夜、忍び寄る影

 深夜、皆が寝静まった頃、廊下を忍んで歩く人影があった。それはドルマルク男爵の次女のアンナだった。彼女は男爵から4人の護衛のうちの誰かの部屋を訪ね、親密な関係になるように命じられていた。

 長女は王に、末の娘はカイルにと考えていた男爵は、次女はキースにと考えていた。だが、キースの妻の気性を聞き、娘のためにせめて良い相手をと考えた結果、選んだのは護衛だった。親衛隊に属し、護衛に選ばれるほどだ。将来は約束されているだろう。ならば娘を嫁がせて繋がりを作っておくのも将来自分の利になると考えた。

 アンナが選んだのはユリアの護衛のジル・サージェスだった。常に穏やかに微笑み物腰は柔らか。容姿も端麗でアンナの好みだった。


 護衛たちはそれぞれ個室を割り当てられていた。本人たちは相部屋で構わないと言ったが、男爵がわざわざ個室を用意したのだ。

 ジルの部屋の前に立ったアンナはそっとドアをノックした。時間は深夜。とうに眠っているかと思ったが、意外にもドアはすぐに開いた。

「おや、こんな時間に何かご用ですか?」

ジルはボタンをいくつか外したシャツに隊服のズボンをという姿だった。日中はひとつに結われていた長い金髪が今はおろされている。アンナはその姿に頬を染めるとジルを見上げた。

「あの、お疲れのところこのような時間に申し訳ありません。少し、お話できればと思いまして…」

薄い夜着の上にストールをかけ、潤んだ瞳で見上げて小さな声で囁く。その様子はか弱い貴族の姫そのものだった。

「このような時間に男の部屋にくるなど、誰かに見られたらどうします?」

「すみません。でも、明日の午前中には発たれるのでしょう?私、どうしてもあなたとお話したくて…」

「それは、お話だけですむのですか?」

にこやかに微笑んでいるジルの声が冷たくなる。軽くうつむいていたアンナが驚いて見上げると、ジルは廊下の角を睨んでいた。

「おおかた、私があなたを部屋に招き入れるとろこを目撃させ、一夜を共にした責任をとあなたを私に嫁がせる、といったところでしょうか?」

「な、何を…」

アンナが驚いて目を見張る。優しく微笑んでいるはずのジルの笑顔がとても恐ろしかった。

「残念ながら私は貴族の生まれではないので、私と結婚しても期待はずれだと思いますよ?悪いことは言わないからこのまま自分の部屋に帰りなさい」

「それくらいにしておけ」

静かに威圧するジルの肩に手をおいたのはなぜか部屋から出てきたギルバートだった。

「え、どうして…」

「護衛に個室なんて待遇が良すぎますからね。大方こんなことだろうと勝手にふたりで使わせてもらいました」

ギルバートはそう言うとジルの耳を軽く引っ張った。

「いくら夜這いを仕掛けられて腹がたつとはいえ、ただの女性をそこまで威圧してどうする」

「イタタ。ごめん、ついね。もし私が一切触れずにあなたを追い返しても、目撃者があなたの側の人間なら嘘でも手込めにされたと言いそうだったので。さすがにこの状況ならそんな嘘もつけないでしょう。さ、早く自分の部屋に帰りなさい」

ジルはそう言うとアンナの言葉も聞かずにドアを閉めた。


 目の前でドアを閉められたアンナはヘナヘナとその場に座り込んでしまった。

「お嬢様!」

駆け寄ったのは男爵家に仕える古参の侍女。彼女はアンナのそばに膝をつくと心配そうに肩を抱いた。

「なにあれ、殿方ってあんなに怖いものなの?」

ガタガタ震えながら言うアンナに侍女は必死に首を振った。

「いいえ、いいえ!決してそのようなことは!あの男が異常でございます!さ、お部屋に戻りましょう?温かいココアをいれてさしあげますから」

アンナは侍女に抱き抱えられるようにして部屋の前を去っていった。


「お前、本当にやりすぎだぞ?」

ドアの前で気配をうかがっていたギルバートは気配が去ったことにため息をつくと親友に苦言を呈した。とうの本人はあっけらかんと笑っていた。

「そう?夜中に人の部屋にくるなんて、殺されても文句言えないでしょ?」

「阿呆。相手は性悪とはいえただの女だぞ?それも剣を握ったこともない貴族の娘だ。過剰防衛にもほどがある」

「え~?」

自分に非があるとは思っていないジルが不満そうな声をあげる。ギルバートはそれ以上言うことを諦めるとベッド代わりにしていたソファに戻った。

「隊長からの説教は嫌だろう?」

「それは嫌だな。あの人説教が長いんだよ」

ギルバートの言葉にジルの顔から笑顔が消える。今回の視察で全体の指揮をとってもいるのは親衛隊隊長ライルだ。とても若々しく美しい容姿に似合わず、ライルは己にも周りにも厳しい人だった。特に親衛隊の中でも実力で一二を争うギルバートとジルには皆の手本になるようにと厳しく接している面があった。そんなライルの説教は恐ろしく長かった。規則に縛られず自由奔放なところがあるジルはよくライルの説教で半日潰していた。

「明日の午前にはここを発つんだ。それまでの辛抱さ」

「明日は夜営だろ?夜営のほうが安心して寝れるってのも変な話だよなあ」

ジルは苦笑しながら言うとベッドに潜り込んだ。

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