第21話 - 秘策
「【奇跡は天秤に。祈りは神に。此処には我らの誇りがあるのみ】――【オープン・テーブル】」
三名の言葉が重なり【テーブル】は開かれた。キースと対面するその貴族は、実に気に入らない面持ちで、睨みつけていた。
だが、キースはそんなこと気にせず、にこにと愛想のいい顔で、丁重な挨拶を述べる。
「いやぁ、お忙しいところお時間をいただき、誠にありがとうございます。それにしても、本日も実に見事な御髪でございますね、ハミルトン様」
手揉みをせんばかりの勢いで第七王子はへりくだり、ハミルトンの機嫌を取っていた。
「以前は本当に、私も心苦しいばかりでして。お二方を無下にしたくはなかったのですが、領民からの突き上げもあって、どうしても……」
「ふん。くだらん世辞は無しにしましょうか。どうしても内密に、というから、かなり無理をしている。お話できる時間も少ないのでね」
ぶっきらぼうにそう返すのは、第六領の貴族、ハミルトンであった。
それもそのはず。以前の【テーブル】で、キースにしてやられた記憶が鮮明に残っている。
表向きは現状維持というイーブンな結果で終わったように見えるが、実はそうではなく、彼らはキースに「大量の在庫リスク」という弱点を晒してしまったのだ。そこを上手く突かれ、その後の通常の取引では、彼らが泣く交渉が増えているのだ。
今一番憎い相手といっても過言ではないだろう。燃えるような目で睨み付けるハミルトンであるが、そんな彼でもこの【テーブル】に応じた理由がある。
「絶対に儲けられる話がある、とのことですが。申し訳ないが私は懐疑的でね。現実性のないお話であれば、即刻お帰りいただきたい」
「仰る通りです。しかしご安心ください。これは、お互いに利のあるお話でして――」
「おじさん勘違いしてないですかー?」
穏便に話を勧めようとした矢先に飛び出してきたのは、そんな場違いな声だった。
幼さを隠し切れない、その高い声は、キースの隣に座る、カイネから発されたものであった。
あまりに不遜な物言いに、ハミルトンの眉がぴくりと動く。が、彼女はそんなもの意に介さない。
「選ぶ側なのはこちらも同じ、ですよー? 超いい話持ってきてやってんだから、斜に構えたまんまだと、帰っちゃいますよー?」
「……なんだ、この女は」
あまりにも挑発的であった。ハミルトンの盛りに盛り付けられた髪は噴火前の火山の如く振動している。
キースは慌てて間に入り、なんとか場を収めようとする。
「いや、その口が過ぎましたが、自信を持ってお薦めできるものでして――」
「そうですよー。おじさんじゃなくても、他にいっぱい買い手はいまーす! ふふふ、わかりましたかぁ?」
「カイネ、ちょっと黙って……」
「なら、言ってみろ」
ハミルトンは、そうキースたちに促した。微かに唇が震えるほど、カイネの挑発に苛立っているみたいではあったが、話を聞くつもりはあるようであった。
「そんなにも自慢の商談とやらがあるのなら、すぐに言ってみろ。不毛の第七領に、大それたものはできないと思うがな」
「マナを売ってあげよーと思います」
カイネは、貴族の問いかけにすかさずそう返した。あまりに躊躇なくそれを切り出すので、その場にいた全員が凍り付いた。
「……マナを、売る、だと?」
「そうです! この【テーブル】の中で、そこの第七王子様がわざとマナー違反を犯します。おじさんはじゃんじゃん指摘してください! 王族のマナが、濡れ手で粟で転がり込んできます! わーい、ぱちぱち、やったね!」
そう。これこそが、カイネの第一の策であった。
第七領は何もない。なので民衆は、高い肥料を買ったり、地道に燃料を蓄えたりと、マナに依存しない生き方を強いられている。
故に、他領に比べ今さら多少のマナが減ったところで、生活に多くの変動は生まれないのだ。
持たざる地であるからこそ選択できる、悪魔の一手が、このマナの売買であった。
「なんと、罰当たりな……」
マナとは神の奇跡そのもの。それを、金銭でやり取りしようだなんて、あまりにも冒涜的である。この世界に生きる者の倫理観に反する行為であった。
だが、無論。そんな反応は当然織り込み済みであるが。
「ええ。こんな酷いことするのは、バカで有名な第七王子くらいですよね。王族の権威を振りかざした苛烈な要求を飲まざるを得なかったおじさんは、なんにも悪く無いですよねー?」
「……む」
カイネが、すらすらと、そちらに責任の所在は無い、ということを話し始めた。反射的に拒否反応が出ていたハミルトンであったが、その言葉に、少し考え込んでしまう。
マナの売買など、決して褒められた行為ではない。とはいえ禁止をされているわけでもない。
マナは極めて貴重である。多くの場合、失った場合のデメリットの方が大きい。分割統治の貧困領土という特殊な状況だからこそ成立する取引なのだ。こんなことを実行する奴なんていないから、敢えて規制されることもなかったのだ。
しかも、今卓上に出されているのは、王族のマナなのである。
マナは土地に紐付く。その土地の主は、自身が支配する領域全てのマナを背負う。
つまり、精々が第六領の一端の土地だけを頂くハミルトンの「1」のマナと、貧相な領土とはいえ、腐っても第七領を背負うキースの「1」のマナとでは、桁が違う。
なので王族は【テーブル】でマナの防衛に全力を出す。不遜にも王族にマナーバトルを仕掛た幾人もの貴族が、苛烈な反撃を喰らうのだ。
そんなマナを、たかが金銭で、くれてやる、と言っているのだ。
あとほんの少しでもマナがあれば、と、泣きながら諦めた事業がどれほどあるだろうか。この提案は危険なほどに、艶めいて見えてしまう。
ハミルトンが迷っていると、キースがため息を吐いた。
「すみません、あまりに、唐突でしたね。こんな話を持ち掛けられても、誰もが同じ反応になる。あのシェラード様だって、同様だった。だから、ご無理にとは言いませんので、断っていただいても結構でございます――」
「……待て。待て待て。シェラード、だと? 何? 先に、シェラードと、マナの売買の話をしたのですか?」
「おや、お聞きになっていないのですか? すみません、余計なことを言ってしまったかな」
キースはぽりぽりと頭を掻きながら、謝った。
「とても良い取引でございました。ただ、ハミルトン様にはハミルトン様のお考えがあるでしょう。私は、それを尊重いたしますので。ご自由に、ご判断をいただければと」
ハミルトンとシェラードは、ビジネスパートナーである。二人が共同経営者として、一つの商会を運営している。だが、同時に、競合相手でもある。表面上は友人でも、その面の皮の下は、お互い、何を考えているかわかったものではない。
あやつめ、こんな美味い話を独り占めしようとしていたのか……!
ハミルトンがそう考えるに至るのはあまりに自然なことであった。
彼の絢爛な髪形の下では、凄まじく思考が波打っていた。出遅れてはまずい私も手を上げなければ、いや、あまりに性急、様子を見るべきか。賛成と反対の理由がぶつかり合い、あとなにか一押しあれば、どちらかに転ぶ、というときに。
からん、と、金属が落ちる音がした。
見ると、キースが、スプーンを床に落としているではないか。
「……なんの真似ですかな、キース殿」
「これは、お詫びでございます」
「お詫び、とは」
「以前の【テーブル】のお詫びです。どうぞ、このマナー違反を取ってください。無論、マナの売買とは無縁のことですので、単純な、詫びの品とお考えいただければ」
目の前に出された、あからさまな餌を我慢できるほど、ハミルトンは賢明ではなかった。
「……スプーンを落としましたな、キース殿」
震える声の指摘は成立し、マナー違反を取られる。キースの数字が「1」になり、ハミルトンが「3」となる。
目の前に浮かぶ、この「3」の意味を、噛みしめてしまった。あの食品の栽培ができる、あの機械を導入できる、あの特産品の増産ができる。一度噴出した欲望は抑えられない。この瞬間、もはやハミルトンに、マナの魅力から逃れる術は無くなってしまったのだった。
「キース殿」
「はい、なんでしょうか、ハミルトン様」
「具体的な契約内容を、お知らせ願いたい」
こうして、契約は締結された。
「ふっふー! ここからはあたしの出番ですね!」と、いつのまにやら万全に書類を作っていたカイネが、その後を取り仕切った。
細々とした説明を聞いているのかどうなのか、おざなりな返事しかしなくなったハミルトンに、重要な点のみを確認した。
大きく、以下の四点である。
・大きな額となるため、支払いは一括ではなく、各月に按分し、一年かけて支払うこと。
・一回でも支払い遅延があった場合、残りの金額を一括で請求する権利を持つこと。
・この取引はキースが持ち掛け、キースの責任で行われた、ということを保証すること。
・ハミルトン側は、保証人を立てること。
そして、最も重要である「1」マナを幾らで販売するか、という点に関しては、とある計算方法をカイネが提案し、ハミルトンがそれを受け入れた。
そして、契約書の署名が済んだ後、キースは再度スプーンを落とし、ハミルトンがそれを指摘して、彼のマナが「4」になったところで【テーブル】は閉じた。
ハミルトンの館を後にするキースとカイネは、お互いに目を合わせると、勢いよくハイタッチした。
「馬鹿みたいに計画通りに進んだね! やったねキースちゃん!」
「全く、最初ケンカを売った時どうしようかと思ったけどね」
半ば呆れながら、キースは隣の小さな女の子を見下ろした。
締結完了した契約書を両手で抱え、ほくほくの笑顔で喜んでいる。
「ふふふ、この書類の中には凄まじい大金が入ってるのです。ふふふ、うれしい……」
紙の束に頬ずりまでする始末だ。第一印象では、ただの可愛らしい少女だったのに、もはや類を見ない拝金主義者の顔にしか見えなくなってしまった。
とりあえずその守銭奴しぐさには触れずに、キースは今後の予定を話す。
「それじゃあこれから予定通り」
「ええ、予定通り。シェラードおじさんのところへ向かいますか」
にやり、と意地の悪い顔つきで、カイネはそう返した。
――「シェラードは先に受け入れた」というのは、ハミルトンを誘導するための、真っ赤な嘘である。嘘を看破するような魔法を、彼が持っていないことをわかっていたので、躊躇なくそんなブラフを仕掛けたのだ。
想像以上にあっさりと成功して拍子抜けだが、ともあれ、これで本当にハミルトンは契約に至った。シェラードもおそらく同じ反応を返すだろう。
「とりあえず、それなりの資金は確保できそうだ。領地交換を断る名目くらいにはなるだろう」
「え、なにいってんですか」
と、キースの呟きに、カイネがきょとんとした顔で見上げた。
「まだまだこれからですよ? このあとも商談控えてるんですから」
「……商談? 誰とだ?」
ハミルトンとシェラードのアポイントは、キースが主導して行った。確かにカイネは「他のところはあたしが当たってみますねー!」と言っていたが、あまりに慌ただしかったため、その詳細までは聞けていなかったのだ。
すると彼女は、ふん! と胸を張って、堂々と答えた。
「世界三大商会が一つ、アリアクラフト大商会の副総統、ウルグス殿ですよ!」
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