第2話 - 目覚め

 お……マエ――は……生きて……困るんだァ――


 爆ぜる轟音と焦げ付くような匂い。囁くような暗い声。

 それらが入り混じり、脳内を掻き回す。真っ暗闇の中、随分と長い間、激しく吹き荒れる砂嵐の中にいるように意識が混濁していたが、突如、何の前触れもなく嵐が収まり、急激に意識が覚醒し始める。

「……くそ……なん……だ」

 酷い夢を見たような気がした。

 ザッピングしたテレビのように、断片的な映像が、脳内でフラッシュバックした。

 暗い声。呪うような言葉。硝煙の匂い。そして、こちらを見下ろす――冷たい目の男。


 ――僕は、殺された。


 少年は、その事実を思い出した。

 しかし、だとしたら、おかしい。

 今、こうやって、思考して、呼吸をしているのは、どういう状況なのだ。

 とにかく落ち着いて、状況を把握しようと、胸に手を当てる……が。

 違和感。

 何故だか、見覚えのない手袋を嵌めていて。

 更に良く見ると、豪奢な飾りのついた洋装を身に包んでおり、マントも羽織っている。

 まるで、どこかの貴族様のような格好だ。

「……こ、れ、は」

 絶句する少年は、ふと、空を見上げた。

 夜の帳は全てを包み込み、その天上から、微かな星々の光が降り注ぐ。

 その中でも一際大きく輝くのは、眩いほどの月の光。美しき満月が――三つ。

 空に飾られていた。月光が、周囲の赤い花々を妖しく照らしている。

 その光景を見て、愕然とする。

 ここは、明らかに――尋常の世界ではない。

 混乱が加速する。なんだ、一体、ここは、なにが、どう。

 そして、胸に当てていた手を離すと、ぬるりと、嫌に粘り気のある液体が糸を引いた。

 それを見つめる。馴染みある感触と、死の匂い。それは、新鮮な血液だった。

「血……誰の……」

 地面には血痕が点々と続いており、しかも自らの衣服にあまりにも深く染み込んでいる。

 返り血などではない。自身に傷口は無いのだが、この血の付き方は間違いなく、自分自身の血液だ。

 混乱の極みにあった頭脳は、意識を一点に集中させた。

 ここがどこだとか何があったとかはどうでもいい。

 少なくとも近くには己の命を狙った者がいる。疑いようのない事実だ。

 少年は急ぎ立ち上がった。全身の警報が鳴る。ここはあまりにも危険。即刻立ち去って、安全な場所へ逃げ延びなければ――。

 風が吹く。赤き花が揺れる。

 その、向こうから。

 黒衣の者共が、四人。ゆっくりとこちらに近付いて来るのが見えた。

 彼らが手に持つ凶器は、星の光を冷たく反射している。


「キース・ユークリッド」


 先頭の黒衣が、そう呼びかける。

 その名が誰に向けられたものなのか、気付くことができず、呆気にとられてしまう。

 その怪しき男は、こちらに向かって、静かに手をかざした。

 刃物を振るうでもなく、矢をつがえるでもなく。ただ手のひらをこちらに向けただけなのに、それはあまりにも強烈な殺意を内包していた。

 それに無防備でいられるわけはなく。少年はすぐに立ち上がり離れようとする。が。


「――北方魔術」


 急激に周囲の気温が下がる。先程までの温暖な気候は何処へやら。凍てつくほどの冷気が辺りに立ち込め、極寒の大気が出現した。

 ――これ、は。

 神秘、としか言い表せられない現象を目の当たりにし、思わず体が硬直する。

 いや、そんなことに気を取られている場合ではない。即刻逃げなければ……と駆け出そうとした、のだが。

 何故だか足が動かない。足元を見ると、凍てつく霜が、左足を固め、大地に束縛していた。


「なっ……」

「ここで終いだ、愚かなる主よ」


 黒衣の群れがこちらに迫る。手に持つ得物は獰猛なる獣の眼光が如き妖光を放ち、過たず少年の首に振るわれようとしている。

 逃げようにも、霜の束縛がそれを許さず。わけのわからないまま、少年はここでもまた死の運命を迎え入れるしかなかった。


「そんなの、受け入れられるわけないだろ……!」


 乱れた記憶の一欠片。真っ黒な感情の言葉を吐きながら、自身を見下ろしていた男の声を思い返す。

 非現実からの非現実。そして連続して奪われる己が生命。それをただ受け入れるほど、少年は寛容ではなかった。

 眼前にまで迫った先頭の黒衣の者に、静かに掴み取っていた砂を勢いよくぶち撒けた。

 思わぬ反撃に一瞬だけ怯む襲撃者。そして少年は、左足の靴を脱いで、勢いよく駆け出した。

 必死の足掻きが生んだ、窮地の一撃。この機に乗じ、一秒でも多く生き永らえるだけなのだが。この世界は、そこまで甘くは無かった。 


「北方魔術【凍てつく牢獄フロスト・ジェイル】」


 そして再び、霜の緊縛が彼の四肢を氷漬けにする。全速力のスピードのままつんのめり、盛大に地面に転んだ。鼻の奥が鉄の匂いで満たされる。

 足音が近付き、四人は彼を見下ろした。

「手間のかかる」

 恐ろしく冷たい声色だった。少年は動くことすらままならず、刺客共を見上げることしかできない。

 彼らは武器を手に持ち、いよいよ、最後の一撃を振り下ろそうとした――。

 その時。

 それは、本当に唐突だった。

 ありえないことに、頭上から、何者かの絶叫があたりに木霊したのだ。


「あ~~~~ぁあぁあああ! クソクソ、クソ!」


 異常に重たい物質が急速に落下していくような音が徐々に大きくなったかと思うと、目の前に巨大な塊が勢いよく叩きつけられた。

 ガシャガシャガシャと、鉄板同士が打ち付け合うような不快な音を鳴らしながら、銀色の塊が辺りを転が回る。

 濃い土煙が次第に晴れ、姿が露わになる。少年と黒衣の集団の間に割って入るような位置に出現したそれは――大きな、鉄の鎧だった。

 見上げるほどの偉丈夫で、星々を背景に背負い立つ、荘厳な姿は、神話の英雄のような出で立ちであった。

 ソレはよろよろと立ち上がり、激しく地団駄を踏む。


「やってらんねえ! マジで、クソ!」


 大きな鉄の塊が、喋った。

 否。それは大きな鉄の鎧で、物語の世界に住むような、騎士そのものの姿であった。


「――貴様、何者だ」


 動揺をまるで表に出さず、黒衣は厳しくその物体に誰何する。謎の騎士は粗野な言葉遣いで、それに答えた。


「……あぁ~? お前こそ誰だよ。名乗るならよぉ、テメエからだろうが。それがマナーだろ、違うかよ」

「そこの王子のともがらか?」

「……王子ぃ?」


 鉄の騎士は「あぁ?」とめんどくさそうな声を上げ、少年を見下ろす。兜の奥の瞳が、こちらを見透かすようであった。

 そして、正面に立つ黒衣の者共を見て、「……あぁぁ」と至極残念そうなため息をついた。


「信じられねえ、クソ。面倒事のど真ん中に飛び込んじまった」


 少年も、驚いていた。そこの王子、だって?

 確かに、この格好は、いわゆる庶民の服装とは逸脱している、豪奢なものだ。それこそ、何処かの国の王子が身に纏っていてもおかしくないくらいに。

 死の記憶。異形の満月。貴族風の服装。そして魔法と騎士。それらの存在が、あるフィクションのジャンルを想起させていた。

 つまるは「異世界転生」

 理性で否定をしようにも、圧倒的な現実が全てを物語っている。


「……ここは、異世界、なのか」


 少年の独白は、異郷の空に掻き消える。騎士が頭を振りながらため息混じりに言った。


「ふん。なんでもいいや、そんな面倒くせえことには首を突っ込みたくもない」

「ならば疾く、去ね。賢い選択をしろ」

「そしたらさ、あんたらはこの王子とやらを殺すんだろう?」


 騎士は黒衣に臆することなく、剣を突きつけるような圧力で問を返した。兜の奥の眼光がぎらりと光ったような錯覚さえ抱くほど、その鉄の塊は一歩も引かず核心を突く。


「殺人の目撃者を、放っておくほどあんたはお人好しなのか? はっ、そんなわけねえよなぁ」

「――口が達者なようだ」

「明け透けな甘言には乗れねえって言ってんだ。そこの坊っちゃんを殺すなら、こっちもあんたらと戦争しなきゃならねえ。面倒だなぁ? お互い不要な衝突を避けたいならよ、この坊っちゃんを見逃しな。日にちを改めて殺す分には、好きにすればいい」


 なんということだろうか。突如現れた騎士は、刺客を相手に、真正面から巧みな交渉を繰り広げている。獲物を見逃せなんて滅茶苦茶な要求の筋を通そうとしている。

 相対する闇の住人はそれを受け、笑いながら肩を竦めた。


「成程。理屈は通っているようだ」

「おっ、いいね、あんた。見かけによらず、話が早いじゃんか――」


 瞬間。響く、鋼の残響。

 瞬く間に接近した黒衣が刃物を騎士の首元に突き立てんとしていて、騎士はそれに対し、いつの間にか手にしていた銀色の剣で防いでいた。


「戯言を。貴様諸共殺せば何の問題も無い」

「あぁ、残念だ。一番愚かな選択だよ、それは」


 その黒衣が騎士と鍔迫合う中、他の三人が少年に迫る。彼は逃げようとするが、相変わらず四肢が氷漬けとなっており、動くことができない。

 と、何かが鋭く飛来し、彼の四肢を固める霜に突き刺さった。それは、四本の鉄の矢であった。冷たい束縛は砕かれ、自由を得る。

 とにかく少年は素早く起き上がり、そこから離れようと後ずさる。が、他の三名の黒衣が暴風の如き勢いで彼に接近し、短刀を肉に突き立てようと迫る――。

 その背後に、騎士がいつの間にか接近していた。一人がそれに気付き、手から火花のようなものを出して威嚇をする。が、騎士はそんなものに怯みすらせず、手を開く。

 すると、虚空から一振りの剣が出現していた。それを掴み、力任せに思い切り振るう。

 武器で防御した黒衣だったが、その余りの膂力に、吹き飛ばされる。残り二人の内、片方は両手に武器を持ち騎士に向かい、もう片方がそのまま少年の命を狙う。

 騎士は、虚空から掴んだ剣を放り捨て、両手を、向かってくる刺客に対し伸ばした。


「北方魔術【鉄の――《アイアン・――》】」


 すると、その手からは、どろりとした銀色の液体が吹き出したではないか。

 否、それは液体などではない。極限にまで融解した、流動する鉄に他ならなかった。

 鉄の液体はすぐに黒衣を包み込み、瞬時にガチリと固まった。奇妙なオブジェのように固められたその者は何の行動を取ることもできない。それを蹴飛ばした騎士は、またもや虚空から、両手に大きな鉄の槍を生み出した。。

 それを、残る一人の黒衣に叩きつける騎士。黒衣は、腕一本犠牲にする覚悟で、それを防ごうとするが――その時点で、勝負は着いていた。

 槍が突如、ほどけた。そう説明するしかない、不可思議な現象だった。先程までまっすぐな鉄の棒だったものは、幾条の鎖に変化し、敵の全身を巻き取っていたのだ。


「な――」「じゃあな」


 騎士は、驚愕に慄く黒衣の横面を思い切り拳で殴り、眠らせた。

 本当に、一瞬の出来事であった。

 あんなにも得体の知れない暗殺者の集団を、いとも容易く跳ね除けたではないか。

 三つの満月が、その英雄の姿を照らし出す。

 吹き込む風に揺れる草木の前に立つは、銀光を纏う超常の鉄騎士。


「貴様ァァァあああああ!」


 そして、反対側から、怒号が聞こえ、何かが騎士に飛びかかった。

 それは、先程まで、集団を代表して言葉を紡いでいた、あの黒衣の男だった。

 服装は無残に切りつけられ、腹の奥から血が流れているのが見て取れる。

 振るわれた武器に対し、騎士は冷静に、虚空から剣を生み出して、その奇襲を受ける。

 冷静さを失った黒衣の男は、歯ぎしりをしながら、怒りをぶちまける。


「何故だ……! こんな土地に……! あの『コンゴウテッキ』が、何故こんな……」

「うるせえ! こっちが聞きてえわ、バーカ!」


 そうやって鍔迫り合う中、騎士は少年に目配せをする。

 さっさと逃げろ。意味するところは、それしかない。少年は、全速力で駆け出した。

 異世界の住民同士がかき鳴らす、激しい刃鳴は次第に小さくなる。

 少年を囲むのは、見知らぬ世界。異形の夜空。貴族風の服。「王子」の呼称。魔法。鉄騎士。


「異世界……転生……」


 それが正解なのだと、本能では悟っている。だが、だとして、どうすればよいのか。疑問や不安がいくらでも湧いてくるが……今はただひたすら、生きるために、見知らぬ大地を力強く蹴るのだった。

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