第3話 - 暗黒姫

 濃紺の夜空に曙光が染み渡り、ほの白く世界を照らす。

 遠方に聳える山脈の向こうから、日輪が、ゆっくりと登り始める。この世界でも、どうやら太陽は一つだけのようであった。

 彼はあれから、無我夢中で森の中を歩き続けた。

 その中で、元の世界と同じような生物が生息しているのを見かけたが、見知らぬ生物もいる。

 幾重もの翼を持つ鳥、岩のような装甲を纏う獣、魔術的な紋様が浮き出た、神秘的な生物、など。お伽噺の如き幻想生物が、さも当然のように生きている様を見せつけられると、「異世界転生」の事実を疑うことができなくなってしまった。

 それは、前の世界で流行していた、創作物のジャンルだ。

 交通事故や天災など、不慮の事故で命を落とした主人公は、目が覚めると、剣と魔法が存在する、異世界に転生しており、そこで大冒険を繰り広げる……というのが、概ね共通するストーリーだ。

 まさに、その剣と魔法を目の当たりにした。理性では、そんな空想が実現するはずない、と否定しているが、本能はそれを事実だと認めている。

 ――前世、になるのか。

 かつて自分が生きていた世界に思いを馳せる。……が、すぐにその思考を停止させた。あまりに、楽しくない記憶が多いからだ。今は、この異世界について専念するべきだ、と、言い訳じみた理屈を己に言い聞かせて、そっと記憶に蓋をした。

 そう、まずはこの肉体についてだ。

 たまたま見つけた泉で喉を潤しているとき、己の姿を初めて見た。

 黒い髪は前の世界と同じであったが、少し小高い鼻、西洋人風の骨格、そしてどこか疲れた目の、水面に映る男の顔は、見知らぬものだった。

 おそらく、この肉体に乗り移る形で転生したのだろう、と少年は考えた。

 ――そこの王子の輩か?

 刺客の台詞を思い起こす。つまり、この肉体の元の所有者は、王子、とやらなのだろうか。だが、王子とは、何だ? 単なるそういう渾名なのか、本当に、王の息子としての称号なのか。

 考えてはみるが、結論が出るはずもない。少なくとも、命を狙われるほどの恨みは買っているみたいだ、ということしかわからない。

 推察できるのはそこまで。これ以上の情報は得るためには、あの刺客たちに追いつかれる前に、この王子なる人物を知る者に会って、色々と情報を聞き出すべきだろう。

 その時、果たして「異世界転生したんです」なんて言い出すべきなのかは、わからないが。

 とにかく人がいそうな、街を見つけなければと、暗い森を何日もかけて進んだ。 


 そして、ようやく荒れた街道を見つけ、それに沿ってひたすら歩くと、向こう側に街の姿を見ることができた。

 街全体をぐるりと囲む、長い城壁がまず目に飛び込んできたが、切り出した石を取り敢えず積んだだけのような、粗末な防壁だった。

 辺鄙な土地の街だな、と思ったが、ようやく人里を見つけた安堵が大きい。

 歩みも自然と足早になり、急いでその街に入ろうと、開けた門へと近付いた。

 気怠げな表情で、腕を組みながら壁に寄りかかり。いかにもやる気がない感じで、街への出入りを監視している門番がいた。

 ここを通るには、なにか通行証のようなものが必要なのだろうか。そんな懸念があったが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。意を決して、駄目元で門番へと近付いていく。

 その男は、血と泥に塗れた少年の姿を見て……大きなため息をついた。


「やあ、どうも。お早いお帰りで。随分お楽しみだったみたいですな」


 なんと、その門番がまず声をかけたのは、挨拶でも証文の要求でもなく、真っ向からの嫌味だった。少年は咄嗟に作り笑いをして「や、やぁ」なんて返事をした。

 一応この身は「王子」であるはずだ。なのに、一般人にこんな嫌味を言われるだなんて、どうなっているのだろうか。

 もしかすれば、この男と「王子」は嫌味を交えられるほどの旧知の仲なのかもしれない、と一瞬考えたが、その割には、台詞に嫌悪感が混じりすぎている。 

 色々と聞き出したいところであったが、いつ追手が迫るともわからない状況、とにかく今は街の中へ入ることを優先しなければならない。

 愛想笑いを浮かべながら、少年はあっさりと門をくぐりぬけた。なにか止められるようなことはなく、門番の呆れたような視線が突き刺さるばかりであった。

 そして門を抜け、いよいよ街の中へと入っていった。

 手掛かりを集めるために、まずは人が賑わっているところに向かい、己を知る人物を探さなくては……と、中心部へ向かって歩みを進める、が。

 なにやら、妙だった。

 粗末では会ったが、城壁の大きさから、そこそこ大きな街なのだろうとあたりをつけていたのだが。どの路地を進んでも、異様に活気が無い。

 露店などは出てはいるが、店主は道行く人に呼び込むこともせず、人々も、下を見ながら、皆一様に、疲れた表情のまま、黙々と歩いている。

 城壁で守られている、こういう街は、交易の中心となるべきであり、もっと賑わっているべきではないのか? 

 しかも、その街の人々は、少年を見ると、眉を顰め、ひそひそと陰口なようなものを叩いているのだ。


「ぼんくらが……」「また遊び呆けて……」「なに、あの格好。お気楽なものね……」


 断片的に聞こえてくる単語は、そんな悪罵ばかりであった。声のする方を振り向いても、民衆は彼に目を合わせず、湿った怨念が漂うばかりであった。

 衆人から、明らかに忌み嫌われている。

 ――なんなんだ、この王子ってやつは……!

 そんな不穏な空気の中、気軽に話しかけられる感じではない。少年は顔を伏せ足早に歩く。

 しばらくそうやって身を隠すように歩いていると、大きめの酒場のような店が開いていることに気付いた。ここならば、情報収集にはうってつけかも知れない。

 静かに扉を押し、酒場の中に入る。そこには、昼間から赤ら顔で酒と肴を呷る中年親父共が数人、席に座っていた。

 先程の路地や広場での陰鬱さとは打って変わって、大声でなにやらくだらないことを話し、手を叩いて大騒ぎしている。

 その明るい雰囲気に、幾分ほっとしながら、少年はカウンターに座り、店主に適当な飲み物を注文した。

 飲み物が来るまでの間に、隣の席で大騒ぎしている連中に声をかける。


「なあ、ちょっと、すまないが」

「……ぁあ? あたし、ですか? へえ、なんでしょうか」

 集団の中の、一人の男が、彼の問いかけに振り向いた。笑顔のまま、少年は男に話しかける。

「少し、妙なことを尋ねるのだけど」

「へぇ、妙なこと」

「僕が誰か、知っているか?」


 単刀直入に、そう聞いた。とりあえず馬鹿正直な質問でも、なんらかの情報が得られるだろうと考えての問いかけだった。

 だが、その質問はどうやらなかなかの衝撃を与えたようで。

 先程まで笑い声でいっぱいだった酒場は、突如しん、と静まり返ったのだ。

 なんだ、なにが起こったのか、と、少年が訝しんだ、瞬間に。


「俺が教えてやるよ」


 別の、離れたテーブルに座っていた男が、ゆらりと立ち上がって、こちらに近寄ってきた。

 そいつは、見上げるような大男で、鋼のような筋肉が、二つの腕に盛り上がっている。

 その大男は、手に杯を掴み、こちらに笑いかけた。少年もそれを受け、愛想笑いを返す。

 瞬間、そいつは杯の中の液体を思い切り少年にぶち撒けた。

 全身が、アルコール臭い液体塗れになり、とても不快な湿り気を帯びる。

 呆気にとられていると、大男は額に血管を浮かべながら、叫びださん勢いで、口を開いた。


「お偉い第七王子様で、かつ、この第七領の主様だ。こんな遊んでる暇はねえはずの、な」


 その答えは、少年の想像を少し超えていた。

 王子という身分であることは、推測することができていたが、「第七領」とやらの主、という言葉には驚かされた。

 つまり、この肉体の元の所有者は、若くして領地を授けられており、その統治、運営までをも任されているということだろうか。

 そして、更に驚くことには、そんな偉い王子様は、その領地の民から、酒と怒りをぶち撒けられている。あまりに、不可思議なほどに。


「先月から、鉄鉱石が買えなくなっちまった。商売を続けるには他領から買い付けるしかねえが、あいつら、足元見やがって、バカみたいに高い金額を吹っかけてきやがる。わかるか? 商売ができなくなったんだ。俺は、ついに、店を畳んだよ」


 大男は拳を固く握りしめ、強烈な恨みの籠もった目で、少年を睨みつけた。


「第七王子様が【テーブル】でマナー違反ばっかりしやがるからだ! その挙句、当の本人は泥だらけになるほど遊び呆けて、俺が誰だか知ってるか? なんてからかいやがる」

「【テーブル】……マナー、違反……? それは、一体」


 そして男は、少年の――第七王子の胸ぐらを掴んだ。万力のような力は、容易く彼の身体を持ち上げる。


「殺したいくらい憎い奴の、顔と名前を知らねえわけがねえ! 第七王子、キース様よォ!」


 それがこの世界での、本来の名前。そういえば黒衣の一人が、そんな名を呼びかけていたかも知れない、なんて呑気なことを考えていると、身体が宙を飛んだ。

 いや、投げ飛ばされたのだ。大男の怪力で、少年は扉に衝突し、扉はその勢いに耐えられず破壊され、彼は酒場の前の地面へと転がった。


「おいロック! それはいくらなんでもやりすぎじゃ……!」「……いや、でもよォ、ロックの言う通りじゃねえか」「この放蕩王子様のおかげで、どれだけ生活が苦しくなったか」


 動揺、からの、同調。突然の暴力は、肯定されていく。

 この「第七王子」なる者は、高貴な身分の者、であるらしい。しかし、それ故に果たさなければならないことを、なにも達成していなかったらしい。

 ――にしたって、どうして、どうしてこんなにも嫌われている。

 高貴な身分の者が嫌われるなんてよくある話だ。

 だが、これはあまりにも嫌われ過ぎではないだろうか。一体、何をやらかせばこんな最悪な評価を受けることになるのだろうか。

 少年がよろよろと立ち上がると、目の前には、放り投げた本人の――ロックと呼ばれていた大男が立っていた。

 握りしめられた鉄拳が、さらなる暴力を予感させる。

 それを避ける手段などあるはずもなく、ここは、とにかく耐えるしかないのだと、覚悟を決めて歯を食いしばって殴打を受け入れようとした、その時。

 ガラガラガラと、勢いよく車輪が地面を転がる音が響いた。

 そして馬の嘶くような声が聞こえたかと思うと、後方から、土煙を巻き上げ、一台の馬車が猛スピードで接近してきたではないか。

 その馬車は、少年とロックの側にまで走り来ると急ブレーキをかける。

 そして、その豪奢な車体の扉が開いて、誰かが出てきた。

 それは、一人の少女だった。

 純白の長髪が、腰元にまで伸びており、黒を基調としたドレスが、その清き髪色を一層映えさせる。とても美く、高い身分を伺わせるような風体であった。

 その少女は、靴音を高く鳴らし、臆することなく、ロックとキースの間に割って入る。

 彼女は、少年に向かって、ぺこりと一礼をする。


「ようやく、見つけました、お兄様」

「お、お兄様……?」

「ええ。貴方の妹……クロシェが、お迎えに上がりました。さあ、お話したいことは多くあるでしょうから、とにかく、あちらの馬車へどうぞお座りくださいませ」


 妹を名乗る人物が、猫のように吊り上がった目でこちらを見つめ、馬車へ乗るように、と誘導している。

 少年はもう限界だった。混乱の極みであった。入ってくる情報が、あまりにも多すぎて、処理することができない。妹を名乗る謎の少女の言う通りに動いてしまってよいのか、と、纏まらない思考を何巡もさせていると。


「……暗黒姫のご登場かい」


 ロックの声が耳に入ってきた。彼は、露骨な嫌悪感を表情に浮かべ、唾を吐き捨てる。


「バカ兄妹は仲がよろしくて結構だなぁ。俺ら市民は、明日食うにも困ってるっていうのに、あんたらは乳繰り合うことで忙しいみてえだ。羨ましいぜ」


 そんな嫌味をぶつけられ、周囲の市民が意地悪くせせら笑った。

 一領主がこんなにも嫌われることなんてあるのかと、少年はもはや呆れるしかなかったが、クロシェを名乗る妹は、それに対し、毅然と、言い返した。


「明日食うにも困る人は、昼間からお酒に縋るのでしょうか」

「……なんだと」

「第七領の民は、弱くない。きっと前を向けるはずです。それでも我らへの怒りが歩みを妨げるならば」


 そう言うとクロシェは、ずい、と小さな体を大男に寄せ、堂々と頬を突き出した。


「どうぞ、私を、殴ってください。不満を酔いで誤魔化すよりかは、よほど建設的です」

「クソガキが……そもそも、お前らの政治ごっこのせいで、俺らがどれだけ……!」


 少女の挑発に載せられてしまったロック。激情が爆発し、大きく腕を振りかぶる。

 それに対し、クロシェは、臆することもなく、じっと、その困窮する市民を見つめていた。


 ――この子が、僕の代わりに、殴られる。


 細かな関係性はわからないが、それは動かしがたい確かな事実だ。見上げるほどの大きな男の腕力に対し、この妹は、一歩も退くことなく対峙している。


 ――それは駄目だ。


 少年の中で浮かび上がった明確な拒否感。だが、それを止めるような力は持ち合わせていない。だから、彼は、咄嗟の行動で、腕を前に突き出した。


「【止めろ】」


 その言葉を吐いた瞬間、腹の下辺りが、かぁっと熱くなった。するとどうだろうか、今にも拳を振り下ろさんとしていたロックの目が、一瞬暗くなり、身体の動きを止めたと思うと。


「【いいえ】」


 なんて、虚ろな返事をした。瞬間、少年の体内から、力が抜け落ちていく感覚があった。

 ロックは、はっとして、少年を見る。


「……てめえ、今、俺に……魔法を……?」

「魔法……? 今、のが……?」


 確かに、そうとしか説明の付かない現象であった。まるで、少年の問いかけに、強制的に返事をさせられてしまったかのようであったのだ。

 そして激情は再びこちらに向けられる。無我夢中のことだったので、何をどう発動させたのか、検討もつかない。男は怒り狂った叫び声を上げながら、その振り上げた拳をこちらにぶちかまそうとして――。

 そして、その男の目を、なにか小さなものが横切った。

 それは丁度、大男の眼球に触れるように飛び去り、不意の目の痛みに驚いたロックは、大仰に手で目を覆った。


「西方魔術【妖精たちの箱庭ピクシーズ・ガーデン】」


 そんな少女の声が聞こえ、そちらを見てみると、クロシェの開いた両手には、四羽の小さな羽虫のようなものが辺りを漂っていた。

 否。それは、虫ほどの大きさの、小さな妖精の姿に他ならなかった。


「来てください!」


 そして、彼女は鋭くそんな声を駆けると、手を少年へ差し出した。

 それは、決まっていた運命であるかのように、とても自然な導きで。少年は、その手を掴み、共に駆け、馬車へと飛び乗った。

 中に入った瞬間、待ちわびていたかのように馬が嘶き、急加速でその場から離れていく。

 窓からは、憤懣やるかたない表情の男たちが見え、手ひどい悪口を叫び合っている。


「ようやく会えましたね、お兄様」


 そして、目の前に座る少女は――何故だか少し寂しそうな表情で再開の喜びを口にする。

 聞きたいことは山のようにある。まず、何から切り出していくべきかと逡巡した、その時に。


「……まさか本当に、転生、されている、だなんて」


 誰も知るはずのない秘密を、当然のように言った。

 少年は、ひどく驚いた。


「なんで、僕が……転生をしていると……」

「疑問だらけ、ですよね。私も多くを知るわけではないですが、できる限りの情報をお伝えできればと思います。でもまずは、これだけは先にご理解ください」


 そして少女――クロシェは、凛とした声で、少年に告げた・


「貴方は、アストリア王国、九王子が第七王子、キース・ユークリッド。同時に、この第七領を戴く領主でもあります。貴方には早速、【テーブル】に着いていただきたいのです」


 少年――キースとしての新たな人生が、ここから始まった。

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