第46話 燦砂の盲点

「実体のない亡霊たる私に、そんな攻撃は効かない」


 水の奔流は、閑厳の身体をするりと通り抜けていった。


「ならこれはどう? 重層結界【アペイロン】」


 濃い闇が辺りを覆い尽くす。あの息も詰まるような魔界の深層の空気が、ここに再現されている。


「大丈夫、ロッソには効かないようにしてある」


 右肩にエレナの手が触れる。その手のぬくもりは懐かしいものだった。なんとも安心する。


 だが振り返ると、エレナの双眸は赤黒く光っていた。それはまさに、魔妃と形容するにふさわしい、畏敬すべき形相だった。


「亡霊は等しく冥界の闇に葬られる。私の闇も、それと同質のものよ」


「ほう。私の造った蔵の副作用で、そんな魔法まで使えるようになっているとはな」


 閑厳は感心したように呟く。褒めているようだが、どこか自嘲じみていた。


「そうね。あなたの造った【魔界】という名の蔵、十分に利用させてもらったわ」


 閑厳の輪郭は徐々にぼやけていく。


「そうか。確かにこの属性は私に効く」


 閑厳は剣を捨て、どっかりと腰を下ろした。 閑厳と斬り結んでいた俺は、勢い余って転倒した。


「な、防衛システムなのに、そんなことしていいのか?」


「私とて和泉の端くれ。兄の作ったシステムの抜け穴くらい見つけておるわ」


 閑厳は、さっきまでと打って変わって柔和な笑みを浮かべた。


「なぜ急に戦いをやめたの?」


 エレナは闇魔法を解除しつつ問う。


「お前たちなら、この結界が暴走しても大丈夫だろうと思ってな」


「どういうことだ?」


「この結界は外部からの攻撃を反射するだけでなく、その堅牢さを以て攻撃に転用することもできる。結界の一部を尖らせて、天空から侵入者を串刺しにする、とかな」


 おぞましいことを言うな。


「私の意識がこの結界に宿っているうちはそんなことをさせないが、もう燦砂の奴も、私が防衛をサボっていることに気付いているだろう」


「ではあなたは……」


「あぁ、遅かれ早かれ私の意識は消される。燦砂は私の感知能力の高さと魔力量を見込んで、結界発生装置として利用したようだが、奴も考えが甘かったな」


 閑厳は高らかに笑った。


「こうして自分に反逆する人間が三人も現れるとは、想像もしていなかっただろう。そしてまさか、その中心にいるのが、和成でも冷泉でもなく、ましてや和泉でもない。異国の冒険者だとはな」


 俺のことを言っているのか。


 俺はただ、エレナを救いたくてこれまでやってきただけだったんだがな。


 だが確かに。燦砂は自らの血を引く者ばかり警戒している。俺の存在は盲点なのかもしれない。

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