、私が海を嫌いなせいもあるんだろうけど。
「好きにすればいいじゃない。卓球台があるからって、卓球をしなきゃいけないわけでもないでしょ」
いつの間にか、咲ちゃんも椅子に座っていた。
言いながらウィンドウを開いて、何かを見始めている。
ウィンドウを開いている二人に、なんだか置いてきぼりにされた気分だ。
なんとなく、二人のマネをしてウィンドウを開くのもしゃくで、テーブルに顎をつけてぐでーっとする。
何も考えずにぐでーっとしているつもりでも、頭の中にはいろんなことが思い浮かんでくる。
さっきの卓球。昨日の食事。可愛い洋服をネットで見つけたのに高すぎて手が出なかったこと。そして段々と思い浮かぶ内容が支離滅裂になっていく。
VRにログインしたらお母さんが待ち構えていてピーマンを投げ付けられたり、教室の扉を開けると落とし穴でウォータースライダーで滑った先が海で溺れかけたり。真っ暗な海で上も下も分からなくなったトラウマを思い出しそうになって、慌てて違うことを考える。
そのまましばらく時間が経つ。
遠くではゲームをしている人たちの喧騒が、近くでは二人がウィンドウを操作する手の動きが、世界が動いていることを教えてくれる。
「むう」
「どうしたん?」
「なんか暇」
「動画でも見たら?」
「そういうんじゃなくて」
咲ちゃんと適当な言葉を交わす。うーんと唸りながら頭を持ち上げて手を伸ばす。
へんな妄想が駆け巡ったせいで、頭の中がサラダみたいだ。
「あ」
「なに?」
「地震だってさ」
「え、いつ? どこ?」
「海外。ついさっき」
「なーんだ」
びっくりした。
「結構大きかったみたい。VRに入ってなかったら揺れたのに気づいたかもね」
「怖いからいいや」
突然揺れ始めたり、スマホから大音量で緊急警報が流れたりするのは怖い。下手なホラー映画よりもビクッとする。
もしかして、リアルの方では緊急警報が流れたりしたんだろうか。何時間も前で、逃げる余裕があるくらいならいいけど、直前に警報が来てもびっくりするだけで何も出来ない。何も出来ないのに大音量でびっくりさせるのは止めて欲しい。
「その地震。津波は大丈夫なんでしょうね」
黙って本を読んでいた春香ちゃんがそう言って、咲ちゃんが手を動かす。
多分、ニュースサイトを見に行ってるんだと思う。
海岸沿いにある街だから「もしもの時には」みたいな話を言われた覚えはある。学校の避難訓練とかで。でも、津波と言ったって、漁師の人が船の心配をする程度のことだ。うちの家族には漁師がいないから関係ないはずだ。
「この街も警報出てるっぽいよ」
そう言って咲ちゃんはウィンドウを回して見えるようにしてくれた。
確かに、わたし達の住んでいる街の海岸線も、真っ赤に引かれた警報の中にある。
「警報か。警報って何かするんだっけ」
何かあったような気もするけど、思い出せない。海のことなんて知りたくないもの。
咲ちゃんか春香ちゃんなら知っているかな。
「あれ?」
だけど振り向いても、咲ちゃんも春香ちゃんも居ない。
さっきまでそこに座っていたのに。
ログアウトしたんだろうか。でも、それだって何も言わずにというのはおかしい。
ジジッ。
変なノイズが聞こえる。
テーブルに手をついて立ち上がる。
周りを見渡しても咲ちゃんの姿も、春香ちゃんの姿もない。
ジジッ。
変なノイズが聞こえる。
いつの間にか喧騒が消えている。
卓球台にも、ダーツにも、フリースローにも、誰も居ない。
「なんで?」
ジジッ。
変なノイズが聞こえる。
眩暈がする。椅子に座り込む。視界が歪む。
ダンッ。
そして視界が真っ暗に染まる。
部屋もテーブルも、座っていた椅子ですら分からなくなる。
右も左も、上も下も分からなくなる。
座っているのか、立っているのか、横になっているのかも分からなくなる。
そして唐突に気付いた。
気付いてしまった。
ここは海の中なのだと。
仮想世界に沈むとき 工事帽 @gray
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます