~秋~
『散りゆく秋を愛と呼べば』
落葉。散りゆく葉を眺めれば、視界は秋の色に染まる。
少しだけ肌寒く感じられる空気に、俺はそっと息を吐き出した。まだ息は白く濁ることはない。だが確実に季節は巡り、時は流れていると認識させてくれる。
「まるで、紅葉の海みたいだね」
枯葉の降り積もる地面を踏みしめて、リンドウはいつものように笑う。感傷的になりがちな秋の空気も、石喰いにとっては無関係なものなのか。ある意味では呑気に見えさえする笑みに、俺は軽く眉根を寄せて首を振る。
「花より団子……いや、石のお前にしては、随分と詩的な表現だな」
「三度の飯より戦好きの君にも、詩的なんて感覚があるとは驚きだよ」
「人聞きの悪いことを言うな。戦なんて酒の肴にもならんぞ」
「それはそれでどうなんだい? どうせ常に手酌酒なら、風流を嗜んだらいかがかな」
余計なお世話とはまさにこのことである。唇を引きつらせて睨めば、石喰いの視線はすでに俺の方には向いていなかった。
「向こうの方に何かがあるね」
告げられて視線を追ったものの、そこにあるのは深い森だ。石喰いの目は何を捉えているのか。問いかけたところでリンドウは答えもしない。
抗議の視線などお構いなしに、リンドウは落葉の森を進んでいく。道を外れることにためらいはあったが、石喰いを置き去りにすることも出来ない。
ため息ひとつ。こぼしたところで秋の空気には響きもしない。仕方なく俺も、リンドウを追って森の中に足を踏み入れる。
まっすぐに背中を追い、柔らかな土を踏みしめ進む。穏やかな日差しが木々に遮られ、腐葉土の湿り気を含んだ匂いが強くなる。降り積もる葉が羽根のように振る中を、俺たちは歩いていく。
「カナン」
リンドウの指が森の先を指し示す。導く先に何があるのだろうか。疑問に思いつつも、石喰いの隣に立って指の示す先をたどる。
木々の合間に隠れるようにして建つのは、おもちゃのような小さな家。
鮮やかな落葉の色の中で、外壁が木漏れ日に照らされて白く染まっている。窓は小さいが、その窓辺には秋の花が飾られていた。
見ていると心のうちにある郷愁をくすぐられるような、温かみのある家の姿。どこか心惹かれ眺めていると、無言でリンドウが歩き出した。呼び止めても、石喰いは振り返らない。何かに惹きつけられるかのように、まっすぐにその家へと進んでいく。
リンドウが話を聞かないのは今に始まった事ではない。しかし今回に限っては、いつもと様子が違っているように思えた。苦々しく感じながらも、俺は細い背中を追って足を進める。
いつしか、足元の土が少しだけ踏み固められたような感触に変わっていた。あの家に人が住んでいるのだとしたら、誰かがこの場所を歩いているのかもしれない。道とも言えない軌跡をたどり歩いていくと、不意に木々が途切れ、目の前に「家」が現れる。
「……これは」
まだ緑の色を残す、小さな庭。そこには秋に咲く花々が咲き乱れている。暁を染め上げるような紫、日の光を映す橙。そして、空を彩る青い色——。森を吹き抜ける風に花弁を揺らす花々は、美しい色合いで庭を染め上げていた。
「きれいな庭だね」
気づけばリンドウが隣に立っていた。小さな家を彩る、小さくも美しい花々。家主の深い愛情を感じさせるほどに、この庭の草花は生き生きと咲き誇っている。俺は悩むこともなく、石喰いに頷いていた。この光景に、文句のつけようなどあるはずがなかった。
「だけど」
リンドウが、少しだけ視線を下げて微笑んだ。それはいつもと変わらない、変わるはずもない笑顔だった。しかし今、それがかすかな痛みに染まっているように見えたのは、俺の錯覚だったのだろうか。
解らない。語る言葉もなくリンドウの横顔を見つめる。幸せで温かなはずの光景の中に、冷たい風が吹いていた。石喰いは視線をあげると、俺に視線を向ける。その顔に浮かんでいたのは、いつもと変わらない笑顔だったのだけれど。
「ここは、とても甘い」
どういうことだ。問いかけは、唐突に響いた足音にかき消された。
葉を踏みしめる密やかな音に、戸惑いが混じっていたのは勘違いではないだろう。俺たちが揃って視線を動かすと、その女性は大きく目を見開いていた。
「……あなたたちは……?」
女性はそばで立ち尽す子供の手を握りしめた。驚かせてしまったか。そう思い、後悔したところですでに遅い。警戒をあらわにする女性は、子供を抱き寄せこちらを睨む。
見知らぬ人間が庭先にいれば、こうなるのは必然だっただろう。しかし、それと同時に俺は不思議なことにも気づいていた。女性に抱き寄せられた子供の瞳が、恐れもなくこちらを見つめている。いや、見つめるというには、あまりにも虚ろな瞳だった。
「その子には、痛みが何もないんだね」
リンドウの声が、場違いなほど穏やかに響いていた。女性は警戒を滲ませながらも、戸惑うようにリンドウを見つめる。そんな女性に、石喰いは変わらぬ温かな口調で語りかけた。
「私は、石喰い。痛みを石に変え食べる一族。……心配しなくていい。私もカナンも、あなたたちを傷つけたりしない」
リンドウの声が、静かに張り詰めた空気に溶けていった。戸惑いは消えることはない。だが、女性は初めてまっすぐこちらに目を向けていた。
「私は、リンドウ。こちらはカナン。良ければ、あなたたちの名前を教えてくれないか」
何気ない、取るに足らないほどの微笑み。触れれば溶けてしまうほどのささやかな笑みは、温かな手のひらのように感情を解けさせていった。
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