第29話 - 冒険者
この世界では、マナは土地に紐づき、人は土地に紐づく。自身が住まう土地以外からの魔法の恩恵を受けることはできず、故に、多くの人々は生まれ故郷から出ることが無い。
なので、わざわざ冒険者なんていう生き方を選ぶ人間は、酔狂でしかないのだ。
それは、各地を放浪し、未だ人類未踏の魔境、誰も手を出せぬ悪人の討伐、伝説とされる生物の調査など、一般人には手が出せぬ未開の景色を開けようとする者の総称である。
流浪の身では土地からのマナの恩恵は受けられないため、基本的には自身の肉体の中の、少ないマナのみを使い、過酷な試練に恐れず挑んでいく。
窮屈な世界から抜け出そうと暴れまわるその生き様は、常人からすると理解不能で、常に尊敬と畏怖、両方の対象となる――そんな、特殊な生き方が、冒険者なのだ。
「……その冒険者の中でもとびきり有名なのが金剛鉄姫の渾名のお前、だと」
「あぁ~? なんだ、お前って、偉そうによ~ッ? 命の恩人マリア様、だろうがヘボ王子」
昨日までのお淑やかさはどこへやら。王子邸のロビーにて、ソファにあぐらをかき、とんでもなく鋭角な悪い目つきで、ぎろりとキースを睨むマリアであった。
「……まさかあの金剛鉄姫が、マリアたんだったなんて……カイネちゃんもびっくりだよ」
いつもへらへらとしているカイネが、この時ばかりは珍しくも、目を白黒とさせている。
あの襲撃は、マリアの最後の一撃で終了となった。黒衣の者どもは死んだのか撤退したのかは定かではない。ともかく、その隙に一行は王子邸までなんとか逃げ延びた。そして当然のように、彼らの興味は、マリアへと向いたのであった。
金剛鉄姫。
クロシェも困惑しながらも、自然と湧き出る疑問を口に出す。
「マリアさん、その、貴女ほどの冒険者が、どうしてこんなところへ……?」
「あぁ~?」
とんでもなく乱暴な口調を返し、マリアは愚かな質問をしたクロシェを睨みつけながら、早口でまくし立てた。
曰く。近頃、怪しい取引をしているという裏組織の調査をしていた。そこで、ある森の周辺に不可視の結界を見つけたので無理矢理押し入ろうとしたら、防御術式が反応し、気付けば遥か上空に打ち上げられた。着地したところで出くわしたのが、第七王子暗殺の現場で……仕方なしに助けてしまったのが誤りであった。
「王子暗殺の現場なんて、厄介なの見ちまったらしばらくは下手に動けねえ! 急に暇になってむかむかしてたら、あんな能天気な求人なんて出してるからよ、来てやったわけさ」
「来てやった……ええと、その、何故、わざわざ素性を隠して雇われる必要が……」
「そういうプランだったんだよ。後宮だっつうからよ、とりあえず猫かぶっておいて、手出されそうになったら反撃してやろうと思ってたのさ。そんで、婦女暴行の慰謝料の名目で、大金をせしめてやろうでも貰ってやろうかって考えてたんだよ」
「……それは、なるほど」
「マリアたん、今までどんな顔で月花美人とか呼ばれてたの……」
絶句である。花も恥じらう乙女が考えることではない。泥塗れの獣の発想である。
被るような猫も失ったマリアは、悪態をつきながら舌打ちをする。
「それが全然そんなそぶりもねえしよぉ。なにやってんだこの腰抜けはと黙ってみてたら、またぬけぬけと殺されそうになるしよ。あ~畜生、慰謝料どころじゃなくなったぜ、ダボが」
「やっぱり、あの時の騎士は、君だったんだね、マリア」
しばらく難しい顔でなにかを考えていたキースは、ようやく口を開いた。マリアは首をもたげて彼をみやり、怪訝な顔で睨みつける。
「そ~だよ。あんたのせいで、こっちは商売あがったりだ。迷惑料でも払ってくれないかなぁ」
「その話は、後にしよう。そんなことよりも――重要なことを、思い出した」
マリアの苦言を軽くいなすと、キースは、ひどく真剣な面持ちとなり、重々しく口を開いた。
あの夜。転生の初日。赤い花が揺れる真夜中の光景。巨躯の騎士と三つの月に見降ろされながら目覚めたあの日。わけもわからず逃げ惑い、何とか命を繋いだ奇跡の一夜。
今ならばわかる。あの光景こそが、足りない鍵だったのだ。
「僕があの夜襲われたのは――クライン領だ」
「なっ……」
その言葉に、クロシェは絶句した。王子の暗殺などというのは、大事件である。それを、クライン領で、行われた、というのは。
「本当ですかお兄様。まさか、領地交換で邪魔だったから、カール様が……? いや、でも、領地交換を望んでいる彼らが、そんな事件を起こしても、ますます混迷するだけでは……?」
「そのあたりの疑問は後回しだ。重要なのは、そこじゃない。あの時、咲いていた花だ」
首を傾げるクロシェ。キースは、マリアに目を向けながら、一つ問うた。
「マリア。あの時、周囲には、赤く咲く花が多く植えられていたよね」
「あ~? ……ま~、そうだなぁ。気味の悪い花がそこら中に咲いてたな」
「でも先日、僕たちがクライン領に行った時には、そんな花は無かった」
「……お兄様、それは、つまり」
「僕が襲われた場所。それこそが、クライン領の秘密の農園なんだ」
そう言い切るとキースは、マリアを見返した。
「明日早朝から、クライン領に押し入ろうと思う。マリア、一緒に来てくれ」
「あぁ~? 坊ちゃん、アホなのか? もうあんたらに従う理由はないんだぜ? 明日には、こんな貧乏臭いところからはさっさと出て行くつもりだよ」
「王子暗殺を二度も目撃した冒険者が、どこへ行くんだ?」
その質問に、マリアは思わず、口を噤んだ。
「君の素性は、敵側も知ったんだ。こんな重大な秘密を知る冒険者を放置する理由は一つもない。これを解決するまでは、金剛鉄姫は寝床を探すのも苦労するだろうさ」
「……てめえ、随分吠えるじゃねえか」
正論だとはわかっても、その不遜な物言いを受け入れられるほど金剛鉄姫は寛容ではなかった。怒りに満ちた瞳の色は目の前の第七王子を燃やさんばかりで、対するキースも一歩も動じず、それに睨み返している。
そこに割って入ったのは、クロシェであった。
「ではマリア様。こうしましょう。私が、冒険者の貴女に依頼を致します。領地交換に秘められた謎を、暴いてください」
「あぁ~? 何言ってんだ、そんなの受けるわけねえだろうが」
「いいえ。そんなことはありません。マリアさんの望みは、お兄様から金銭を巻き上げることでしょう? 依頼を受けて報酬を受け取るという形でも、それは達成できるはずです。それに」
わずかに上ずる声色、震えまいと必死に力を込める両足。かの有名で悪辣な冒険者に対し、精一杯の虚勢を張っていることが、本人以外は丸わかりだった。マリアはそれを少し面白がりながら、意地悪な笑みを浮かべ、続きを求める。
「へえ、生意気なこと言うね。それに? なんだよ、言ってみなよ」
「私はマリアさんのお友達です。お友達のお願いを断る人は、いないでしょう」
張りつめていた緊張が解けるような、牧歌的な発言であった。
毒気を抜かれたような表情となったマリアは、言ってやったとでも自慢するように、胸を張っているクロシェの綺麗な額を、ぴしりと長い中指で弾いた。
「あたっ……!」
「私とあんたがいつお友達になったんだよ。そもそも私は、友達だからって甘いことはしない」
「うう、そんな」
「……あぁ、色々台無しだぜ。ムカついてしゃあねえ。キース、その歯向かってくる連中、全員ぶっ飛ばしていいんだよなぁ? 存分にやらせてもらうし、お駄賃もたらふく貰ってやる。それでいいなら、その目の前のでっかいクソは片付けてやるよ」
歴戦の冒険者にしては、あまりに不器用な物言いであった。仕方なしに、という顔で協力することを約束してくれたマリアに対し、キースは微笑みながら感謝を告げる。
「マリア、ありがとう。安心しろ、言い値で支払ってやる。では、明朝ここを発ち、クライン領の秘密の農園を探る。カイネは、一人で明日予定されてる商談に臨んでくれ。キャンセルするわけにもいかないしな。ミウは、ちょっと、調べて欲しいことがある。頼まれてくれ。そして、クロシェは」
そして彼は、義妹を見据えると。
「ここ、王子邸で待機しておいてくれ。留守を守って欲しい」
「……そうですね、はい。わかりました」
クロシェにとってそれは、戦力外通告にも聞こえた。危険が迫る中、何の力も持たない彼女は足手まといになるのだ、と。待機命令とは、そうした残酷な宣言に他ならない。
どうか私もお役に立たせてください、と叫びだしたい気持ちをぐっとこらえ、クロシェは、満面の笑みで、それを受け入れたのだった。
その感情に気付いているのか、否か。キースはてきぱきと指示を出し続け、夜は更けていく。
領地交換の【テーブル】まで、残り僅かな日数となっていた。随分な大回りをしたが、遂に隠された何かの尻尾を掴んだ、という手ごたえが皆の中にあった。
騒がしくなる館周辺の木々から、烏が一羽、飛ぶ。
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