第八話 ねぐらに戻ると先客がいるなんて!

「そうですか……。わかりました……。あ、いえ!平気です!大丈夫です……」


 アサギは肩を落としてカウンターに背を向け歩き出し、勢いよく開いた自動ドアをくぐる。センサーの反応の良さが早く帰れと言っているようにさえ感じられる。

 スーツ姿のフロントスタッフが何か言おうとしたが声を掛けられず眉を下げ困り顔で背中を見送る。


 キモ男から得た報酬(と迷惑料)で懐が潤ったので明日の浅葱青一郎との対峙に備え英気を養うために奮発してホテルに泊まろうと考えたのだった。


 ところが。身分証が無い。

 電話番号も、住所すらも書けない。名前だって外見と合わない。


 異世界帰りで文字が書けないわけではない。

 あるか分からない実家の情報をを記憶を頼りに書くわけにいかなかった。

 連絡されたり不審に思われ通報されても困る。


 異世界あっちで世話になっていた宿屋「野ウサギと木漏れ日亭」では宿代の代わりによく宿の仕事を手伝っていたのだが、不審者は宿泊者カードをもとに冒険者協会や宿泊所協会なんかに照会したものだった。

 記入した情報がでっちあげではすぐばれる。自身も冒険者協会なるものに登録していたからこそ宿に泊まることができたわけで、身元不詳では敬遠されるばかりだった。


 どの世界でも同じ……戸籍情報などそれほど信頼できないような異世界ですらそうなのだからシステムのきっちりしているこの世界においては一層身元が明らかでなければならないのは考えてみれば当然だ。


 大きな誤算だった。お金があれば泊まれるだろうという考えが甘かった。

 ホテルに泊まれない。恋しくなったふかふかベッドも温かい部屋もお風呂も遠のいてゆく。

 今夜も寒空の下で段ボールに身を包んで野宿するしかないのか。


 変に期待したばかりに反動で絶望が深まる。


 今ので6軒目。駅前の案内板を頼りにして駅周辺にあるホテルは全て巡ったため、もう当てがない。

 まもなく日没、建物のすき間から差し込む沈みかけたオレンジの夕陽が寂しさを含んだ眩しさで照らす。希望の燈火ともしびが消えてしまう。


 しばらく駅前で考えたものの他に思いつく手段がなく、橋の下へ戻ることにした。食料など購入したかったはずだが、そんな気力も湧いてこない。


 街を抜け、アサギは橋の下の寝床に向け力なく河川敷の土手の上を歩く。

 考えなくても寝床に辿り着けるのはありがたかった。

 定住地が要る。それに電話番号と、できれば身分証。これらを持たない事にはどこへ行くにも何をするにもままならない。


 明日を考えるとぐっすり寝たかったしお風呂に入りたかった。

 服を綺麗にしたところで体が臭うままではバカにされ追い返される。

 本当に追い返されるかはさておき、悪い想像ができてしまうようでは気持ちで負けてしまうためまともに交渉できない。


 いっそ川で行水するか……いや、女の子の体で野外で服を脱いでいては人に見られたらまずい。寄ってくるのは変態か警察か。


 それにこんな寒い時期、暖を取る術もないのに冷たい水を浴びては風邪をひく。はやくさっぱりしたいがそんな向こう見ずな行動は取れそうにない。

 昨日と同じように諦めて段ボールと新聞に埋まって眠るしかないのか。


 疲労感が強く頭が働かない。


 ――あれ?


 橋の下――アサギが寝起きした段ボールを置いていった辺り。

 もうだいぶ暗くなってぼんやりしか見えないが大きな何かがある。


 これ以上何が起きるというのか。

 父親に期せずして遭遇、そのあと変な男に絡まれどうにか逃げたものの助けに現れた男もまた変人。

 その上宿泊拒否の嵐に見舞われて疲れ切っていた。


 さらに面倒ごとが上塗りになるのはとてもじゃないが耐えられない。本当に勘弁だった。

 が、行く当てもないため重い足取りで恐る恐る近づいてゆく。

 本当は物陰に隠れながら近づきたいが、川の土手の上では身を隠すものなど何もない。


 物のある所のさらに奥、橋の下の影になって見えないところに明かりが灯っている。何かがあるだけでなく誰かがいるみたいだ。


 せっかく見つけた屋根付きの寝床まで奪われるのか。どこで眠れというのだろう……。

 せめて段ボールだけでも返してもらえないだろうか。

 今からまた探すのは骨が折れる。やっと来た道を重い体を引きずって引き返さなくてはならないし、戻ったところで段ボールがまた見つかるかどうかも怪しい。

 悪い想像ばかりが頭をよぎる。


 置いてあるものは使い古したリヤカーだった。屋根がついていて、昔々の物語に描かれている屋台のラーメンかおでん屋みたいなつくりだった。

 土手を下り、近くに寄ってみるとそこには屋台と違い袋に詰まった毛布や服、鍋など生活用品と思われる荷物がぎっしり詰まっているのが分かった。

 リヤカーにてっぺんはアサギの身長より高く明かりの側にいるであろう荷車の持ち主に視界を遮ってくれている。


 背中を屋台の背骨に合わせ、明かりの側をそっと覗く。


 一人の男がいた。


 白黒半々くらいに混ざりぼさぼさの髪、しわの寄った赤黒い肌。瘦せっぽちの体にお世辞にも綺麗とえない身なり。


 浮浪者ホームレスだった。


 小ぶりなドラム缶の中で焚火を焚いているようで、パチパチと音を立てて炎が揺らめいている。

 灯りの正体はこれだった。


 老人は緩んだ表情でボーっと火を眺めている。背後には段ボールが朝片付けた形のまま置かれている。よかった。あれだけ回収しよう。


 背中を屋台から離し、姿を晒す。

 砂利を踏みしめる音が立ち、老人がアサギのほうに目をやる。


「おお、お前さんがこれの主か?」


 敵意を感じない飄々とした声。目を見開くが片目が開かないようだった。


「2,3日離れとる隙にこんな娘がきておるとはなぁ。いやはや」


 話しかけているのか独り言か判別つかない話ぶり。


「あの……そこにある段ボール回収したくて……」


 遠慮気味に、恐る恐る話す。


「そうじゃろうそうじゃろう。丁寧に置いてあったから持ち物じゃと思ってな。撤去されんよう勝手ながら番をしておった。戻ってきてくれてよかったわい」

「番……。わざわざ、ありがとうございます」


 消え入りそうな声で弱々しく礼を言う。捨てられても奪われても仕方ないゴミ同然の段ボールを『丁寧に置かれていた」からと保護してくれていたなんて。純粋な優しさを感じた。自然と頭が深く下がる。


「ええ、ええ。気にせんでええ。わしが勝手にやったことじゃ。ほれ、ちょうどコーヒーがわいた。まぁこっちに来て飲め。寒いじゃろ」


 焚火の上にかけた片手鍋でコーヒー豆と湯を沸かして煮出していて香ばしい香りが立ちこめている。老人が立ち上がり荷車からみかんの段ボールを取り出すと差し出してきた。


「ほれ、これに座れ。安心せい、野菜の段ボールは頑丈に作られておるから座っても凹まんわい」


 斜め横、角度にして90度ほどの位置にみかん箱を置き腰を下ろす。

 アサギ、老人、リヤカーで三角形の配置になる。

 煮出し終えた鍋の中の琥珀色した液体を茶漉しで濾しながら器用にマグカップに注ぐ。

 差し出されたものを受け取ると温かくホッとする。


「しがないじじいじゃ。こうしてホームレスしておる。これは相棒の車だん吉じゃ」

「俺は……」

「ええ、ええ。無理に言わんでええ。若いのにホテルに行ったりせ誰かの世話になったりせんとこんなところで……よほど訳有じゃの?」

 頷くしかなかった。


「そう警戒せんでもええ、何もせぬわい。荒立てても住みにくくなるだけじゃ」


 ずずず、とコーヒーをすする老人。

 巻き込まれないための自衛手段なのかもしれないが踏み込んでこない気遣いは心地よかった。


 コーヒーを一口。


「あつっ!」


 老人が平気で飲んでいたため油断していたがさっきまで火にかかっていたものだ。まだ熱々で当然だった。

 火傷した舌を伸ばして空気で冷やす。


「はっはっはっ、気いつけい」


 先に言ってほしかった。と恨めしい目で老人を見る。

 老人は静かにコーヒーをすする。

 今度こそ、と息を3回吹きかけて、慎重に飲む。

 心地よい苦みが口いっぱいに広がる。

 紅茶やハーブティーばかり飲んでいたから新鮮だった。


「おいしい……」


「そうか?安物じゃぞ」


 反応に思わず笑みがこぼれる。

 味、というより人の優しさに触れたからかもしれなかった。

 老人は目を細めアサギの様子を見ている。


 緊張が解け表情が緩んでいるのに気付く。

 張り詰めていた糸を少しほぐしてもらえたような心地よさを感じていた――。




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