【第五章】未知への挑戦
ジャズとは掛け合いの演奏であり、即興の演奏でもあり、異なるリズムが複合した演奏でもある。
その複雑さ、多様性でもって誕生以降様々なスタイルに枝分かれし、現在では楽器の進化も伴ってもはや枝葉の数は数えきれないほどに細分化されている。
ジャズは黒人音楽とされていた。人種差別への抵抗や、欧州に端を発した白人音楽の象徴たるクラシックへの対抗という根もある。それは紛れもない事実であろう。だが、ジャズ誕生の最初期から白人と黒人、二つの人種は共に演奏をし、『音楽』を奏でていた。ゆえにジャズを人種によって括るのは誤りである。『音楽』にその壁は存在するべきではない。
ジャズとは自由である。何物にも囚われず、何物をも包括する。
だからこそ難しく、ゆえにこそ、その深淵に終わりはない。
「オープニングアクトの枠は二曲だ。一曲目はド定番、モーニン。ジャズ好きのみならず世界中で愛されている名盤だな。この曲の強みはイントロのインパクト、それに尽きる。入りでこれ以上なく、明確に客を掴むための、まあ安易な策って奴だ」
ミッチの発言に何とも言えぬ表情を浮かべる三人。
「言いたいことはわかるが、高校生の半可通だからこそ許される構成もある。安易だと感じるほどにこの曲自体の力が強い。とりあえず、一番難しい最初の最初は曲の力を借りましょうって作戦だな。一発目からかますのにこれ以上の曲はねえ」
誰もが知っている名曲であり、最大の特徴であるイントロのインパクトを借りて場を盛り上げる。しっかりテーマを演奏できれば、客を惹きつけたままその後の『アドリブ』に入ることが出来ると言う目算である。まあ結局は、ジャズである以上『そこ』次第ではあるが。
「で、二曲目は、お前らも知っている小笠原古謡のレモン林、のジャズアレンジだ」
レモン林、と聞いてマイマイと初音は驚愕する。健太郎は首をかしげていた。
「へえ、そんなのあったんだ」
「ねえよ。俺たちが作った」
初音はミッチの返しに「なんだぁ」とため息をつく。
「ガキの時分に作ったものを、手直ししたもんだ。人前で発表したことはねえ」
「えー、面白そうなのになんで?」
マイマイがそう問うと、ミッチは苦笑して、
「一緒に音楽やってた奴に、俺が島を出ることを伝えると喧嘩になってな、そのままバンドは解散、こいつもお蔵入りになって眠っていたわけだ」
答えが重かったため、あのマイマイでさえ言葉を失ってしまう。
「あの、今は良いんですか。その、他の人に了解を取らないと問題になるんじゃ?」
健太郎の言葉に対しミッチは苦笑したまま――
「ベースは俺の後に島を出て行方知れず、ペットはこの前がんで亡くなった。ピアノはだいぶ前に海難事故で行方不明。もう誰もいねえんだわ。こいつを作った面子は」
こう返した。健太郎も、他二人も、絶句する。
「いわくつきではあるが、まあ、元の曲が良いからな。それなりに聞けるもんではあると思っている。問題はお前らがジャズに出来るかどうか。そこに尽きる」
そう言ってミッチはドラムセットに腰掛け、おもむろにドラムを叩き始めた。
「ジャズってのは自由だ。テーマ、コード進行、大まかなに設定された枠の中でなら、何をしてもいい。それが魅力であり、醍醐味であり、厄介な部分でもある」
力を入れているように見えないのに、鋭く音を叩き出すミッチのドラミング。繊細かつ大胆、傍目には適当に叩いているようにしか見えないのだが、どこかで聞いたことのあるような『モーニン』の輪郭が浮かんでくる。
「楽譜はスカスカ、クラシックだけをやっていたやつからすりゃ、二度見しちまうだろ。そこを埋めるのが演奏者って寸法だな」
軽く叩いただけでも雄弁に物語る、元プロの技量。教える資格は十二分にある。簡単なフレーズ一つで違いを作り出せるのが、プロがプロたる所以なのだろう。
「テーマからアドリブに入り、テーマへと帰ってくる。しっかり冒険して、おうちに帰るまでがジャズってことだ。さあ、旅に出るぞクソガキども」
ミッチ指導の下、三人の無謀なる挑戦が幕を開けた。
○
「へえ、4ビートはきっちり叩けてんじゃねえか」
「……合間に叩いていたから。まさか本当にジャズやることになるとは思わなかったけどね。つーか、この持ち方全然慣れないんだけど⁉」
「何言ってんだよ、最初はお前、レギュラーグリップで叩いてたぞ。俺の真似して」
「嘘だぁ」
「こんなこと嘘ついてどうするんだよ。まあ、レギュラーグリップでなくともジャズになってりゃジャズドラム。問題はねえんだが……せっかくの機会だし叩けるようにしとけ」
「ほんと、無茶言ってくれるじゃん」
「下敷きはある。飲み込みも早い。出来ないと思えばやらせねーから頑張れ」
「かぁ、ほんとミッチさん、煽るのがお上手」
「お前さんがおだてに乗りやすいだけだ、馬鹿野郎」
持ち方からしてジャズとその他は違う、などと巷では言われているが、ミッチはやることは同じ、やり方が違うだけだと言い切る。どんなジャンルであれドラムの役割はバンド全体の音を支えること。そこが一番であり、その部分こそが神髄。
ジャズドラムはほんの少しだけその中に遊びがある。そのほんの少しで遊び倒すも良し、遊ばず全体を引き締めるも良し、それも含めて自由なのだと彼は言った。
「マイマイは……お前さんに言うことは一つ、枠からはみ出るな」
「はみ出てないよ」
「はみ出てるんだよ。何度も何度もあっちを引っ込めりゃこっちが出っ張り、こっちを叩けばあっちが伸びるみたいに暴れ散らかしやがって」
「マイマイ的には有りだと思います」
「ジャズ的にはなしだ」
元々ジャンル問わず雑食、好き勝手吹き散らかしていたマイマイとジャズの相性は悪くない。彼女の問題はただ一つ、枠に収めること。最低限のルールを理解させ、それを順守させることさえ出来れば、ものになるとミッチは踏んでいた。
健太郎のおかげで手数が多くともきっちり吹けるようにはなっている。自由に吹き散らかすのは十年間やって来た。あとはジャズのフレーズをある程度叩きこめば、彼女ならば自由に、奔放に、ジャズらしく遊び倒してくれるだろう。
問題はやはり――
「テーマを弾かせたらさすがだな。モーニン、レモン林、どっちも楽譜通り弾けている。さすがだ、さすが……期待通りクソつまらねえ」
「ッ⁉」
「スカスカの楽譜をそのままやってもつまらねえんだよ。テーマでも遊び心を仕込め、なぞるな。そんで、アドリブに関しては論外。違う動画から引っ張って来ただけの人真似だ。俺は昨日言ったよな、人の真似じゃ意味がねえって。誰が別の動画のピアノ真似しろって言った?」
「す、すいません。でも、参考にするぐらいは……」
「譜面を探すのをやめろ。誰かの演奏に指針を求めるな。誰かを参考にするって決めた時点で、もうどうしようもなく真似でしかねえんだよ。それがジャズだ馬鹿野郎」
「……それじゃあ、勉強のしようがない」
「お勉強なんてもう出来てるんだよ。お前、今まで生きてきてどれだけの『音楽』に触れてきた? それ全部が血肉であり、地金であり、お勉強だ。馬鹿言ってないで引き出せ、自分の中にある音を引っ張り出せ。お前に必要なのは勉強じゃない、自分を出すことだ!」
それが一番難しいことは教えているミッチが一番よく理解している。クラシックの対抗として生まれたジャズ、つまりは同じ『音楽』でありながら一番遠いものでもあるのだ。クラシックはメロディーやコード、音の強弱に至るまで細かく楽譜に記されており、それを忠実に再現することで生まれる美こそを至上とするものである。対してジャズはピアノの場合、右手の音符とコード以外ほとんど何も書かれてないものが多い。自由を愛す『音楽』である。
楽譜と言う明確な指針に沿って、体に染み付くまで『音楽』を叩き込んできた健太郎にとって、今の状況は羅針盤なしで海に放り出されたような気分であろう。
なまじ他二人と違って引き出しが多過ぎる分、余計に迷っている印象がある。
「聞いたことのあるフレーズを、それっぽく繋げただけ。まー、つまらねえ」
「……くそ」
とにかく、今は弾かせるしかない。
殻を破れるかどうかは自分次第でしかないのだ。どれだけ練習しても破れないままの者もいれば、最初から殻を破っているような者もいる。こればかりは人それぞれ、健太郎がどうなるのか、この時点でわかっている者はいない。
まさに神のみぞ知る、である。
○
「健太郎、ばあちゃん買い物に行ってきますから」
「ばあちゃん、入港日勘違いしてる。船来るの今日だから今行っても何もないよ」
「あら、勘違いしていました。やだやだ」
基本的に島の物資は定期船に依存しているため、それが来ないことには買い物もままならないのが小笠原での日常である。
もちろん、日持ちするカップ麺とかであればあったりもするのだが、生鮮食品は船が来てすぐに島民が買っていきすぐになくなってしまう。
ちなみに父島に来てすぐ、マイマイが菓子パンを確保していたがあれも日持ちしないものの代表であり、入港日の夜にはほぼ全て売り切れている。しっかり定時が決まっている職業だと菓子パンが食べたくとも食べられないという哀しい現実もまた島の日常であるのだ。
「じゃ、僕みんなが来るまで下で練習してるから」
ここ最近ずっと下で練習するか、スマホでジャズを聴くか、どちらかばかりである。折角いい感じで焼けていたのだが、また元の青白い色に戻りつつあった。
「健太郎」
「なに?」
「防音室の掃除するので、午前中は自転車で外に出ていなさい」
「あ、それなら僕も掃除手伝うよ。そうしたら早く終わるし、すぐに練習が――」
「外に出なさい」
一瞬、大気がひりつく。いつも柔和な祖母の顔に孫の健太郎が見たことない表情が張り付いていたように見えたのだ。そんな雰囲気は、瞬きの間にかき消えたが――
「わ、わかったよ、ばあちゃん」
「綺麗にしておきますから、焦らずにゆーっくり、回ってきなさい」
「う、うん」
そんな感じで健太郎は無理やり外に出ることとなった。
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