家庭訪問

武智城太郎

家庭訪問

 これは私が、中学校の新任教師だった頃の話です。

 私が担当していたクラスには、沼田誠という男子生徒がいました。自分の殻に閉じこもっていつも一人で憂鬱そうな表情を浮かべ、最低限必要な受け答え以外はほとんど声を発することもありません。そんなだからとうぜん友達もいません。体育を含めて学業の成績も芳しくありませんでした。おそらく無気力な性格がその原因なのでしょう。少なくともそのときは、私はそんな程度にしか考えていませんでした。やや問題はあるものの、学年に必ず一人くらいはいる普通の生徒だと……。


 私は野球部の顧問をしていたのですが、部室の点検のとき、棚にDVDが何枚かおいてあるのを見つけました。それは部員たちの小学校時代の試合の映像で、お互いに見せ合うために持ってきていたようです。興味があったので、私は視聴覚室のテレビで見てみることにしました。地区大会の決勝戦の試合らしく、主役として撮影されているエースピッチャーがうちの部員の二年生です。試合は味方チームの4番が見事なホームランを打って劇的な逆転勝ち。勝利したチームメイトが大はしゃぎしている場面もしっかり撮っていました。そこで初めて気づいたのです。そのヒーローとなった四番が、あの沼田誠であることを。快活で満面の笑みを見せ、チームメイトたちにも好かれている。現在の彼とはまるで別人なのです。

 後日、このDVDの持ち主の部員に尋ねてみたのですが、彼の話によると、沼田君はこの試合の少し後に父親を病気で失くして、そのショックで今のような性格になったのだそうです。


 それから数週間ほどたった頃、沼田誠の母親から息子のことで相談したいから家庭訪問をしてほしいとの連絡がありました。これは前々から保護者面談の申し出をしたかった私にとって好都合でした。母親は病気がちと聞いていたので、今まで延び延びになっていたのです。

 翌日、さっそく私は沼田家を訪問し、客間にて母親と話し合いました。母親はまっとうな常識人で、息子のことをずいぶんと心配している様子でした。彼女の病状も寝たきりというわけではなく、現在の家庭環境には問題があるようには感じませんでした。やはり父親の死のショックから立ち直っていないのが、すべての原因なのでしょう。

「7時過ぎには帰ってきますので、あの子の父親にも会ってください」

 母親のその言葉に、わたしは思わず「父親?」と訊き返してしまいました。母親はバツが悪そうに黙ってしまいました。正式に籍は入れていないが内縁の夫のような複雑な存在なのでしょう。私はそれ以上のことは詮索せず、「ええ、ぜひ」と快諾し、母親との面談を終わりにしました。父親だという人物が帰ってくるまでまだ少し時間があるということで、私は豪華な出前の寿司をごちそうになってしまいました。さきほどの面談でも感じましたが、ずいぶんと気を使われているようでした。

 夕食後、沼田誠といっしょに二階の彼の部屋で待つことにしました。沼田君は心配そうな顔で、部屋の隅で丸まるように体育座りをしています。私も少し緊張していました。もしかすると義父と折り合いが悪く、それが彼の問題の原因かもしれないと思ったからです。

 まだ義父は帰ってこないようなので、私は本棚にあった写真アルバムを見せてもらうことにしました。父子で野球の練習をしている写真、息子が活躍する試合の写真、父子でプロ野球を観戦しに行ったときの写真。そこには、野球好きのすごく仲の良い父子の写真ばかりが何ページにもわたってズラッと並んでいました。そこで初めて思い出しました。そういえば沼田誠は、いちおう野球部員なのだと。ほとんど練習には出たことがなく幽霊部員でしたが。

 部屋の掛け時計が7時15分を示したとたん、階段をのぼる足音が響いてきました。重く力強い足音なので、あの病弱な母親ということはないでしょう。

「先生、あの……」そのときめずらしく、沼田君が話しかけてきました。「部活のこと、お父さんには……」

 足音がドアの前で止まるが、ドアは開かれません。沼田君はなぜか怯えた表情をしています。私は立ち上がってドアを開けましたが、そこには誰の姿もありませんでした。隠れられるような場所もありません。私は首をひねりながらドアを閉めました。そのとき初めて、ドアに魔除けのお札のようなものが貼ってあるのに気づきました。

「え⁉」

 私は目を疑いました。いつのまにか男が部屋の中に立っているのです。しかもそれは沼田誠の義父ではなく、病死したはずの実の父親……の霊だったのです。私は悲鳴を上げ、恐怖で腰を抜かしました。父親の霊は、部屋の隅で怯えている沼田君の方へゆっくりとした足取りで近寄っていき、

「お父さんといっしょに行こう。あっちの世界でまたキャッチボールをしよう。広い球場みたいなところがあるんだ」

 と頭の中に直接響くような異様な声で呼びかけます。父親の霊は、生前溺愛していた息子をあの世に連れていこうとしているのです。

「いやだよ、お父さん!」

 沼田君は必死で拒否しています。

「ぼくは野球部で活躍してるんだ」

 私のほうを見て、

「顧問の先生がプロになれるって。だから行かない!」

 父親の霊はここで初めて私の存在に気づき、ゆっくりと近づいてきました。わたしは嘘だと知りつつ、ただ何度も頷きました。父親の霊はさらに目の前にまで迫ってきて、そのおぞましい両の眼で私の顔を覗きこみました。私はそこで失神してしまったようです。

                                  

 沼田誠は父親が死んだショックではなく、毎夜、自分をあの世へ連れて行こうとする父親の霊のせいで憔悴し、あのような性格になってしまったのです。母親が体調を崩しているのも、その心労のせいでしょう。家庭訪問と称してあの母子が私を家に招いたのは、父親の霊を説得するのに利用するためだったようです。

 あの夜以来、部屋に父親の霊が現れることはなくなったそうです。また沼田君も、少しずつ明るさを取り戻しているようです。

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