『花が散るよりも先に』

 その村には、多くの花が咲いていた。それは単純に村の周囲に何もない——もとい、自然が豊かだという理由なのかと俺は思っていた。しかしミズキが語るところによれば、村長であるハナさんが毎年種を蒔いているのだという。


「おばあさまは、花が好きなんですよ」


 村の空き地の前に立ち止まり、ミズキは俺たちを振り返った。

 頭の後ろで軽く結っただけの髪が、風に吹かれて揺れている。先ほどよりは穏やかになった彼女の顔には、少しだけど笑みが浮かんでいた。


 花畑の少女、などというと失言になりそうだ。そもそもミズキは少女という年齢ではなさそう……などと口にした瞬間、失言以前に俺の印象が地に堕ちかねない。


「この村に花が多いのは、そのせいなんだね」

「ええ……まあ、単に畑や田んぼの栄養にするという意図もあるんですけど。こういう風に花が咲いていると、それを目当てに訪れてくださる方もいるんですよ」


 リンドウとミズキが和やかに話しているのを横目に、俺は花畑を見つめた。


 空き地の多くを埋めているのは、蓮華草れんげそうだろうか。桃色というか紅色というか、春めいた色合いの花は、かつて故郷でよく見たものだった。あの丸みを帯びた白い花は白詰草しろつめぐさ、紫色の小さめの花はすみれ……あと黄色いのは蒲公英たんぽぽか。


 どれも珍しいものではない。しかし野の花であれ、こうもたくさん咲いていると見事ではあった。寝転がると気持ちがいいかもしれない。うっかり考えが怠惰な方向に進んでしまって、やはり俺に花は似合わないのだと思う。


「ええと、花を見ても面白くないですよね? 野の花なんて、旅の方には珍しくもないだろうし」


 俺がぼんやりしているのに気づいたのだろう。ミズキは困ったように手を組み合わせた。

 退屈しているわけではなかった。しかし楽しいというには少々、俺の顔は仏頂面すぎる気がする。だがここで楽しいと言っても説得力がないし、そもそも彼女は俺を苦手に感じているのだろう。それならば、あまり誤解を与える言い方は良くない。


「確かに珍しいとは言えないが。しかしここまで綺麗なのはなかなかないよ。……まあ、寝転がったら気持ち良さそうだ、と思う俺は無粋だから、あまり説得力ないかもしれないが」


 少し苦い笑い方になってしまった。けれど実際そう思ったのだから仕方ない。俺とミズキの表情はやはり、微妙に噛み合っていない気がする。少し気まずい思いを抱いていると、何気ない口調でリンドウが呟く。


「カナンは花より団子。団子より酒の呑んべいだからね」

「……お、お酒ですか……? すみません、この村に居酒屋は……」

「いやいやいやいや、居酒屋に行きたいわけじゃない。いやそもそもこんな昼間から呑まない。酒が嫌いとは言わないが、そんな酒呑みに見えるのか……?」


 無言。待て、と突っ込んでしまいそうになる。ミズキはともかく、リンドウまで黙るのは何故なのか。確かに深酒をすることがないとは言わない。けれど酒呑みと言われるほどのことだとは思えないのだが。


「まあ、酔っ払って川に落ちたカナンはともかく」

「おい。誰だそれは」

「酔っ払いのカナンはともかく」

「どこのカナンだ」

「気の利かないカナンともかく」

「……。……お前な」

「朴念仁のカナンはともかく」

「…………」


 誰が朴念仁だ。否定できないからさらに悔しい。そもそもどうしてそこまで言われるのか。謎は謎だったが、とりあえず怒りを込めて石喰いから石の袋を取り上げる。するとリンドウは眉尻を下げて——何故かミズキに向き直った。


「……カナンって酔っぱらいで気が利かないし、しかも朴念仁なんだよね」

「え。は、はい?」


 当然だが、ミズキは戸惑う。しかしリンドウは構わず、言葉を続ける。


「その上……路銀を全部落とすくらい抜けているし、力以外はからっきしだし」

「お前、俺に喧嘩売っているのか?」

「道連れの食べ物取り上げるし。取り上げるし」

「……腹が減っているのか」

「鈍いし」

「う、うるさい」

「根が素直すぎるし」

「何がだ」

「気づかない程度には優しいし」

「な、何?」

「頑丈だから簡単には死なないし」

「……何の話だ」

「だからどうかな? お買い得だと思うんだけど」

「……待て、何を売り込んでいるんだ」

「労働力としても役に立つこと請け合い」

「…………おいこら」


 石喰いは晴れやかに俺を売り込む。具体的にどういう風に売り込んでいるのかわからない。いや、理解した瞬間、手にした石の袋を花畑に投げ込みそうだ。そうしてしまったが最後、リンドウの策略? にはまってしまいかねない。


 ミズキは不思議そうな顔でリンドウを、そして俺を見ている。まあ、むやみに理解されたい内容ではないから別に構わない。しかし、突然そんな話をするとは、石喰いはどうしてしまったのだ?


「何が言いたいかっていうと、カナンを怖がるなんて無意味だってことだよ」


 俺が問いただす前に、リンドウは笑顔で結論を語った。結論と過程が大いにずれている気がする。だけどそれを言うと面倒なことになるのは確実で、俺は追求することができない。


「ええ、と。怖がってはいないです。その……お二人が悪い方でないのはわかりました」


 ミズキは相変わらず困ったような笑みを浮かべていた。だが、以前より少し角が取れたような……そんな風に思うのは、俺の気のせいだろうか。


 俺は自分を良い人間だとは強く言えない。しかし悪い人間でないと思われるのなら、それは幸いなことだと思う。リンドウの意図は未だよくわからないが、あれで彼女が少しでも警戒を解いてくれたなら……嬉しいこと、ではある。


「さあ、もう少し別の場所も案内しますね。と言っても狭い村ですから、居酒屋もないんですけれど」

「もう居酒屋から離れないか……?」

「あ、ふふ。いえ、今のはちょっとわざとでした」

「おいおい」


 酒飲みだと思われているわけではないだろうな。しかし、距離を置かれるよりは少しくらい軽口を叩ける方がありがたい。気づくと自然に頰が緩んでいる。そんな俺たちに向けて、リンドウはいつもの笑顔を浮かべていた。


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