第十六話 野宿すらままならないなんて!

 時刻は午後の九時を少し過ぎ多くの家庭が夜のひと時で落ち着く頃、浅葱家は反対に騒がしくなっていた。



「ルリア! どこへ行くんだ! 待ちなさい!」


「リアンだっつってんだろうがクソ親父! てめーの脳みそ豆腐か! 帰るんだよっ!」


「帰るって……お前のお家はここだぞ? なんだ、いじけてるのか。……可愛いなぁ」



 リアンが怒りを露わにしているのに全く意に介さず、気持ち悪い笑みさえ浮かべる青一郎。

 。リアンの気も知らず平然と言い放つ青一郎に娘となった元息子は奈落の底に突き落とされた気分になり、怒りの火も消え無表情になる。



「・・・じゃあ出ていく」

「ルリアぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」



 青一郎クソ親父の断末魔など聞きたくもない反吐が出る。ここは親父と母さんとあの子――シアンの家だ。

 リアンは駆け足で廊下を巡り、エレベーターの到着待ちでやきもきする。が、父も母も追ってはこなかった。


 乗り込んだエレベーターの壁にもたれかかりリアンは思考を巡らせる。

 俺の本があの野郎のところにあるってことは俺の部屋はもう無い。居場所なんて無いんだ――、と現実を突きつけられて初めて認識する。

 誰もいなくて居場所がないならまだ納得できるが、生憎両親は健在。実の親子なのに居場所を与えられないのは尊厳に関わる、と言いたいところだが……。



「そりゃそうだよな。もう死亡届受理されてんだから……」



 頭で理解はできても心の中に留めることができず、一言こぼれ出た。


 もうあの家に用は無い、河川敷へ戻ろう。

 自分には段ボールがお似合いだ。


 所詮は口だけか……。

 戸籍も携帯も屋根のある寝床も手に入れ損ねた。現金くらい掴んでこればよかった。やせ我慢とは分かっていても意地を貫いてしまった。


 また文無し宿無しに逆戻りだ。


 再びやりきれない気持ちが強くなり、エレベーターから降りると同時に飛びだすと、耳を貫く管楽器トランペットの音が響いた。

 車のクラクションだった。考えるより早く危険を察知して体が自然と飛び退く。盗賊シーフとして培ってきた反射神経のおかげでぶつからずに済んだ。

 目と鼻の先を夜でもわかるほど磨き上げられた白のハイヤーが通過する。



「……っ! ぶねぇ……っ」



 通り過ぎざまに「バカヤローー!!」と怒鳴られるのも分かる。百パーセント飛び出した自分が悪い。


 轢かれかかった動揺が返って冷静さを呼び戻し、夜道を走ってこのままいなくなってしまいたい欲求は消え失せた。

 うつむきがちに狭い歩幅でとぼとぼ歩くリアン。頭上で煌々と灯る街灯が恨めしい。

 お願いだからこんな惨めな自分を照らさないでほしい、いっそ暗闇に潜んでしまいたい。身を隠すように道の端を歩いた。


 住宅街を抜けて国道沿いをしばらく進むと大きく開ける。川に行きついたのだ。

 乾燥した北風が吹きすさぶ堤防を一人歩き、ようやく辿り着いた橋の下に「彼」はいなかった。


 今日もどこかへ行っているのか。優しく迎えてくれそうだと期待していた自分が恥ずかしい。

 ずっとこらえていた涙が一筋、両の目尻から流れる。それもひとたび風が吹けば拭う間もなく乾く。

 

 寒空にさらされ続けた唇も乾いて割れ、わずかに鉄の味がした。風になびく髪が頬を撫でる。

 またひとりぼっちだ。ひりひりと痛む唇から発する吐息は白く現れ儚く消えていく。


 突っ立っていても仕方ない、三度目のねぐらだ。段ボールと言えど使い続ければ愛着が沸くものだ……が、その段ボールも、置いていった生活雑貨も無くなっていた。



「うそ……だろ……」



 近くに散乱していたゴミも見当たらないところから察するに清掃活動が行われたか撤去されたようだ。よりによって今日。

 だからじーさんもいないのか……、と納得するものの不安が押し寄せ身震いする。

 現代こっちに来てからずいぶん弱くなった気がする。なんだかんだ異世界むこうでは仲間に恵まれていたのだと思う。


 藤村は家族と楽しく過ごしているだろうか。

 ヒナは本当に現代こっちにきているのか。寂しい思いをしていないだろうか。

 異世界あっちで共に過ごした仲間の顔が浮かんでは消える。誰かしらそばにいることが当たり前になっていた。


 ……弱気になってちゃいけない。こんなことで心が折れていてはヒナを見つけられない。


 それでは送り出してくれたみんなに、探すのに付き合ってくれている藤村に申し訳が立たない。

 気持ちを奮い立たせるためにリアンは手持ちの残金を確認しようとジーンズのポケットに手を入れる。



「……あれ?」



 紙幣を突っ込んだと思ったところには記憶と違う、固く冷たい感触があった。

 ひぃ、ふぅ、みぃ……いくつかの硬貨で三百八十四円。紙幣がない……。

 ほかの、ありとあらゆるポケットも念入りに漁るが一枚もでてこない。


 どこでどう使ったか、今日一日を思い返す。

 昼間電車を使い、昼食を食べるのに使い、着ていた制服のポケットに入れたままの可能性……。

 その制服はさっき飛び出してきた家に置いてきていた。勢い任せで飛び出したし、大したもの入っていないつもりだった……。

 安いホテルに泊まれるくらいの額はあるはずだったが、また当てが外れた。

 このまま橋の下で身を縮めて一晩やり過ごすか? とも思ったが、寒くてじっとしていると余計なことばかり考える。



「どこかへ……いかないと……」



 こんなとき、頼れるのは咲だが連絡手段も無ければ家の場所も知らないため、何とかして自力で食い扶持を稼ぎ夜を明かす場所を探すしかない。考え込んでいるより少しでもやることがあるほうが気が紛れる。

 明るいところに行けば人も多いだろう。浅はかな思考を頼りに街の中心部へ向かう。

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