第7話 - マナーバトル:ハミルトン、シェラード戦②
「本日は、お手軽なものをご用意しております。前菜、スープ、肉料理、デザート、食後のドリンク、の順番にお出しさせていただきます。まず、お飲み物をお伺いいたしますが」
「ぐふ、決まっている。ヴァンムースをもらうか。皆様も同じものでよろしいか?」
「ええ。ありがとうございます。私達も、それをいただこうかしら」
シェラードが口に出した飲み物を、クロシェも首肯し、全員分のグラスに、それは注がれた。 金色に煌めきながら、小さな泡を上げているそれは、あまりにも見覚えがあるものだった。
(……シャンパン?)
シャンパン、というのは、元の世界の、シャンパーニュ地方という土地に由来する名称なので、ここで違った名となっているのは、ある意味当然である。が。
「それでは皆様、我々の、素晴らしい関係を願って、乾杯」
そして、流れるように、クロシェが乾杯の音頭を取り、第六領の貴族たちも、グラスを軽く持ち上げて「乾杯」と小声で応じる。キースも慌てて、同じような動作をした。
……あまりにも、形態が、似通っている。
むしろ、同じと言っても差し支えがないくらいだろう。
食器の置き方、乾杯の方法、そしてシャンパン、など。
異世界に来たはずなのに、なぜかこの食事の間は、現代のマナー様式と同じであるのだ。
「ぐふふふ。いやはや、疲れた体に、冷えたヴァンムースは、染み渡りますなぁ」
「キキキ。ええ。誇り高き農家、それを支える土壌、光を齎す天の星。それらが強調を奏でてこそ生まれる、最高の一品に他ならない。……我々もそうであるべきですなぁ、キース殿」
そして、ハミルトンが切り出した。
「早速本題へ入りましょう。前々からご提案している、我々の商会の、第七領での経済活動への課税の免除を、どうぞお認めいただけないでしょうか」
それが、今回の商談のテーマであった。彼ら貴族の、第七領での商売を、有利にせよ、という交渉なのだ。
詳細は不明だが、キースは驚いた。課税の免除、なんてものは、あまりにも虫の良すぎる話だと思われたからだ。
この貴族たちは、一体どんな勝算があって、これを突き付けているのだろうか?
クロシェはそれを聞いて、溜息を吐きながら首を振った。
「大変申し訳ございませんが……他の領地の方々にも、決まり通りの課税をしております。お二方に特例を認めるとなると、他へ立てる顔がございません。課税の免除は、難しいかと」
「ぐふふふふふ! なるほどぉ、なるほど。これは……困りましたなあ、ハミルトン殿」
「キキキ……ええ……我々はこれまで、相場よりも安い金額で、様々な商品を卸しておりました。そちらの、厳しい状況を踏まえて、助け合いの精神で、お力添えしていたのです。それなのに、今、貴女は、我々をその他の商売人と同列に扱った……これは、心外でございますなあ」
ここぞとばかりに、畳みかける両名。クロシェは苦々しい顔で、彼らの嫌味を受け止める。
「無論、これまでのお力添えには感謝しております。しかし、それは他の商会の皆様も同じことなのです。恐縮ではございますが、これまでどおりのルールの下、取引を続けられればと」
「おお、おお! キキキ、また、同じに扱いましたか! これは驚いた。恩情よりも利益を取る、それが、第七領の方針なのですかな?」
「これは悲しい……恩を知らぬ相手には、相応の対応が必要、ですなぁ、ぐふふ」
そして彼らは、ニタニタと下卑た笑みを溢しながら、彼女に通告をする。
「残念ながら、取引を見合わせるしかございますまい。――我らのH&S商会に依存している店が幾つかあるが、まあ、すぐにでも商売ができなくなるでしょうなあ……キキキ。胸が痛むが、致し方ない」
なんということだろうか。彼らは、正当なる理由もなく、こうしたパワープレイだけで、課税の免除を勝ち取ろうとしているのだ。
――いや。流石に力技すぎることくらいは、自覚があるはずだ。しばらく無理を通して、妥協する形で多少でも有利な条件を引き出せればいい、っていうところか。
余裕たっぷりに笑う二人の貴族を、キースは冷静に分析する。
他よりも安い値段で商売していた、というのも、この状況を作り出すための撒き餌だろう。また、彼らに依存するしかない店が出てくるようにまで計算していたのかもしれない。
なんとなく、彼らが描いてる絵が見えてきたところで、また部屋の扉が開き、クロードが皿を持って入室してきた。
彼は、深くお辞儀をして、四人の目の前に皿を置く。
それは、色とりどりの野菜が散りばめられた、美しいサラダだった。
「こちらは、ヒルカ地方のサラダでございます。ドレッシングは、お好みでお使いください」
手短にそう説明をすると、クロードは再び下がっていった。
ハミルトンとシェラードは、にたにたと笑いながらフォークを手に持ち、サラダを口に運ぶ。
「おお、美味ですな……ぐふふ! そして、悲しくもある。ここで交渉が決裂したことによって、このサラダを味わえなくなるやもしれぬなあ」
「ヒルカ地方は、我々の農具をよく買ってくれている。これからは、他領の高額な農具に転換しなければならない……耐えられるほどの経済力があるかどうか……キキキ」
「……それは、貴方たちが、周辺の商材を買占め、値を釣り上げたからでしょう」
かぼそい声で、精一杯の反駁をするクロシェ。彼らはそうやって、自身の商会に依存せざるを得ない状況を作り出したのだ。だが、そんな気弱な反撃など、絡めとられるだけである。
シェラードが目を大仰に丸くさせ、驚いたポーズを見せた。
「おお、おお! ぐふふ! 我らが、不当に相場を操作した、とでも? 違いますよなあ? そりゃ、全うに商売を続けた結果、相場に影響を与えた可能性はある。だが、そんなのは自然の摂理にケチをつけるにも等しい。お粗末な指摘かと思われるが?」
「……我々は、課税の免除に、応じることはできません」
「キキキ! おお、憐れなり、第七領の人々よ……! 今この瞬間、主は民草を見捨てられた! クロシェ殿、拒否は結構だが、その時、無辜を見捨てられるつもりか?」
「すべて、助けます」
ハミルトンの意地の悪い指摘に対して、毅然とした態度で、彼女はそう返した。
クロシェは、まっすぐに、突き刺すような視線を貫きながら、答えた。
「この決断によって、損害が出るものがいれば、我々の財産から持ち出し、保障に繋げます。私は、誰も、見捨てません。ご心配いただかなくとも、結構でございます」
声音は微かに震えていたが――その言葉には、嘘がないだろうことが、感じ取れた。
ぽかんとしていた貴族二人は、喉を鳴らし、次第に、嘲笑うかのように大きな声で大笑する。
「ぐふ、ぐふふふふふ! これは、面白い! そんなことができるほど、あなた方は資産を持っておられたのか! 失敬、苦しい財政状況だとお伺いしていたのでねぇ、そんな補償が、本当にできるのか、これは見物だ!」
「我々が所有している不動産を売却します。また、無駄に貯め込んだ宝石の類も売り飛ばします。それでも足りなければ、日々の食事を減らし、衣服、装飾品、日用品、なんでも売って、資金とします。私は、約束を守ります」
毅然と言い放った、つもりだっただろうが、どうしても、声が上擦ってしまう。しかし、不安を押し殺しながら、彼女は曲げることなく、自身の信念を押し通すのであった。
その姿は、何よりも貴く見える。
だが、ハミルトンは、実につまらなさそうに、クロシェの決意を、嘲るのであった。
「キキキ、実に面白い、空論でしたな。所詮は女の考えることだ」
そして彼はフォークを置き、見下した目で彼女に講釈を垂れる。
「我々を無下にすることで、どれほどの損害となるか、理解されていない様子だ。キキキ。滅びの道を行くというのであれば、止める手立てもございませんが。……暗黒姫、でしたか。領民に、そうお呼ばれになっておりましたな」
そういうと、ハミルトンは、ナプキンで口を拭いながら、喉を転がすように笑った。
「貴女様がここに来てから、一層暮らしが貧しくなった。暗黒を齎す姫だから、暗黒姫! 酷い渾名ではありませんか! そんな汚名を上塗りするような理想論を打ち立ててしまって、よろしかったのかなぁ? キキキ、キキキキキキキキキ!」
そしてこの貴族は爆笑する。
クロシェはそれを受け止め、咎めるでもなく、ただぎゅっと、膝の上で拳を握って、その辱めに耐えていた。
「ぐふふふ! ま、ま、ま、妹君のご意向はわかりました。では、王子殿下のご意見も拝聴したいところですなあ」
そしてシェラードが、沈黙を守っていたキースに水を向ける。
クロシェは、兄のほうを向き、不安げな表情を見せた。
ここは自分が話を進めるから、頼むから、無難なことをを言って、この場をやり過ごしてくれ、というメッセージを込めているのもわかっていた。
キースは、対面に座る、腐臭を漂わせる貴族二人に向き合う。
――自分たちは、この国の王の息子、であるはずだ。
なのに、主が不甲斐ないばかりに、領地の力を低下させ、こんな奴らに好き放題言われるまで落ちてしまった。
それでも、身を切ってでも、王族の使命を果たすため尽力しようとしたクロシェを、このデブとバカは愚弄した。
――そんなの。
「……許せないよな」
少年の目に、静かな炎が灯る。
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