第27話 - 襲撃

「へへ~。お菓子、美味しい~!」


 アニスさんの商会を出た後。広場を歩きながら、カイネさんは上機嫌に、笑いました。

 つい先ほどまで、気が立った猫のように喉を鳴らしていたのに、今では両手にカラフルな砂糖菓子を持って、とってもご機嫌です。

 それを見て、お兄様は呆れ顔になります。


「クロシェ、またその守銭奴にお菓子買ってやったのか? 甘やかすのはよくないぞ」

「守銭奴言うな! クロ様はねぇ、あんたたちみたいな、大馬鹿のドケチとは違うんだよ~! へへ、クロ様大好き~」

「野良猫に懐かれてもいいことなんかないぞ、クロシェ」


 ふしゃー、と威嚇するカイネさんを見て、私は思わず目を細めました。

 笑う、という感情を喪ってしまったけど、この光景に幸福を感じずにはいられませんでした。

 ただ、その騒がしい輪の中で一人、マリアさんは寂しそうな笑顔を浮かべていました。


「皆様は、やはり凄い、ですね。あのような商談を幾つもこなされて」


 マリアさんは、商談がある毎に、お兄様に連れ出され、必ず同席しておりました。しかし、席上で言葉を発することはほぼなく、人知れず咲く高嶺の花のように、静寂を守っていました。


「私なんて、お役に立てておらず。恥ずかしいばかりでございます」

「いや? そんなことないぞ。マリアは十分役に立ってる」


 お兄様はさも当然ともいうように、そのように返しました。だけど、そこから続く言葉は。


「人間はいい加減で、美男美女を従えてる奴を見ると、それだけで、有能に見えるからな。マリアという飾りは、十分有効に機能しているさ」

「……飾り、ですか」

「お兄様、そんな、言い草は」

「不服か、マリア」


 自嘲気味に笑おうとしたマリアさんを窘めるような声で、お兄様は冷たく言いました。


「添え物扱いが嫌なら、お前自身の価値を示せ。僕は女というだけで不当に評価するような馬鹿じゃないぞ」

「価値だなんて、そんな、私は大それたものは」

「なら、これからも、僕の都合のいいように扱う。何を猫かぶってるかは知らないが、本当の君はそんなもんじゃないんだろう? マリア」

「――やだ、私は、そんな」


「そこまでです、お兄様」


 見かねた私は、マリアさんとお兄様の間に割入って、きっと、睨みました。


「いくらなんでも、そんな言い方は、ひどいです。これ以上続けるならば、私が許しません」

「……ま、いいさ。今日は特に忙しい。次の商談に行くぞ」


 そう言って、お兄様は仏頂面のまま、すたすたと歩き始めるのでした。


「うえー、なにあれ感じわる~。クロ様の言うとおりだよ、べー、だ!」

「マリアさん、どうかお気になさらず。お兄様も、悪意があるわけでは無い、はずなので」

「そーだよマリアたん。ていうか、ほんとあの王子、才能とかの話になったらビビるくらい興奮するよね。何? 人材フェチ? そんなド変態の言うこと、気にしなくていいよ」

「人材フェチ……その……そうです、ね……ちょっと、否定する言葉が出てこないですが」

「……ありがとうございます。クロシェ様、カイネ様」


 私たちのフォローに、マリアさんは、いつものように、美しく微笑んでいたのですが、ほんの微かに、頬の奥が強張っているようで。

 少し怒っているのだと、感じさせられました。


 その後も幾つもの商談が続き、気が付けば日が落ち、三つの月が宙に浮かんでいました。


「うへへへ……お金が、いっぱいだぁ……! だけど、流石に疲れたな、こりゃ」

「ええ、本当に……お兄様は、よくあれほど、お話することができますね」

「いや、僕も相当疲れたよ。なんてことないフリをしていただけだ」


 最後の商談を済ませた私たちは、クロードが操る馬車の中で、へとへとになりながら、お互いを労っていました特にあの商会の方は、非常に粘り強く、精神を削りあうような【テーブル】が繰り広げられていたので、尚更でした。

 そして私は、ちらりとマリアさんを盗み見ます。

 先の【テーブル】でも、やはり、マリアさんは変わらず最後まで沈黙を保ったままで、お兄様が言うような「添え物」に甘んじているようでした。

 無論、あのような言い方に賛同することはないのですが、でも、ほんの少し、もどかしいような気持ちは、私にもありました。

 本当に、特筆するような能力がなく、椅子に座っていることしかできない人物であれば、このようなことは思いません。しかし、マリアさんは、芯があり、頭も回る女性です。それは、最初に出会ったときから、感じ取っていました。それなのに、なにを隠しているのか――その本心を見抜くことができず、もどかしさばかりが募ります。


「これでしばらくは商談も落ち着くしね~。みんな、よくハードスケジュールに耐えたねぇ」

「人の都合も知らずばかすか入れやがって……。でもこれで、資金は確保できた」


 これで領地交換を断る名目ができました。【テーブル】で、それを受け入れなくとも、第七領はやっていけると、返すことができます。でも、そんな名目だけでは済まない、色んなことが出来てしまうほどの大量の資金が、手元にあります。

 お兄様が、何かを考えながら、私のほうをじっと見つめていました。そして、口から出てきたのは、あまりにも意外な言葉でした。


「クロシェ。この資金をどう使うかは、お前に任せようと考えている」

「……えっ、え? わ、私、ですか?」


 唐突な提案に不意をつかれ、私はしどろもどろになります。でもそんなことは意に介さず、お兄様は静かに頷きました。


「僕からしたら、この大金は、領地交換を断るための大義名分に過ぎなくてね。どう使うか、は、僕よりも、第七領のことを考えてる人に託すほうがいい」

「で、でも、私、そんな、大それたこと、やったことがなくて」

「いいじゃん! さんせーい! クロ様だいじょーぶ! やりたことやればいいんだよ! 細かいとこはあたしがサポートするから!」

「……この守銭奴をかませるのは、ちょっと反対なんだけどなぁ」


 そして言い合うお兄様とカイネさん。その光景を、ぽかんとした気持ちで、見ていました。

 想像を絶する、何億という資金。それを私の一存で、自由に使って、よいと。

 おそるおそる、マリアさんを見ると、彼女も私のほうを見て、にこりと笑い。


「はい。私も、それがよいと思います」


 と答えたのでした。

 暗黒姫と多くの人に罵られたあの日から。気が付けばこんなにも、眩い場所にいる。思わず、目の奥がじん、と熱くなるのを感じ、慌てて目を伏せました。


「【霜張る牢獄】」


 だから、その攻撃は、本当に予想外でした。

 突如、馬車が凍結したように急停止し、馬車内で談笑していた私たちはつんのめりました。

 状況を確認する間もなく、続いて大きな衝撃が響き、馬車が横倒しになったのです。

 私たちは叩きつけられるように倒れ、全身のあちこちに鈍痛が広がりました。やがて衝撃が止み、馬車に穿たれた穴から恐る恐る這い出ると、目の前には、仄かな月明かりに照らされる、怪しき黒衣の者どもが立ち塞がっていました。

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