第1話 アウトサイド ヒーロー:3
イヴェント:シェイド オブ フォート カガミハラ
大宴会から2週間程経ち、レンジはナカツガワ・コロニーでの生活にすっかり馴染んでいた。
毎朝、酒場のホールに降りて食事をとった後、雷電スーツを身につけて山に向かう。山での仕事は川魚や山菜、野生の果物といった山の幸を採ったり、点在する農業プラントを回って作物を受けとるというもので、時には山中の人工物ーー獣よけの柵や見張り小屋などーーを点検して補修することもあった。初めの一週間は毎日マダラと一緒に山に入ったが、次の一週間は山の仕事を一人で任されることもあった。そして夕方から夜まで、保安官事務所を兼ねた酒場“白峰酒造”で雑用仕事に追われるのだった。
ヒーロー、“ストライカー雷電”としての仕事は、この二週間特になかった。元々ナカツガワ・コロニーを訪れる者はほとんどいない。獣たちも間引かれ、町も山も平穏そのものだった。
タチバナは雷電がダガーリンクスの群れを蹴散らしてアキを助けた場面を撮った後、すっかり動画撮影に“はまる”ようになり、雷電が出かける時にはドローンをつけるようにしていたが、狙い通りの画が撮れるわけもなかった。雷電スーツの姿で魚を釣ったり、小屋の掃除や修理をする映像を撮るのがせいぜいだった。
あまりののどかさに業を煮やし、キソジ・オールド・パスの山中に雷電を向かわせて、ミュータント化した野生の獣と戦わせることもあった。殺気をみなぎらせて突っ込んでくる装甲猪を相手に立ち回ることは、レンジにとっては恐ろしく刺激的な体験であったが、出来上がった動画を見た子どもたちの反応は今一つだった。
子どもたち相手の上映会を終え、開店を待つ酒場のホールに“ストライカー雷電”の製作陣がたむろしていた。
「『また動物を狩ってる』って言われましたね」
子どもたちの呆れた表情を思い出しながら、テーブルに頬杖をついてレンジが言う。
「装甲猪とサシで正面からやり合うなんて、普通できることじゃないんだぞ」
カウンターでグラスやボトルを並べ直していたタチバナが、ムスッとしながら言う。
「俺、また無茶ぶりされてたんですか」
立ち上がりかけたレンジを、「まぁまぁ」と言ってマダラがなだめた。
「俺としてはいい実戦データが取れたからよかったけど、やっぱり子どもたちには物足りないんじゃないですか」
「それじゃどうする? 何かいい案はあるか?」
黙って話を聞いていたアオが「はい! はい!」と手を挙げた。
「やっぱり、雷電が怪人と戦うのを見たいと思います!」
「それ、お前が見たいだけじゃん……まあ確かに、俺も見たいけどさあ」
意見の合った兄妹が「やっぱり、原作を再現してディーゼル帝国のエンジノイドを……」とか「いや、現代に合わせてサイバネティクス凶悪犯とか、暴走オートマトンとかを出した方がリアリティーが……」などと盛り上がり始める。
「おやっさん、実際問題、できるんですか? そういう、敵怪人みたいなの……」
「そうだなぁ……技術部次第かな?」
そうレンジに答えたタチバナが、マダラに目配せをする。
「怪人ねぇ……まあ、ガワだけなら簡単にできますけど、誰が着るかですよね」
マダラは眉間にしわを寄せて、アオをじっと見た。
「私……?」
「俺としては、あまりやらせたくないんですけどね」
「こんな役回りで済まんなアオ、背丈からすると、お前さんが一番“映える”んだよ」
うつむいてかすかに震えているアオに、タチバナが申し訳なさそうに声をかける。
「あー……いや、おやっさん、こいつの場合は違うんです」
マダラが言いかけると、アオはがばりと顔を上げた。
「私が、ストライカー雷電に出れるんですか!」
今にも立ち上がって踊りだしそうな喜びようだった。
「お、おう……」
「どんな怪人になれるのかなあ、今からすっごく楽しみ! 私も脚本作りに参加できるんですよね?」
「いいんじゃないか……?」
「やったー!」
戸惑うタチバナを尻目に、アオは立ち上がってくるくると回りはじめた。
「そうと決まれば、まずはオリジナルの“ストライカー雷電”を見直して研究しなくっちゃ! レンジさんも一緒に見ましょう。やっぱり、本物の雷電を見とかなくっちゃ! ……いえ、レンジさんの雷電が偽物ってわけじゃないんですけど! でもやっぱり、変身ポーズはやれる方がいいと思うんです」
アオの勢いに圧されて、レンジは「はい」と答えた。
「すまんなレンジ、こうなったら妹は止まらないんだ。俺も付き合うから……」
マダラが同情して言った。そのままレンジを引っ張っていきそうなアオを、慌ててタチバナが止める。
「来週末に、うちがカガミハラ買い出し班になる。申請を通しておくから、撮影はカガミハラでやるぞ。それまでにプロットを組むから、よろしく頼むぞ」
「わかりました! レンジさん、あまり時間がないので、ちょっと詰め込みになっちゃうけど、頑張りましょうね!」
アオは早速、従業員寮3階の談話室に“重要会議中、立ち入り禁止”と書かれた札を提げると、レンジとマダラを連れて部屋を占拠した。酒場の営業時間以外は談話室に籠り、三日間をかけて旧文明期の特撮テレビドラマ“ストライカー雷電”を見続けた。作品としては素晴らしい出来であったが、長寿番組だったために膨大な話数があり、とても見尽くせるものではなかった。アオは每話目を輝かせながら画面にかじりついていたが、レンジは2日目の途中からぼんやりしはじめ、マダラも3日目が終わる頃には、テニスボールのように大きな目をショボショボさせていた。
タチバナが「そろそろ、脚本作りに回るように」と声をかけてくれて解放された時には、レンジはストライカー雷電の変身ポーズをすっかり身につけていた。それから談話室にタチバナを加えた4人が集まり、脚本作りの議論に明け暮れた。
タチバナの“つて”により、舞台はカガミハラ・フォート・サイトの裏路地、廃工場が多く並ぶ再開発地区に決まった。敵怪人については議論が紛糾したが、タチバナの「子どもたちに受けるには、よりイメージしやすい敵の方がいい。俺たちは原作の続きを作るわけじゃないんだ」という言葉に泣く泣くアオが折れた。その結果、犯罪組織が操る危険なオートマトンを鎮圧する、という筋書きになり、脚本が組み立てられていった。
タチバナは会議をはじめて2日で脚本を書き上げると、必要な小道具をかき集めた。マダラは寮の地下倉庫からオートマトンのジャンクパーツをかき集め、アオのための着ぐるみに仕立てあげた。
計画開始から一週間経った朝には、タチバナが運転する、野菜や装甲猪のベーコンなどを満載したトラックと、マダラ・アオ兄妹の乗る撮影用のバン、そしてレンジのバイクが勢揃いして、白峰酒造の前に並んでいた。
「大人ばっかりずるい!」
「何でみんなで行くの、いつもは2人くらいで行ってるのに?」
見送るアキとリンの問いに大人たちはギクリとしながらも手を振った。
「ごめんな、俺たちも仕事だから……」
「土産を楽しみにしてな」
「今日はヒトミちゃんのお母さんのところでご飯食べさせてもらってね。遅くなるかもしれないけど、帰ったら連絡するから」
「じゃ、行ってきます」
トラックを先頭にした三台は、列を連ねて動き始めた。
「先輩」
軍警察の制服を着た若年の捜査官が、並んで歩く人物に声をかけた。話しかけられた人物は、「んっ、んふん」などとわざとらしい咳払いをする。
「メカヘッド先輩、指示を受けていた第6地区の地図と物件使用者のリスト、準備できました」
ため息をつきながら捜査官が言い直すと、“メカヘッド先輩”は「ふふん」と満足そうに鼻で笑う。彼の頭は機械部品と金属製のカバーによって覆われ、表情はおろか素肌さえ見えなかった。
「ご苦労さん。会議室も取ってくれてるな? そこに置いといてくれ」
「承知しました。4C会議室です」
「サンキュ」
「あのう」
大股で歩き去ろうとする男を、捜査官が呼び止めた。
「……これは広報課の業務ではないかと思うのですが……」
メカヘッドが無機質な白い廊下の中央に立ち止まって振り返る。額のセンサーライトが光り、後輩の顔を捉えた。
「何だ、不満か?」
「いえ、失礼します」
恐縮する後輩捜査官は一礼すると近くの階段を上っていった。後輩を見送った後、メカヘッドも向き直って歩き去っていく。一連のやり取りを見ていた女性警官が、隣にいた同僚に話しかけた。
「メカヘッド先輩、いつもより静かだけど機嫌悪いの?」
「いや、そんなことは……今日はいい方じゃないか? むしろ気合いが入ってる、というか……」
「ふーん」
カガミハラ軍警察一般捜査部最先任、自らを“メカヘッド先輩”と呼ばせる男は周囲の声も気にせず、早朝の署内を大股で歩いていった。
ナカツガワ・コロニーを出発した一行は、オールド・チュウオー・ラインのでこぼこ道を西に走っていた。
列の最後尾を走るレンジのヘルメットに内蔵されたインカムが電子音を鳴らし、着信を知らせた。
「『タチバナだ。感度どうだ?』」
「レンジです。よく聞こえてます」
レンジが答えるとアオ・マダラからも問題なしとの返信があり、タチバナは短く「よし」と皆に伝えた。
「『レンジ、ナカツガワまで来る時にカガミハラを通ったと思うが、あっちからどれくらいかかった?』」
「夜更けに出発して次の日の夕方に着いたんで、大体丸一日ですね」
「『オールド・チュウオー・ラインはあちこち崩れてるから、道に沿って行ったら確かにそれぐらいかかるだろうなあ』」
マダラがそう言うと、すぐにタチバナが続ける。
「『これから俺たちはオールド・ラインから離れた道を通ってカガミハラに行く。四、五時間くらいで着くだろう』」
「そんなに早く着くんですか!」
驚くレンジに、通信機の向こうのタチバナは得意気に「ふふん」と笑った。
「『途中で分かりにくいところもあるから、しっかりついてきて覚えてくれよ』」
「了解」
しばらく瓦礫の道を進んだ後、トラックは道路脇の茂みに突っ込んだ。バンとレンジのバイクも後ろに続く。地面には2本の太いわだちが刻まれ、道が先まで伸びていることを示していた。
時折顔にかかってくる枝を押しのけながら進むと林が途絶え、荒れ野が広がっていた。等間隔に打ち込まれた虎縞模様の杭をなぞるように、拓けた原を駆けていく。途中に横たわる川には旧文明期の橋が残されていた。ところどころ補修されている橋を渡り、岩だらけのはげ山を越え、再び荒れ野を行く。
やがて森が見えてくると、隊列は再び緑のトンネルの中に入った。わだちをなぞって走り続けて森を抜けると、再びオールド・チュウオー・ラインのに戻っていた。瓦礫の道の先には、暗灰色の城壁がそびえ立っていた。
カガミハラ・フォート・サイトは港湾コンビナート群を抱えるナゴヤ・セントラル・サイトの北に位置する、旧文明期の軍事基地跡に建てられた城塞都市である。ナゴヤ・セントラル防衛軍によって実質的に運営され、同軍の本拠地として、地域の治安維持と凶暴化したミュータント獣を駆除する拠点として機能していた。
タチバナが重厚な正門の前にトラックを停め、インターホンでやり取りを済ませると門がゆっくりと開いた。バンとバイクを門のそばにある駐車場に停め、車を降りた3人はトラックの荷台に乗ってにぎやかな大通りをゆっくりと進んだ。
ナカツガワ・コロニー産の作物やモンスター肉を卸すのは、大通り沿いに大きなビルを構える老舗、“会津商店”。店の前にトラックを停め、タチバナを先頭に一行はビルに入った。
店のカウンターには大型ミールジェネレータが連なり、食料品を買い求める人々が列をなしていた。部屋の隅にはテーブルが置かれ、取引のある企業のエージェントが店側の担当者と話し込んでいる。
にぎやかな中で、「ミュータント」と誰かが小声で言う。ささやきは波のように広がり、スーツ姿の企業エージェントから買い物袋を提げた主婦まで、店内にいた客の視線が3人のミュータントに集まった。店内には他にミュータントはいなかった。タチバナ一行の周りから、静かに人が退いていく。
「タチバナ様、いらっしゃいませ。すぐに専務が参ります」
いかつい黒服の社員が客の波をすり抜けて、慌ててやって来た。
「いや、こちらこそどうも。お心遣い感謝します」
タチバナが丁寧に返すと、黒服はますます恐縮して小さくなった。
店の奥から「はい、ちょっと失礼しますよ」と低い声がすると、客と店員が左右に動いた。部屋の中央にできた道を通って、小袖姿の小柄なお婆さんがきびきびと歩いてきた。レンジの身長の半分を超えるくらいだが、全身から気力が溢れ出るようで、身長にそぐわぬ迫力がある。細い目は鋭い眼光を放っていたが、タチバナの前に立つと途端に上品な老婦人然とした微笑みを浮かべていた。
「タチバナさん、ようこそおいでくださいました」
「専務さん、いつも丁寧にありがとうございます。うちの者も毎週お世話になって……」
タチバナが挨拶を返すと、専務は落ち着いた色遣いの袖を手に当てて「ほほほ」と笑う。
「よしてくださいな。わたくしどもこそ、いつも新鮮な野菜やお肉を卸していただいて、感謝しております。この間の鹿ハムは、食通の方から殊に好評をいただいたんですよ」
「それも、会津屋さんに扱っていただいてこそですから」
「お上手なんですから……今回はどのような物を見せていただけるんですか?」
専務の目が鋭い光を放った。
「いつも通りにプラント産の野菜と、装甲猪のベーコンをお持ちしました。それと、猪と牙山猫の毛皮も積んでます。病疫と汚染の監査は、うちの者が済ませておりますが」
「まあ、まあ! すぐに運び込ませましょう。毛皮も、うちから付き合いのあるお店に紹介させてもらいますね。今回も、こちらの監査が済み次第の入金になりますが構いませんか?」
「私は結構です」
「ありがとうございます。決算が済むまでカガミハラ市街に留まっていただく必要がありますが、さほど時間はかかりますまい。今回もありがとうございました」
専務と店員たちに深々と頭を下げられて、ナカツガワ・コロニーの一行は店を出た。客たちがざわめく声を背中に聞きながら、店の自動ドアが閉まった。
タチバナは「ナカツガワ共有」と大きく書かれたステッカーが貼られた小型端末機をアオに渡した。そして3人にそれぞれ封筒を渡すと、店員たちによって早々に荷台が片付けられたトラックに乗り込んだ。
「ちょっと早いが、封筒は今月分の給料だ。個人的な買い物に使ってくれ。俺はトラックを駐車場に運びがてら、ロケのことを軍警察の人と詰めてくるから、端末に入金されたら先に買い出しを始めていてくれ」
「いつも思うんだけどさ、何で共有財布を俺に持たせてくれないの?」
「お前さんの金遣いが信用できんからだ。売り上げを全部ジャンクパーツに宛てた時には眩暈がしたぞ」
兄の悪癖を思い出して、アオが渋い顔をしている。
「あの時には発電機と変電装置を直すために、あれだけの部品が必要だったんだよ。実際、部品は余らなかっただろう?」
「修理が必要だったことは認めるし、お前さんの目利きは確かなんだがなあ。断りなしに勝手に進められると困る、ってこった。レンジもよろしく頼むぞ。3人で相談して買い出しを進めてくれい」
タチバナは話を終えると手を振り、車を走らせていった。
「全く、参っちゃうよな」
「兄さんは反省したほうがいいと思う……」
珍しく目尻のつり上がったアオに責められ、マダラはぐうの音も出なかった。
「もうしません……報連相大事……」
「全くもう」
しょんぼりするマダラと頬を膨らませるアオに、レンジが「まあまあ」と割って入った。
「俺、カガミハラの町はよく知らないんだよ。何があるか、とか買い出しって何を買うのか、とか教えてくれないか?」
兄妹はくすりと微笑んだ。
「それじゃあまず、電気街でジャンクパーツを探すぞ」
「レンジさん、兄は無視してください。まず新聞と雑誌を仕入れに行きましょう」
「なんだよ、冗談だって! あとは服や雑貨かなぁ」
「順番に行こう。俺も自分用に何か買おうかな」
兄妹がやり合い、レンジは辺りを見回しながら、3人は並んで大通りを歩いていった。
「急な相談で済まなかった。ここまで丁寧に準備してくれるとは思わなかったよ、ありがとう」
軍警察庁舎の4階にある小会議室で、タチバナが渡された資料に目を通してから言った。
「先輩からの連絡ですからね。気合いも入るってもんです」
向かい側の席に腰かけたメカヘッドが、揉み手をはじめそうな恭しさで言う。
「どうだかな。お前のことだから、何か裏があるんじゃないかって疑っちまうよ、俺は」
「ハハハ」
メカヘッドは乾いた声で笑うが、否定しなかった。
「それと、最近の事情も教えてくれたのがありがたかった。撮影のネタに使わせてもらったよ」
「非合法薬物の密売シンジゲートの話ですか? これで話題になって、抑止力になるなら大歓迎です。いくらでもリークしますよ」
「おい、おい……」
調子よく話すメカヘッドに、タチバナは苦笑する。
「他に確認事項とか、あったか?」
「そうですね……」
メカヘッド後輩は持っていた紙ファイルをパラパラとめくり、ページを開いてテーブルに置いた。
「特撮ドラマの撮影と聞いてますが、使う資材は申請書の通りで変更ありませんか? 市街地は武器の使用が禁止されてるので、火薬とかもちょっと量が増えただけで面倒になるんですよ」
「そこは変更なしだ。火薬も最低限の分量で、後は合成すれば何とかなるんだと」
「それなら問題ないでしょう。しかしすごい技術ですね」
「まあ、うちの技術者に任せっきりなんだがな」
メカヘッドは資料を片付けながら話を聞いていた。タチバナも受け取った資料を書類鞄に入れる。
「そんなもんじゃないですか。素人が簡単に手を出せるもんじゃないでしょ。……先輩、せっかくなんで何かつまんで行きませんか。カツ丼でもあんぱんでも」
「どうせここの食堂で、経費で落とすんだろ。だいいち何だよ、その取り合わせ……」
「本当は是非お連れしたい店があるんですけど、この時間は開いてなくて」
タチバナは壁にかかった時計を見ながら立ち上がった。
「これから撮影があるからなぁ。皆を待たせると悪いし、今はやめとくよ。画が撮れたら連絡するから、お前のおすすめって店に皆で行って夕飯にしないか。いかがわしい店じゃないんだろう?」
「それもいいかもしれませんね。……新人さんはどうです?」
「よく働いてくれてるよ」
「……本当にデッカー、殺してそうですか?」
メカヘッドの言葉が不意に鋭くなった。
「カガミハラ軍警察は関知しないんじゃなかったのか」
タチバナがにらむと、メカヘッドは肩をすくめた。
「別に逮捕しよう、ってんじゃないんです。巡回判事と軍警察のトラブルになることがわかりきってる案件、上は誰もつつきたがりませんよ」
「だが、お前は違うんだろう?」
「俺はお巡りさんですから。市民が危険に曝されるようなら手を打つまでです」
タチバナは大きく溜め息をついた。
「お前にデータベースをあたってもらった手前、こっちも突っ張りきれんな。……認めたよ、『自分がやった』ってな。まあそうなんだろう」
メカヘッド後輩は「へえ」とだけ言って聞いていた。
「それ以外は人を殺せるような奴に見えんがな。何か訳ありなんだろう」
「わかりました。何か起きない限り、こちらからその件に首を突っ込むのはやめておきましょう」
二人はそれぞれ書類鞄を持った。
「そうしてくれ。何もないことを願うよ。じゃあ、また後でな。……どんな案件を抱えてるか知らんが、根を詰めすぎるなよ」
「ええ?」
「色々考えてる時ほどヘラヘラしたりマジメになったり、落ち着かなくなるのは昔から変わってない、ってこった」
後輩は自らのメカヘッドに右手を当てた。
「タチバナ先輩にはかないませんね」
タチバナと別れるとすぐにアオが持つ端末機が電子音を鳴らし、入金が済んだことを知らせた。画面には結構な額面が表示されている。
「ナカツガワじゃ賄えないものを1週間分買い込むのさ。これくらいはいるんだ。さあ行こう」
レンジが目を丸くしていると一緒に画面を見たマダラが言う。3人はカガミハラの大通りを歩き始めた。
レンジはアオとマダラに案内してもらいながら3人でカガミハラの町を歩き、ナカツガワに持ち帰るものを買い集めた。
酒場に置く新聞と雑誌、町の貸本屋に卸す本に絵本、漫画と、皆が自由に利用できる電子書籍のデータ。老若男女の衣類は、「デザインの参考になるものを」と町の仕立屋から依頼されてのものだった。そして化粧品、衛生用品、玩具など。それぞれの店で注文したものは、駐車場に停めている車に運ぶように手配した。
昼過ぎに目ぼしい店を回り終え、駐車場に戻ると荷物は既に荷台に詰め込まれ、扉に納品書がべたべたと貼り付けられていた。マダラが伝票を集めて読み上げ、アオが端末の画面を見て収支を確認する。
「全部あるね」
「よし、作業完了だな」
帰り道の会津商会で買ったサンドイッチの袋と水筒を抱えて、レンジがやってきた。
「ただいま。いくつか選んで買ってきたよ。紅茶とコーヒーをおまけしてもらった」
2人は「ありがとう」と言い、そのまま3人で駐車場に座ってサンドイッチを分けはじめた。順番を譲られたレンジがBLTサンドを取ってコーヒーをコップに注ぐと、兄妹も嬉しそうに袋を覗きこんだ。
「会津屋さんに顔を覚えてもらったな、やったじゃないか。……ハムカツサンドもらうぞ」
「私、玉子サンド! コーヒーも貰うね」
「じゃあ、俺は紅茶にしよう」
皆が食べようとしたタイミングで、鞄を持ったタチバナが戻ってきた。
「おーい、お疲れさん」
「おかえりなさい」
「サンドイッチ買ってきたんですよ。おやっさんもどうです?」
「すまんなレンジ、いただくよ」
タチバナはレンジから紙袋を受けとると、厚焼き玉子のサンドイッチを取った。
「こいつがたまらなく好きでね」
返された袋から、若者たちは二つ目のサンドイッチを選んだ。玉子サンドを取ったマダラが顔を上げる。
「おやっさんの方こそ、手続きありがとうございました。うまくいきましたか?」
「ああ、問題ないそうだ。皆の買い物はどうだった?」
「買い物、全部済ませました。納品も引き落としも済んでます」
一つ目の玉子サンドを食べてからアオが答え、端末をタチバナに返した。マダラも納品書の束を渡す。タチバナは画面を流し見た。
「問題無さそうだな。黒字になった分は、町の積み立てに回そう。……レンジ、カガミハラはどうだった、どう思った?」
「そうですね……俺は立ち寄っただけだったんで、これだけ賑やかな町だったとは思いませんでしたよ。会津商会の専務さんがすごく丁寧だったのに驚きましたけど……」
レンジは言いよどんで、コーヒーをすすった。会津商会の丁重なもてなしについて触れると、"それ以外"が頭をもたげてくるのだった。
「すまんな、言いにくいことだと思うが……この町でのミュータントの扱いはどう思った?」
マダラとアオがサンドイッチを置き、じっとレンジを見ていた。
「こいつらは精々、ナカツガワとカガミハラくらいしか町を知らないんだ。外の世界のことを、教えてやってくれないか」
レンジはコップを車止めに置いた。喉が乾くような錯覚を覚え、生唾を飲んでから口を開いた。
「そうですね……結論から言うと、他の町に比べたら随分丁寧だと思います」
マダラもアオも納得いかない、とばかりにもぞもぞ動いている。
「最後まで聞けよ。……二人に詳しく話してくれないか」
レンジはうなずいて、二人を正視した。
「会津商会以外の店に行ったら、店員はだいたい素っ気ない態度で、視線をろくに合わせてくれないよね。そんな扱いされて嫌な気持ちになるのは当たり前だと、俺も思う。でも、他の町ではミュータントがもっと酷い扱いを受けてるところは、ざらにあるんだ。物を売ってくれないのはまだいい方だ。足元を見てふっかけられたり、わざと不良品を掴ませたり……他の客からも酷い言葉をかけられることもある。道を歩いているだけでミュータントじゃない人間から陰口されたり物を投げられる。この町では避けられるだけなんだけど。行方不明になったり殺されても、まともに取り合ってもらえないで、なかったことにされることだって、よくあるんだ……」
マダラとアオはぐっと固まって話を聞いている。
「ごめん……」
「謝ることはない。レンジの言ってることは事実だからな」
タチバナがきっぱり言った。
「ミュータントがどう見られてるのか、知っておくことも必要だ。……さあ、飯を食ったら撮影に行くぞ」
そして、玉子焼きのサンドイッチを口に放り込んだのだった。
アオとマダラは俯いたまま、レンジは二人をチラチラと見ながら、それぞれ無言で昼食を済ませた。紙袋などのゴミをバイオマス発電機の分解槽に突っ込むと、レンジのバイクとマダラ・アオ兄妹に加えてタチバナも一緒に乗ったバンは、撮影現場に向かって出発した。
脚本の流れや撮影機材の確認など、とりとめなく話すうちにマダラとアオは気持ちを切り替えていた。
ロケ地となるカガミハラ市街第6地区ーー廃工場が並ぶ再開発地域ーーに着くと、真っ先にバンから飛び出したタチバナが通りを見て回り、撮影場所の検討をはじめる。しばらくすると早足で戻ってきて、運転席で待つマダラに話しかけた。
「場所の見当がついた。設営を始めよう」
カガミハラ・フォート・サイトに暮らすミュータントは、さほど多くはない。流入するミュータントの多くにとって、この町はナカツガワ・コロニーをめざす中継地点に過ぎなかった。
昔から町に住み着いている者、様々な事情からオールド・チュウオー・ラインの奥地へと分けいることを断念した者たちが、うらぶれた路地や再開発地域の廃ビルの谷間に、ひっそりと暮らしている。彼らはコミュニティを作る程の力もなく、それ故にか非ミュータントから手酷い排斥を受けることもなかった。
廃ビルが朽ちながら立ち並ぶ第7地区の外れ、ビルの隙間に挟まれた木造のぼろ家の戸口に、ミュータントの若い女性が立っていた。首の周りから胸元にかけて、鳥の飾り羽根のような羽毛に被われている。両手には手首から振り袖のように翼が生えていた。髪をまとめ、黒い艶やかなドレスと薄いショールを身にまとった姿は、再建計画もなく見捨てられた町の死骸の中にあって、一際目を惹いた。
「それじゃ、おじいさん、またお店にも顔を出してくださいね。お孫さんも心配してましたから」
「いつもありがとう。チドリさんのところで孫が働かせてもらって、本当に感謝しているよ。“止まり木”がなかったら、あの娘だってどうなっていたか……」
家の中から出てきた灰色の老人が、女神を信奉する修行者のように両手を組みながら言う。
「私はできることをしているだけですし、あの子もよく働いてくれてます。だから、あまりかしこまるのはおやめくださいな」
「それはすまなんだ」
チドリが老人に手を振って立ち去ろうとした時、見慣れぬバンとバイクが隣の第6地区に向かって走ってくのが目に入った。
「珍しいですね、車がこの辺りを走ってるなんて」
「ああ、なんだか隣の地区で撮影があるそうだよ」
「撮影……」
チドリは走り去るバイクに乗った男の背中を、じっと見送っていた。
マダラとレンジは車から出した機材を並べて、無人の工場跡地に即席の撮影編集ブースを組み立てていた。マダラの指示でレンジが機材を結線して、発電機を接続したマダラがスイッチを入れると、各所のインジケータが点灯して画面が立ち上がった。
「オッケー、準備完了だ」
タチバナが起動したドローンのカメラを通して、工場内の映像が画面に写し出される。
「映像も問題なさそうだな。音声はどうだ?」
ドローンを操作しながらタチバナが尋ねると、マダラは起動中の機材を確かめた。
「いけます。拾えてます」
「よし。俺は現場の設営に行ってるから」
タチバナが撮影ブースを出た直後、入り口に停まっていたバンの後部扉が開いて、アオが降りてきた。
「インナー着替え終わりました。兄さん、スーツの着付けお願いします」
スタイルのよい長身をぴったりしたインナースーツが包み、ボディラインを際立たせている。レンジは慌てて目を反らした。
「すぐ準備するから、部屋の隅で待っててくれ」
マダラは横目でレンジを睨みながら、着ぐるみを入れたコンテナが載った台車を転がした。
オートマトンの内部装甲をそのまま使っているだけあって、着ぐるみを身につけたアオは両腕を巨大な武器に改造し、ソフトスキンの外装を取り去った戦闘用オートマトンにしか見えなかった。
「すっごい! 私じゃないみたい!」
鏡を見たオートマトンが女の子のように喜ぶ。
「どうだい、制作サイドとスーツアクトレスと造形師の要求を完璧に融合させたこの仕上がりは!」
「大したもんだな。……けど、三つめのは要するにお前のこだわりじゃないか」
「それがなきゃ形にならないだろ?」
「うーん、そんなもんか……」
オートマトンの顔面が大きく上下に裂け、アオの顔がのぞいた。
「ありがとう兄さん、スーツアクトレスも大変満足です」
「おう」
「それと……レンジさん、他の町のミュータントのこと、話してくれてありがとう。私、勝手に傷ついてました。ごめんなさい」
「いや、それはアオが謝ることじゃ……」
「ちゃんと聞けなかったのは事実ですから。でも、こうやって撮影の準備をしてたらすごく楽しいし、私って幸せだって思えたんです。いい画が撮れるように頑張りましょうね!」
笑顔の眩しさに、レンジも微笑んだ。強い娘だ、と思う。
「……うん、頑張ろう」
二人の話を聞いていたマダラが、張り合うように手を挙げた。
「はい! はい! 俺だってレンジの話を聞かせてもらって、よかったと思ってますぅ!」
「うん、わかってる、わかってる」
「兄さん、みっともない……」
「ちくしょう!」
二人から駄々っ子を相手するようにあしらわれてマダラが悔しがっていると、戻ってきたタチバナが入り口から顔を出した。
「準備できたから、撮影始めるぞ。……お前たち、何やってんだ?」
文明崩壊の直後は簡素な設備が稼働し、工員たちがひっきりなしに行き来していた第6地区の大通りも、生活圏を取り戻した人々が過去の技術を“再発見”するにつれて人は去り、今や静まり返った廃工場街と化していた。
道のそこかしこに模造品のドラム缶や燃料タンクが転がっている。雷電と殺人オートマトンが闘うときに思う存分壊せるように、タチバナが組み立てて配置したものだったが、よほど近寄って注視しない限り、模造品と気付くのが難しいほど精巧に作られていた。
ライダースーツ姿のレンジが通りの中央に立つと、撮影用ドローンがホバリングしながら見下ろしている。
「『これから撮影を始める。レンジ、アオ、準備いいか』」
ドローンのスピーカーからタチバナの声。工場内のマイクを通して指示を出しているのだ。
「いけます」
レンジがドローンに向かって答える。
「『大丈夫です』」
今度はドローンから、アオの声が聞こえてきた。スーツに内蔵したインカムを使って話しているのだった。
「『よし、マダラのナレーションから、脚本通りに進める。3……2……1……アクション!』」
「『カガミハラ・フォート・サイトの陰に蠢く犯罪組織、非合法な武器と麻薬を売りさばく死の商人のアジトを、ストライカー雷電はついに探り当てた……!』」
声色をつくってマダラが読み上げるナレーションを聞きながら、レンジは変身用ベルト“ライトニングドライバー”のバックルを丹田に押し当てた。銀色のベルトが左右から飛び出し、腰に巻き付く。
「“変身”!」
そう言うと同時に、バックルについたレバーを押し下げた。
「『OK, let's get charging!』」
軽く腰を落として両足を踏ん張る。何度も映像を見ながら練習した体勢だ。
「『ONE!』」
両腕を大きく伸ばす。“チュウゴク・ケンポー”の一種を元にした動きだとマダラが教えてくれた。
決して周囲に隙は見せないが、激しいビートや軽快なカウントとは裏腹の悠然とした動きで両腕を旋回させる。
「『TWO!』」
アオは「戦いの中でも余裕がある感じが格好いい」と話していた。レンジにとってはスーツを身につける前に呼吸を整えることができるので、この動きはありがたかった。
「『THREE! ……Maximum!』」
カウントが完了するのを聞いて身構える。全身を黒いインナースーツが包み、鈍い銀色の鎧とヘルメットがその上に形作られた。身体の各所に、雷光のようにラインが走る。
「『"STRIKER RaiーDen", charged up!』」
変身を終えた雷電は、周囲を警戒しながらシャッター街となった通りを歩く。縦に走る黄色い帯が、くすんでところどころ剥げ落ちているシャッターの前に差し掛かった。
「どこにいる……?」
この台詞は合図だ。そのまま1秒につき一歩歩く。1歩、2歩、3歩。
黒い丸に笹の紋が入ったシャッターを突き破って、両腕にハンマーと杭打ち機を取り付けた戦闘用オートマトンが飛び出してきた。両腕を大きく振り回し、天を仰いで合成音声の咆哮をあげる様は、アオが操演しているとは思えない仕上がりぶりだった。
「出たな、殺人オートマトン! “電光石火で、カタをつけるぜ!”」
雷電スーツの“大見得”機能によって発せられた決め台詞を合図に、2つの人影が走り出した。二人にピントを合わせたドローンが自動追尾して飛んでいく。
互いに睨み合いながら1つ、2つと区画を越え、大きな工場前の駐車場跡に出た。元々積み上げられていたドラム缶に加え、模造品のドラム缶をタチバナが置いて、城壁のようになっている。ここが雷電とオートマトンの決戦地になるのだ。
オートマトンが立ち止まり、右腕のハンマーを繰り出す。雷電が両手で受け止めると、ハンマーの勢いが殺がれ、軽く押される感覚があった。レンジは自力で後ろに跳び、転がって受け身を取る。
雷電を弾き飛ばしたオートマトンは力を誇示するように両腕を振るい、近くに置かれていたドラム缶の1つを真上から叩き潰した。中から紙吹雪が舞い上がる。
「いい感じじゃないか! アオにこんな才能があったとはな!」
「いや、あれは好き過ぎてのめり込んでるだけです。……あれ?」
撮影編集ブースで、タチバナとマダラはドローンから中継されている映像にかじりついていた。満足そうにタチバナが言うが、マダラは眉間にシワを寄せている。
「おやっさん、今アオが潰したの、うちで用意したドラム缶じゃないですね」
上機嫌だったタチバナが途端に青ざめた。
「なんだって! 撮影を中断するか?」
「いや、あの工場は随分前から放置されてるはずです」
すぐさまマダラはメカヘッドが用意した撮影地の資料をめくる。
「……リストを見たらやっぱり空き家みたいですねあそこ」
タチバナはほっと息をつくと、気持ちを切り替えるためにか豪快に笑う。
「よし、このまま進めるぞ」
画面の中では、雷電の拳とオートマトンの両腕に仕掛けられた武器が激しく撃ち合っていた。レンジとアオが何度も打ち合わせ、組み手をして作り上げてきた通りの演舞だ。両者は時おり回転して立ち位置を入れ換え、さながらダンスを踊っているようだった。足元にはドラム缶から飛び出した色とりどりの短冊が散らばっている。
「……何ですあれ? あの、ドラム缶から出てきた……」
タチバナはタブレット端末を取りだし、ドローンの映像を呼び出す。足元を拡大すると、シートには等間隔を保って錠剤がパックされていた。
「まじかよ、あれは……」
編集部の会話を聞いていたレンジが足元を見る。インカム越しのレンジと、タチバナが同時に叫んだ。
「『LDMA!』」
「合成麻薬だ!」
「LDMA!」
雷電が叫ぶのと同時に、ドラム缶の山の陰から黒尽くめの人影が立ち上がり、レンジとアオを取り囲んだ。ヘルメットに目出し帽、タクティカルベストとプロテクターで身を固めている。構えた小銃が、一斉に雷電とアオを捉えた。
「こいつらっ!」
レンジは咄嗟にアオをかばい、オートマトンスーツを抱きしめた。タタタッと乾いた音が響き、雷電の背中に衝撃が響く。
「くそっ!」
ドローンは銃撃を避けて障害物の狭間に着地していた。絶え間なく届く映像を確認していたマダラが叫ぶ。
「『レンジ、連中の銃じゃスーツは抜かれない。アオも大丈夫だ。ガンガンやってやれ!』」
「了解!」
レンジが話している隙を狙って、黒尽くめの一人が忍び寄っていた。雷電の死角から、大きく銃の台尻を振り上げた。
「駄目っ!」
雷電に銃が叩きつけられる前に、アオが右腕のハンマー……の形をしたグローブで殴り付けた。
「ぐぇぶ」
拳が鈍い音をたてて腹にめり込むと、男は間抜けな声を空気と共に吐き出した。アオが腕を振り抜くと、黒尽くめは勢いのままに飛んでいき、ドラム缶の壁に突き刺さった。ガラガラと音をたてて缶の山が崩れ、不逞の輩を押し潰す。取り囲む黒尽くめたちは一瞬固まったが、後ずさりながら銃を構え直した。
「『武器を持った奴を取り逃がすな!』」
「了解!」
タチバナの檄に短く答え、雷電は身構える。
「“電光石火で、カタをつけるぜ!”」
雷電が決め台詞を言い始めると共に、黒尽くめたちは一斉に引き金を引いた。
レンジはスーツによって半ば強制的にしゃべらされながらも動き続けていた。アスファルトを蹴り、弾丸の雨を掻い潜って最も手前にいた男に殴りかかる。銃で右の拳を防がれると、すぐさま左を放ち、みぞおちに叩き込んだ。
「『二人目!』」
タチバナが喜び勇んで言うが、雷電は男に蹴りを放つと後ずさった。
「まだだ!」
黒尽くめは倒れない。取り落とした銃を拾い上げると、素早く再び構えた。
「どうなってるんだ、手応えがないぞ!」
「『ちょっと待ってくれ……』」
今や黒装束たちは雷電を標的にしていた。銃を鈍器として振りかぶり、雷電の周囲を取り囲んでいる。
「『……ごめん、スーツのリミッターとセーフティをつけたままだった! すぐ外すよ!』」
「早く頼む!」
殴りかかる男の顔面を打ちすえて足止めし、後に続く集団を封じる。左右から回り込んできた敵が顔を出すたびに、もぐら叩きのように殴る、蹴る。
「きりがない!」
黒尽くめたちはすぐさま体勢を立て直し、4、5人が一度に雷電に組み付いて、動きを封じた。残りの数人が廃工場に向かって走り出す。
「ちくしょう! 逃がすかよ!」
「レンジさん!」
アオが雷電に駆け寄ろうとした時、マダラが叫んだ。
「『……解除できたよ!』」
雷電を押し潰していた黒い塊が盛り上がった。リミッターを解除したスーツの力で、黒尽くめの集団に組み付かれたまま立ち上がったのだ。
セーフティを外した総身に力をこめると、四肢に稲妻が走る。軽く感電した男たちを投げ飛ばすと、雷電は駆け出した。鎧に走るラインが光の帯を描く。
廃工場に向かって走る黒装束たちの最後尾に追いすがって殴り倒すと、二人目を跳びげりで沈めた。三人目は銃を構えて応戦の体勢を取ったが、遅かった。雷電が大きく踏み込んで間合いを詰め、雷光を纏った拳を放つ。最後に残った男はタクティカルベストに拳の形を烙印されて吹っ飛び、大の字になって倒れた。
「逃がさないって、言ってるだろう」
黒尽くめたちが沈黙したことを確認したタチバナが、バンを走らせてやって来た。動かない黒装束の男たちを拘束すると、レンジやアオと一緒に運んで並べ置く。作業を済ませるとドローンを拾い上げてため息をついた。
「やれやれ、とんだ撮影になっちまった。軍警察が来るまで休憩だな。……この映像、使えんかなあ」
ドローンのスピーカーから「『いや、無理でしょ』」とマダラが返す。
「また撮ればいいじゃないですか! 次はもっといい殺陣ができると思うんです!」
アオがスーツのフェイスカバーを開いてタチバナを慰めた。
「『お前は自分がスーツ着たいだけだろ……』」
レンジは雷電スーツを解除せず、撮影班のやり取りを背中で聞きながら廃工場に近づいていった。
「なあ、マダラ、連中は何をしたかったんだろうか?」
タチバナの手からドローンが飛び立ち、レンジの後ろについてきた。
「『麻薬の証拠隠しをしたかったんじゃないの?』」
「それはわかるんだけど、この工場が気になるんだよな」
雷電はシャッターが降りた廃工場の前に立った。中に人の気配はなかった。
「『脱出口とかじゃない? 排水溝とか、地下道とかが伸びててさ』」
足元にはマンホールがあり、シャッターの横には操作盤がついていた。部品は黄ばんでいるが、故障や破損があるようには見えなかった。
「それが“カタい”んだろうけど……おっ、動くな」
操作盤に電源が通っている。レンジが盤上のキーを適当に押していると、液晶画面に“無効な操作です”と表示された。
「駄目か……」
「『出鱈目に押して、開くなら苦労しないさ』」
「そりゃそうなんだけどさ……お?」
「『どうかした?』」
レンジが所在なげにキーを押し続けていると、液晶に“不正侵入の疑い 10秒以内に停止コードを入力”と表示され、機械音と共にカウントが始まった。
「何だか知らんが、反応してくれたな」
「『完全に警戒されてんじゃん! 何がくるかわからんぞ!』」
雷電とドローンは、液晶画面が“3……2……1”と変化していくのを見守っていた。“0”が表示されると同時に、正面のシャッターが大きな音をたてて上がり始めた。
「おーい、レンジ、何やってんだ!」
タチバナが駆け寄って来るが、身を屈めてシャッターの向こうを覗き込んだレンジは、すぐに起き上がって制した。
「おやっさん、アオと一緒に下がっていてくれ」
シャッターが持ち上がると、艶消しの黒で塗られたパワードスーツが立っていた。2メートルを優に超える機体を、重厚な外殻が包んでいる。四肢はパワーアシスト用のシリンダーが組み込まれて巨大化し、人間の骨格から離れた造作をなしていた。各部に這わされたコードとパイプが、どこか生皮を剥がされた動物のような生々しさを感じさせる。
シャッターが開ききる前に、パワードスーツ頭部のセンサーライトが赤く光った。
「来る!」
黒い巨人が歩きだし、上がりかけのシャッターを破って工場の外に現れた。センサーの赤い光は雷電を捉えている。
「上等だデク野郎! “電光石火で、カタをつけるぜ!”」
パワードスーツの拳が振り下ろされる。雷電が避けると、地面に叩きつけられた衝撃で周囲のドラム缶がひっくり返った。
雷電はすぐさま回り込み脇腹を殴り付けるが、装甲がわずかに歪むだけだった。黒装束の巨人は上体を回転させて、雷電を弾き飛ばす。
「クソほど固いじゃないか!」
標的を他に逸らすわけにいかず、レンジは振り下ろされる拳の雨を避けながらパワードスーツの周りを走り回った。隙を狙って殴り付けるが、パワードスーツはびくともしない。雷電は殴り返され、両腕で身をかばったが、大きく飛ばされてドラム缶の山を崩して中にめり込んだ。
「さすがに衝撃がきついな……!」
パワードスーツは目標を見失っておろおろ歩いている。雷電はドラム缶を掻き分けて跳び出した。
「『雷電、あの装甲は相当固い。関節を狙うんだ!』」
「セオリー通り、ってか。必殺技の充電はどうだ?」
赤い眼光と睨み合う。巨人が大きな拳を振り上げた。
「『……駄目だ! 安全モードで無茶させ続けたからな!』」
打ち込まれる拳を避け、再び至近距離にまとわりつく。
「なら仕方ない! アオたちの避難は?」
「『ついさっき終わったよ!』」
鈍い銀色のスーツが、アスファルトに叩きつけられた巨人の拳を蹴って跳び、広く間合いを取った。
「それならいける!」
雷電は積み上げられたドラム缶の山を駆け登ると、山から山へと跳び移った。パワードスーツはカメラアイを動かして敵を追うが、ドラム缶の上を自在に跳ね回る雷電を捉えきれない。
巨人を散々翻弄すると、雷電は崩れた山の上に降り立った。パワードスーツが拳を振り下ろすと、大きく跳び上がる。
パワードスーツの腕がドラム缶を押し潰した時、雷電は上空に浮いていた。赤い光が再び敵を捉えるが、身構える前に雷電は重力に任せて巨人の肘関節を踏み抜いていた。
子どもの背丈はあろうかという前腕部がへし折られて転がると、パワードスーツは片側の重りを失い、バランスを崩す。着地した雷電が曲がった膝を蹴ると、巨体は仰向けになって地面に倒れた。
立ち上がろうとしたパワードスーツが左腕で地面を押そうとすると、雷電は腕に抱きつき、身体をよじるようにしてもぎ取った。再び倒れた巨人の脚から配線とパイプを引きちぎり、取り付けられていたシリンダーを叩き壊すと、パワードスーツは仰向けのまま動かなくなった。
「よし!」
雷電がパワードスーツの残骸を見下ろしていると、タチバナとアオが駆け寄ってきた。
「今度こそ、終わりだな」
「レンジさん、お疲れさま」
サイレンの音が近づいてくる。
「おいでなすったな」
タチバナがそう言って大通りに視線を向けると、アオとレンジも一緒に振り向いた。
赤いパトランプを点灯させ、灰色の軍警察車両が列をなして近づいてきた。工場前の路上に停まると、車内から制服姿の軍警官たちが現れ、隊列を組んで歩いてきた。先頭の車両からは黒いドレスを纏った妙齢の女性と、無骨な機械部品の頭をしたスーツベスト姿の男が降り立った。機械頭の男が手をあげると、軍警官たちが立ち止まり、憲兵たちが揃って敬礼した。
「ナゴヤ・セントラル軍警察、カガミハラ分隊であります。……先輩すいません、部隊の編成に時間がかかっちゃって」
メカヘッドは敬礼を解くと、途端にへらへらしながら言う。
「おう、もう終わってるぞ」
「それは何より! 俺たちの仕事もはかどるってものです! 皆さんもお怪我はありませんね? ご協力ありがとうございました」
雷電スーツを解除したレンジとアオは呆気にとられて機械頭の私服警官を見ていた。
「始めろ」
メカヘッドが短く指示すると、憲兵たちの半分が銃を構えたまま廃工場に入っていった。もう半分の軍警官は武器を背負い、数人を除いて工場前の検分と、拘束された不審者たちの収容を始める。最後に残った数人が、メカヘッドの後ろに並んだ。
「皆さんには署まで同行頂き、簡単なインタビューに答えて頂きます。これは状況の確認をとる必要上おこなうもので、お時間はさほど頂きませんし、不正行為の嫌疑によるものではありません。断って頂いても構いませんが……」
「協力しよう。皆はどうする?」
「構いませんよ」
「私も」
「『俺も。……あっ、すいません、離れたところにいるんで、すぐ向かいます』」
「構いませんよ、車でお迎えにあがります」
メカヘッドは宙に浮かぶドローンのレンズに話しかけた後、再びタチバナたちに向き直った。
「皆さんも、署員の運転する車にお乗りください。……ナカツガワ・コロニーの正保安官とご家族の方々だ、失礼のないように!」
「はい!」
さらに向きを変えて憲兵たちに指示を飛ばすと、メカヘッドはレンジを呼び止めた。
「タカツキ・サテライトのレンジ君」
レンジは表情こそ変えなかったが、強い眼差しで私服警官を見た。
「はい、なんでしょう?」
「君は俺の車だ」
メカヘッドはセンサーライトを光らせながら、レンジに一歩迫った。
「色々と話を聞かせてもらいたいのでね」
黒いドレスを着たミュータントの女性に話しかけられた後、レンジはメカヘッドと二人で車に乗り込んだ。ドアが閉まり、女性が足早に去っていくまでを、アオはじっと見ていた。
「おーい、そろそろ行くぞ」
灰色の軍警察車両に乗り込もうとしたタチバナが振り返って声をかける。
「はーい!」
レンジは車から降りると、運転していたメカヘッドに先導され、カガミハラ軍警察署の無機質な廊下を歩いていた。西陽が窓から射しこんで白い壁に薄いオレンジの縞模様を描いている。二人は無言で歩き、“取調室”と彫られた札が提げられた部屋に入った。
「どうぞ」
狭い部屋に、二脚の椅子を挟んで小さな机が置かれている。卓上にはライトスタンド。部屋の隅には資料棚と、もう1つの作業机。天井に吊られた白い照明灯が、冷たく室内を照らしていた。壁には鉄格子がはめられた小さな窓がひとつだけ。
「奥の椅子に座ってくれ」
レンジが促されるままに腰かけると、反対側の席に私服警官が腰かけた。
「どうだい、この部屋は。旧文明の映像資料を集めて再現してみたが、なかなか様になってるだろう? 本当は窓を大きくして、ブラインドをつけたかったんだがなあ……」
「はあ」
レンジが気のない調子で相槌を打つと、メカヘッドは咳払いをした。
「まずは被疑者の逮捕と捜査協力に感謝する。俺はカガミハラ軍警察署の一般捜査部に所蔵する……いわばお巡りさんだな。この仕事に就いて随分長いから、皆から親しみを込めて“メカヘッド先輩”と呼ばれている。よろしく頼むよ」
「レンジです。よろしくお願いします。私のことはよくご存知のようですが……」
「畏まらなくていいよ。……悪いが、オーサカ・セントラルの保安官資料を見せてもらった。と言うより、タチバナ先輩から君の来歴を調べるように頼まれたからなんだがな。気を悪くしないでくれよ?」
「いえ、大丈夫です。タチバナさんからも話は聞いていましたから」
メカヘッドは自らの頭を平手でポンと叩いた。
「あっ、俺のことも聞いてたの? いやあ、参っちまうな! ……タチバナ先輩、俺のことは何て言ってた?」
「いえ、メカヘッドさん……」
メカヘッド先輩が身を乗り出して、センサーライトが光る頭部を近づけてくる。
「せ、ん、ぱ、い、で頼む」
「……メカヘッド“先輩”のことは、何も聞いてません」
「ちぇっ」
レンジが疲れを感じながら言い直して答えると、私服警官はがっかりして声をあげ、席に戻ると背筋を伸ばした。
「冗談はさて置いて、質問に移ろう。レンジ君……君は」
「はい」
ひと呼吸おいてから、メカヘッドが尋ねた。
「チドリさんと、どういう関係なのかね?」
「はい?」
鼻の孔もないのに、鼻息荒くメカヘッドが迫る。
「あのチドリさんが! 俺たちの歌姫が! あんなに親しげに話しかけて……おまけに受け取ったのはプライベートの名刺だろう! 俺は見落とさないぞ!」
レンジはチドリから渡され、財布にしまいこんだ名刺を取り出した。
「これですか?」
メカヘッドは慌ててセンサーライトの周りを手で覆う。
「いや、いや、見せなくていい! おこぼれでチドリさんの個人アドレスを知ろうなんて、そんな卑怯なマネはしないぞ、俺は!」
うんざりしながら、レンジは名刺を戻した。
「とにかく、そんなものを持てる人間なんて限られている! お前はチドリさんと元々深い関係にあり、久しぶりに会った……違うか?」
「違います、初対面ですよ」
「信じないぞ! 状況証拠はあがってるんだ!」
拗らせたファンの駄々っ子めいた言動に、レンジは深く溜め息をついた。
「彼女とは初対面ですよ。……彼女の関係者と知り合いだったので、その縁で俺の名前を知っていたそうです」
「関係者というのは、君がタカツキ・サテライトを出るきっかけになった事件にも関係しているのか?」
メカヘッドが急に真剣な調子で尋ねると、レンジは肩をつり上げた。
「約一年前、タカツキ・サテライトで保安官殺しが起きた。殺人の嫌疑をかけられた君はすぐに出奔したが、数ヵ月も経たぬうちに捜査は取りやめ、事件は闇の中だ。君は自由の身になりながらも旅を続け、とうとう最果てのナカツガワ・コロニーにたどり着いた」
「デッカーを殺したのは俺です」
レンジがきっぱりと言うが、メカヘッドは動じない。
「それは予想していた通りだ。だが、俺が知りたいのはそこじゃないんだ。君を逮捕するつもりもない。軍警察だって、どこの巡回判事だって、君を逮捕しようとはしないだろう」
そう言ってから指を組み、姿勢を崩す。
「……君は“ブラフマー”を知っているか?」
「いいえ」
レンジが全く覚えのない名前に困惑して答えると、メカヘッドはうなずいた。
「まあ、そうだろうな。ブラフマーというのは、麻薬やあるいは非合法な武器、機械部品など、後ろ暗いものを闇から闇へと売りさばくシンジゲートだ。オーサカ・セントラルを中心に各地に根を張り、カガミハラにも数年前から拠点を作っている。……はじめは君も協力者か構成員だと思っていたが、全く怪しい線が見つからなくてね。思いきって直接聞いてみようと思ったが、やはり無関係みたいだな」
メカヘッドは笑いながら話した。レンジもつられて愛想笑いをつくる。
「あの、それってうっかり聞いたら不味い話でしたか?」
「いやいや、その手のスジ者からすれば常識みたいなもんだ、問題ないよ。おおっぴらに話すことでもないけどな。……さて、君がこんな話を聞かされている理由が、タカツキの事件に関係していると言ったらどうする?」
笑うのをやめてメカヘッドが尋ねると、レンジも真顔になった。
「聞かせてもらえますか」
「被害者の正保安官、いやさ、君がぶち殺した腐れド外道の悪徳デッカー、ヨシオカはブラフマーの構成員だった。保安部へのスパイ活動をしながら、オーサカ・セントラルのあちこちに合成麻薬をばらまいていたのさ。そいつが殺された後、セントラルの巡回判事と保安部は不祥事の揉み消しと組織を摘発するためのネタ探しに躍起になった。けど、麻薬がほんの少し出てきただけでね、ちゃちなヤクの売人としての証拠しか上がらなかったのさ。仕方なくそれで捜査は打ちきりだ。ところが半年以上経って、カガミハラの裏路地に合成麻薬が現れた。かつてオーサカ・セントラルにはびこったのと同じタイプで、分析したところ不純物も含めて成分が完全に一致した。俺は麻薬のデータベースからオーサカの事件に当たりをつけていて、そこに関係者の君が現れたというわけだ」
滔々と話すメカヘッドに、レンジは手を上げた。
「メカヘッド……先輩、もしかしなくてもこの話って、一般人が聞いちゃ駄目なやつなんじゃ……」
メカヘッドは愉快そうに笑った。
「そうなんですね?」
青くなりながら尋ねるレンジに、メカヘッドは顔を近づけて言った。
「君が“聞かせてくれ”って言ったんだぜ」
「そうなんですけど!」
メカヘッドは席を立つと、言葉を失っているレンジの肩をポンと叩いた。
「これで俺たちは一蓮托生、ってやつだ。市民を守るためにお互い頑張ろうぜ、ヒーロー」
資料棚横の机に置かれた内線機が呼び出し音を鳴らす。メカヘッドが受話器を取った。
「はい、取調室。なんだ、俺に……? ああ! すぐ行く。待っていてほしいと伝えてくれ!」
内線のスイッチを切ると、うきうきしてレンジに向き直った。
「楽しいインタビューは終わりだ。飯にしよう。行くぞ!」
メカヘッドとレンジがカガミハラ署の正面ロビーに着くと、昼とは違う艶やかな黒いドレスを纏ったチドリが、紙袋を持って椅子に腰かけていた。二人がやって来たことに気づいて、立ち上がって小さく手を振る。
「お二人とも、遅くまでお疲れさまでした。お腹が空いているかと思って、差し入れを持ってきたの。うちのお店で出してるものだけれど……」
「いやいや、ありがとうございます! チドリさんから差し入れだなんて幸せだなぁ! ……ん?」
受け取ったメカヘッドは中を覗き込んだ。
「1つしか入ってないみたいですけど……?」
チドリが小さく微笑んだ。
「それは、メカヘッドさんの分」
「ほーんと!」
紙袋を持って小躍りしそうなメカヘッドを見てから、チドリはレンジの手を取った。
「では、レンジ“君”はうちに引き取らせてもらいますね」
「えっ?」
「ええっ!」
男たちが驚きの声をあげると、チドリは楽しそうにクスクスと笑った。
「私、ただ待っているのは性に合わないから、捕まえに来ちゃった」
そう言ってレンジの手をやさしく引き寄せる。
「私の店にご招待するわ。聞かせてもらいたいこと、私も沢山あるんですからね」
メカヘッドは紙袋を抱えたまま、カガミハラ署の正面玄関を悠々と歩き去るチドリと、なすがままに連れ去られていくレンジを見送った。
「そりゃないぜ」
紙袋の中に入ったボール紙の箱には、具材がたっぷりと入ったクラブハウスサンドイッチが詰められていた。
「今度は店で注文しよう……」
カガミハラ署の隅の、窓のない部屋。押収物件を一時的に保管するための倉庫に、第6地区の廃工場から回収された物品が運び込まれていた。合成麻薬は全て金庫に収められ、棚にはところどころに傷のついた防具類や粗雑な作りの銃器。パワードスーツの残骸は大きなコンテナにまとめて放り込まれている。工事の敷地内から押収された種々の機械部品も、数字が書かれた札をつけられ、乱雑に並べられていた。
大人がすっぽり入りそうな板状の機材が「13」と大きく書かれた紙を貼られ、部屋の奥に置かれていた。表面にある小さなインジケータに「信号途絶」と表示される。
画面の横にあるランプが、ぼんやりとした赤い光を点滅させ始めた……
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