第30話 - 突入

 陽光すら眠たげに見える早朝。木々と野草が生い茂る山の中を行く二人組の姿があった。

 片方は黒いローブを纏い、その下の衣服も地味な色合いで、人に見つからないことを目的とした衣装に身を包んでいた。対するもう片方は、青いドレスに白いヒールと、そんな意図なぞまるで知らないとでも言うような、自分勝手な恰好をし、山中を駆けている。


「ほんと、よくそんな恰好で走れるな、呆れるよマリア」

「あぁ~? 当たり前だろ、私を誰だと思ってんだ。というかむしろ、そんなダッセェ姿でよく外出歩けるもんだな、オイ」

「誰にも見つかりたくないから地味なほうがいいんだが……いや、もういい」


 キースは頭を抑えながら、嘆息した。これから行くのは、クライン家が秘匿している、隠された土地。

 出発時、隠密行動が絶対だから、着替えてくれと懇願するも、そんなダサい姿、死んでもできないとマリアは拒絶し、壮絶な言い争いの後、キースが折れる形となったのだ。

 世界一不毛なやり取りを思い起こさないようにするために、彼は話題を変えようとする。


「それより、こっちで合ってるのか? 正直、どの山道も同じに見えて、判別がつかない」

「は! 温室育ちは目も鼻も萎れるんだな。安心しろよ、太陽の位置と土の匂いからして、ここで間違いない」


 自信たっぷりにそう言い切るマリア。野生動物のような目で山を駆けるその姿には、月花美人として振舞っていたたおやかさは欠片も無い。

 冒険者。己の身一つでこの不可思議な世界を渡り歩く彼らは、戦闘のみならず、交渉なども一人でこなす必要があるため、様々な腹芸をも習得している。変装や潜入もその内の一つで、今回のように真逆の性格の淑女に化けることは少なくないらしい。

 異世界転生の初夜。死する運命を捻じ曲げた、月を背負う銀色の騎士。それが隣で、上機嫌に悪態を吐いている。

 あまりに厄介な人種であり、その中でも一際悪名高い奴を掴んでしまったと――キースは密かな興奮を抑えるのに必死であった。

 その時、突然マリアが立ち止まった。キースは、なにかあったか、と尋ねようとすると。


「しっ。……なんか、いやがるぜ」


 とマリアに制止されるのであった。なにがなんだかわからず、彼女に合わせて身を屈めるキースだが、耳を顰めると――確かに、音が聞こえた。

 それは、小さな雷鳴のようであり、何かが凍てつくような音であったり。散発的に聞こえる異音は、微かに空気を揺らしている。


「これは、一体なんの音だ……?」

「実際見たほうが早えだろうな。そら、捕まりな!」


 そう言うとマリアは、ひょいとキースを担いで、近くの大きな木に、鉄の剣を出現させ、次々と幹に突き立てて、するすると登っていく。声を上げる暇もなく、キースは気が付けば頂上部の太い枝に腰かけていた。

 そこからは、山の風景が一望できた。そして、そう遠くない場所で、紫電が、バチリと爆ぜているのが見えた。


「あれは」

「ああ。魔法、だな。誰かが誰かを追っている」


 どう見たって自然的な現象ではなかった。人の手による魔法であることは明らかである。


「ここはもうクライン領だぞ。しかも、僕らが潜入しようとしているタイミングで……そんな偶然が、あるのか」

「はっ! たまたま、なわけねえよな。何かがあるんだろうよ、あの戦場には。で、どうするよ、知らぬふりして見過ごすか、王子様」

「冗談だろ。無関係、なわけがないよな。きっと、とてつもなく重要なことが起きている。マリア、あの中に飛び込もう」

「はっ、面白くなってきやがった! わざわざ来てやった甲斐があるってもんだ!」


 そう嗤う麗しき冒険者。だがその瞳は、押し寄せる興奮に、爛、と輝いていた。

 その隣で、キースは思案している。こんなタイミングでの、派手な戦闘。誰が、誰を、何のために、追い立てているのか。

 今、彼らにできることは、混沌の中に飛び込むことだけであった。



 お兄様が朝早くから出発するのを見送り、その後、カイネさんをホールまで見送りました。


「クロ様~、寂しくない? 大丈夫? ほんとあの王子、デリカシーとか無いよね、サイテー!」

「カイネさん、そんな。お兄様は、必要なことを冷静に判断されているだけです」

「あ~っ、健気! ますますあの男の冷酷さが際立つ! ハミちゃんがうるさいから行ってくるね! クロ様、あたしが帰ったら、あの話、一緒に問い詰めようね!」


 そういって彼女は私の手を取り、ぶんぶんと振り回して、出て行かれました。

 ミウさんは、気が付けば姿がなく、いつここを立ったのかも定かではありません。

 屋敷の中には、私一人。しばらく忘れていた静寂がよみがえるのみでした。


「クロシェ様。なにか、お飲み物でも淹れましょうか」


 クロードがするりとやってきて、そう尋ねてくれます。私は、笑顔で頷き、では紅茶を、と頼みました。彼はその注文に頷き、そして、にこり、と笑いました。


「近頃、表情が変わりましたな」

「……表情? なにか、変わりましたでしょうか?」

「ええ。なんと申し上げますが。目が、明日のほうを向いていることが多くなった、ように見受けられます」


 不思議な表現をしました。私が首を傾げていると、奥のほうから「あ~っ、それ、私もわかりますぅ~っ!」なんて元気な声が聞こえたかと思うと。


「お嬢様、なんというか、キラキラって、輝いているなーっって思うことが多くなった……うわああああああ助けてえええええ」


 奥の部屋から大量の洗濯物を抱えたマロンが、椅子の脚に引っ掛かって盛大に転び、全てをぶちまけました。


「うわああああああああん、折角洗ったのにいいいいい」

「マロンさん……まあ、ええと、どうしましょう、とりあえず、集めますね」

「いえ、お嬢様! そのまま、おくつろぎください! 私が全部やっておきますので!」


 手伝おうとすると、マロンさんは、びしりと手を突き付けて、それを拒否しました。


「私、お掃除騎士団長なので!」


 そう言い切るマロンさんの瞳の奥は、確かに、自信に溢れるような煌めきがありました。

 それは決して本来の評価ではなく、策略上必要だったから与えられた称号に過ぎないのですが、それでも間違いなく、彼女を美しく照らす勲章となったのです。

 合理的で、打算的で、冷酷でもあるのに、人の心も動かしてしまう。あの人は一体何者なのだろうか。

 転生者。その正体に触れるのを、躊躇っていた。それは、ずっと彼の隣にいる、という覚悟ができていなかったからだろう。だけど、もう、私は彼を、お兄様と認めてしまっている。

 彼は一体何者なのかを尋ねてみようと、そう心に誓った、その時だった。

 ギィ、と、エントランスのドアが開いたのだ。

 陽光がホールに漏れ出て、絨毯を眩しく染め上げ。そこに影を落としながら現れたのは。


「グハハハ! 随分とまあ、可愛らしいお宅ですなぁ!」

「よォ。ひゃははは……邪魔するぜぇ」


 獅子のたてがみのような髭を蓄えた男、ガレンと。

 第六王子、ミゼル・ユークリッド、その人でした。

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