第32話 - 争奪戦
野獣のように俊敏に森の中を駆けた紫色の一人が、大きく飛び上がると傍の大樹を蹴り、音もなくとんでもない角度でキース達を急襲した。
マリアが咄嗟に出現させた鉄の盾で防ぎ、逆の手に鉄剣を出して、鋭く振るう。
鋼がぶつかり火花が散る。急襲が防がれたとみるや、それ以上深追いすることはなく、男は地面を転がり木々の暗がりに再び潜むのだった。
どこへ消えたかと目で追おうとするが、それを妨害するように、遠くから何かが飛来する。
殺意の塊のような火球であった。空を焼きながら幾つもの炎が殺到する。
マリアの剣が怜悧な軌跡を何重も描き、それらを叩き斬るが、そうして上空に視線が釘付けになっている間に、地面に張り巡らされた植物の根のようなものが、触手のように滑らかに立ち上がり、二人を絡めとろうと襲い掛かった。
だが、それしきの奇襲を食らう金剛鉄姫ではない。剣と盾を放り捨て、新たに出現させたのは両の手で抱えるような、巨大な戦斧であった。
この細腕のどこにそんな膂力があるのだろうか。当然のような表情で、迫りくる木の根を台風の如き強烈な一撃で根こそぎ粉砕する。
そしてキースとマリアは、一旦木陰に隠れて、様子を伺うこととした。
「北方魔術【
「西方魔術【
遠くから、そんな声が聞こえる。声の主は、木の枝に座り、上方からキース達を見下ろしている。そいつらの居所をやっと目視できたとしても、すぐさま葉の影に隠れ、枝から枝へ移動し、霞のように姿をくらます。
現象や物質を出現させる魔術体系、北方魔術。一人は、炎を撃ち出す魔法を持つ。
精霊や妖精を召喚する魔術体系、西方魔術。もう片方の男が呼び出した精霊は、視認範囲内の植物を操れる、というものであった。
遠方から火炎を飛ばし、植物の蔦で牽制しながら、近接担当の男を葉で覆い隠す。あまりに手練れた連携であった。
「あぁ~、だりいな。手練れてやがる。人殺しに慣れた奴らだ、気持ち悪い」
マリアが相当腕が立つことがわかった瞬間、彼らは立ち回りを変えた。捕らえることが難しいと判断するや否や、ひたすら牽制に徹したのだ。
紫色の集団の目的は、キース達の排除、ではない。あくまでもルイスの捕獲がゴールだ。だから、ここで無理をして攻めても被害を出すリスクが高まるだけだ。
キース達がルイスを追うのを妨害し、じっくりと時間を稼いで、別動隊がそれを完了すれば、合流して数の暴力で押し切ればいい。そんな冷静で合理的な判断は、どれほどの荒事を経れば身に付くものであろうか。
「そこら中を跳ねまわる奴が近接担当、残る二人が遠方からサポート、か。マリア、こいつらを振り切って、ルイスの方へ向かうことはできるか?」
「そうやって焦ると足元掬われるだろうな。むしろ、その行動を待ってやがる。きっちりここを片付けねえと、次には進めねえ」
遥か先の方で、紫色の別動隊が、忙しなく駆けている。今、こうして足踏みしている間にも、ルイスは奴らに捕まってしまうかもしれない。
今持っている手札で、この謎の刺客たちを出し抜く策が果たしてあるのか。キースはしばらく考え、マリアに問うた。
「マリア。例えばだけど、遠方の物を無理矢理こっちに引っ張り込むような鉄の装置を作ることはできるか?」
「あぁ~? なんだそりゃ、そんなの……ま~、私にかかれば、別に、作れるけどよぉ」
「できるのか。はっ、ダメもとで聞いたのに、つくづく便利な魔法だな、それ」
苦笑しながらキースは、髪を掻き上げ、短い作戦を伝えた。
「じゃあ話は早い。僕が奴らの連携に穴を開けるから、その隙に三人をぶっ倒してくれ。そして、ルイスの居場所を知らせるから、その方向に、その装置を発動させるんだ」
「おいおい、なんだその雑な作戦。は、おい、どこいくんだ」
マリアの非難もどこへやら。キースはおもむろに立ち上がり、たった一人で、すたすたと森の中を歩いた。
キースの魔法は、まるで荒事に向いていない。自身を撒き餌にするとしても、あまりにも愚かな自殺行為であった。
三人の紫色は、何かの罠であると察していたが、見逃すほど弱腰でもない。森中を駆けまわっている近接担当の男は、自身の魔法を発動させ、木々を飛び回った。
南方魔術は、身体能力の向上が特徴の魔術体系であり、彼の魔法【
敢えてキースの周囲の木々を揺らし、どこから攻撃が来るかわからないようなブラフを撒き、気を散った瞬間を――食らう。
キースは、右手側にあった木の葉が揺れるのを見た。
(今だ)
とっくの昔に、男はキースの左手側に回り込んでいる。舞い上がり、無音のまま木の幹を蹴り、上空から襲い掛かって、両手の短剣を彼の胸に突き刺す――。
「【お前は僕の敵か】」
「【はい】……な!?」
静寂の急襲は、男の間抜けな返答によって破れた。敢えて隙を見せ、襲うタイミングを誘導し、【
だが――それだけである。位置が割れたところで刃は止まらない。男は一瞬の焦りをすぐさま修正し、刃を無慈悲に突き立てる。
「位置が分かるなら」
その伸びてくる凶器に怯えることなく、キースは彼の腕に自らの手を沿わせ、くるりと回転させる。突き立てようとしてきた力がそのまま受け流され、キースの手の誘導により、彼の体勢は崩れ地面に叩きつけられた。そして男の首根っこに、どすんと膝を乗せ、喉を圧迫させる。
温室育ちの王子が、こんなにも華麗な体術を繰り出すとは、予想外であった。
そのまま首を絞め、意識を落とそうとするキースに向かって、火球と木の根が襲い掛かる。
だが、彼は懐に隠していた、マリアが投げ捨てた鉄の盾を掲げて、それらを防いだ。
そして。
「ようやく尻尾見せたな、間抜け共」
そんな嘯きとともに、銀色が閃いた。流星のように放たれた鉄の物質は、遥か前方の枝の上を撃ち抜いた。骨が砕かれるような鈍い音が響き渡ると、枝上から男が、だらりと両腕を垂らして落下する。彼の額は、燃えるように真っ赤に腫れていた。
「なに……! 【
残された一人の男は、傍らに立つ怪物のような姿の精霊に命令した。
だがその瞬間、後頭部に、首の骨が折れんばかりの強打が響き、意識が霞んでいく。その中で、見たのは、山なりの形をした、ぐるぐると回る、鉄の物体で。
それがブーメランで、火球の男を撃ち落とした後に、弧を描いてこちらまで来たのだと知覚する前に、彼は容赦なく地面へ落下したのだった。
「座り心地が悪かったか? その木、さっきより枝が一本増えてんだよ、間抜け」
「流石だなマリア」
膝で押さえていた男も、呼吸を止められ、意識を飛ばしていた。瞬く間に問題の三人が片付き、キースは満面の笑みでマリアを褒め称える。
対する彼女は、奇妙なものを見るようにして、彼を睨んでいた。
――なんだ今の、技は。
王族であれば、護身術くらいは習うだろう。そこらの悪漢なら倒せるかもしれないい。
だが、相手は明らかに手慣れたプロだ。それに、凶器が目の前まで迫っているのに、キースは全く動揺を見せず対処した。
強いとか弱いとかではない。そういうことに慣れた人種の匂いがするのだ。彼の笑顔は、何故だか、暗がりの中でこそ輝くような、そんな気がした。
「時間がない。すぐにやるぞ」
マリアの疑念など知らず、キースはすぅ、と息を吸い込んだ。そして、森中に響き渡らせるように叫ぶ。
「【お前はルイス・クラインか!】」
「【いいえ】」「【いいえ】」「【いいえ】」「【はい】」「【いいえ】」「【いいえ】」
否定の言葉が合唱のように連なる。だがその中に、肯定を返した者があった。
遥か前方にいる紫色の男たちは、自分が強制的に答えさせられた事実に驚いており、そして、全てを悟ったマリアは既に魔法を発動させていた。
「気持ち悪いが……とりあえず、仕事はさせてもらうぜ。アイアンクラフト……【
そして彼女の傍らに、鉄の装置が権限する。巨大な弩のようなそれは、限界まで弦を張っていた。そして、肯定の声がした方向に向かって、勢いよく射出する。
鉄の矢は虚空を目掛けて放たれる。――否。その地点は、微かに揺らいだ。
「ビンゴ、そこだな! 溶けて固めろ!」
その言葉と共に、突き刺さる直前の矢じりが、どろりと溶けた。液体となった鉄は周囲に漂い、しかし意思を持って蠢いており、鉄の輪となって、そこにあるものを拘束した。
そこは虚空で、何もない、はずなのに、鉄の輪が捉えているのは、明らかに人の形であった。
その瞬間、マリアは弓から繋がれている鎖を手に取ると、力いっぱい引っ張った。その鎖は例の矢の尻と繋がっており、透明人間は凄まじい勢いでマリアの下に引き寄せられていく。
「なんだ、それは!? 逃がすな、追え、あの鎖を切断しろ!」
隊長格の男が叫ぶ。各々がその命に従う、が。既に遅い。マリアは鎖を引く腕を止め、ぽん、と虚空に手を置いた。
そして、水に絵の具が混ざるようにして、空間が濁り――そこから、ルイスの姿が現れた。
「はははははは! 競争は私たちの勝ちだな! いや、気持ちいいや!」
「ルイス、細かい事情は、後だ」
「な、なんだよ……! なんなんだよお前ら……!」
ずい、と顔を寄せたキースは、ルイスに耳打ちする。
「お前の魔法は、透明化、だろう。僕らも透明にしろ。ここから逃げるのが、とりあえず先だ」
「……なんなんだよ」
「安全な場所まで逃げないとな。例えばこの辺に、秘密の農場とかがあったりしないか?」
「……お前」
あの日。館で見た、殺意の籠ったような眼差しが、第七王子に向けられる。だがキースは、そんなもの相手にもしない。
「嫌なら、僕たちは勝手に帰る。お前は、あいつらに好き放題されたらいいさ。どうするんだ、ルイス」
無表情でこちらに殺到してくる、紫色の刺客たち。そして傍らにいるのは、無茶苦茶な二択を迫る王子。ルイスは、ぎり、と歯噛みして。
「なんなんだよ……! お前は、俺が……殺した、のに……!」
魔法を発動させた。
「覆い隠せ……東方魔術【
そして彼らは完全に姿を消した。紫色の集団は散開し、手分けして痕跡を探るが、二度と、姿を現すことは無かった。
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