第8話:死闘

 大戦士ヘラクレス――。


 確固かっこたる自信と深い叡智えいちに溢れた群青ぐんじょうの瞳。

 二メートルを超える巨躯きょくには、隆起りゅうきした筋肉が搭載されており、腰に差したる獲物は、神話の宝剣マルミアドワーズ。

 威風堂々としたその立ち姿は、まさに大英雄ぜんとしていた。


(……よかった。なんとか間に合った……っ)


 今回ばかりは、本当に危なかった。

 後コンマ数秒でも遅れていたら、レグルスの幻想神域が完成してしまい、この召喚は成立しなかっただろう。


「はぁはぁ……っ。よくも、私の命々流転郷めいめいるてんきょうを……ッ」


 奴は荒々しい息を吐きながら、キッとこちらを睨み付ける。


(……かなり消耗しているな)


 神螺転生しんらてんせいによって、先ほど千切ちぎられた右腕はもう再生しているが……。

 レグルスの顔色は、非常に悪い。


(幻想神域は、途轍とてつもなく膨大な魔力を消耗すると聞く……)


 この消耗具合から判断して、二度目の幻想神域は警戒しなくてもいいだろう。


「――ヘラクレス、やってくれ」


「ル゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!」


 俺からの魔力供給を得た大英雄は、凄まじい勢いでレグルスのもとへ突き進む。


「……真正面から向かって来るとは、私も舐められたものですね。――神螺転生しんらてんせい


 レグルスの右手がヘラクレスの脇腹に触れた次の瞬間、レグルスの腕はボコボコと膨れ上がり、黒い肉片となって飛び散った。


「な、ぜ……神螺転生しんらてんせいが跳ね返って――ごはッ!?」


 大英雄の強靭きょうじんな右腕が、奴の顔面に突き刺さる。


「が……っ!? ぐぉ……ぎ……ッ」


 レグルスはまるでボールのようにバウンドしながら、遥か後方へ吹き飛んでいく。


「――ネメアーの鎧。残念だけど、ヘラクレスに初見の魔術は効かないぞ」


 遥か神代の昔――の大英雄は、神々から課せられた『十二の難行なんぎょう』を乗り越え、その褒美として十二の神具しんぐを授かった。

 初見の魔術を問答無用で反射するネメアーの鎧をはじめ、ヒュドラの毒矢・ケリュネイアの金角きんかく・エリュマントスの皮衣かわごろもなどなど……。

真実、神々の力が宿ったその武具は、一つ一つがまるで奇跡のような力を誇る。


 彼と契約を結ぶのは……本当に死ぬほど大変だった。


「なるほど……。ヘラクレスの逸話いつわから推察するに、十二の難行に対応した神具を持っているというわけですか……。この召喚獣、ちょっと厄介過ぎますねぇ……っ」


 その後、レグルスは神螺転生しんらてんせいと結界術を駆使し、なんとか必死に食らい付くが……。


「グ゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!」


「が、は……ッ」


 ヘラクレスの圧倒的な力と十二の神具に押され、あまりにも一方的な蹂躙劇じゅうりんげきが繰り広げられた。


「はぁはぁ……困りました。今の私では、この召喚獣を殺し切れなさそうだ」


「……諦めたのか?」


「まさか! ただ……少しだけ『基本』に立ち戻ろうと思いましてね。召喚獣が強力な場合は、召喚士じゅつしを叩く――召喚士対策の基本ですよ」


 奴は肩を軽く回した後、小さく息を吐き出した。


「……正直に告白しましょう。私はアルトくんのことを正しく評価し、しかるべき警戒をしていた……つもり・・・でした・・・。しかし実際のところは、心のどこかで侮っていたようだ。所詮は無知蒙昧むちもうまいな人間。ただの劣等種族に過ぎないうえ、まだまだ未成熟な十代の子ども。そんな油断や慢心が……今の醜態に繋がっている」


 レグルスのまとう空気が変わる。


「――アルト・レイス。私はもうあなたを格下と思いません。『神代の大召喚士』とり合うつもりで、最後の魔術を放ちます」


 これは……気を引き締める必要がありそうだ。


「――神螺転生しんらてんせい


 次の瞬間、レグルスの頭上に魔力で作られた巨大な球体が発生し、それはどんどん小さくなっていた。


「球体内を満たす『空気』に命をさずけ、それらを自壊させていく。誕生と死滅を繰り返した果てに生まれるのが、この『絶対真空』……!」


 あんなものをまともに食らえば、ただじゃ済まないだろう。


 俺は静かに呼吸を整え、魔力の精錬せいれんに集中。


 両者の視線が交錯し――レグルスが先に動いた。


「――神螺転生しんらてんせい崩真ほうしん!」


 天空の球体にヒビが入った次の瞬間、赤黒い閃光が凄まじい勢いで射出される。


(神螺転生・崩真は、『真空崩壊』という極大のエネルギー爆発に、ありったけの魔力と生命力を注いだ最強の一撃! これならば、ヘラクレス諸共もろとも召喚士本体アルト・レイスを殺れる……!)


 眼前に迫る大魔術に対し、迎撃を開始する。


「ヘラクレス――宝剣マルミアドワーズを完全解放。全魔力を以って、目の前の敵を殲滅しろ」


 ヘラクレスが天高く掲げた宝剣に、空間がゆがむほどの魔力が集中していく。


「ウ゛ォオ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛……!」


 振り下ろされた斬撃は、まさに『神話の一ページ』。

 全てを断ち斬る究極の一撃は、神螺転生しんらてんせい崩真ほうしんを食い破り、


「この、化物、め……ッ」


 レグルスの胸部に、巨大な風穴をぶち開けたのだった。



「……ぜひゅ、ぜひゅ……ッ。神螺しんらてん……せい……っ」


「……驚いた。まだそんな余力があるのか」


 肉体の約七割を消失したレグルスは、息も絶え絶えと言った様子で再生を始めるが……その速度は非常に遅い。

 おそらく命のストックが尽きてしまったのだろう。


「レグルス、お前には聞きたいことが山ほどある。悪いが、拘束させてもらうぞ」


むし』の手印しゅいんを結び、食々蟲しょくしょくちゅうを召喚――粘性のある触手を利用して、奴の手足を拘束していく。


「……私はこの先、冒険者ギルドで尋問を受け、いずれは処分されることでしょう……。もはや大魔王様の力になることができない、そんな自分がどうしようもなく情けない……っ」


 仰向けに拘束されたレグルスは、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。


「そこで、一度よく考えてみました。どうすればこの命を、吹けば飛ぶような風前のともしびを、大魔王様のためにかせるか……。するとなんと、素晴らしい名案が浮かんだのです!」


 奴は凶悪な笑みを浮かべ、おぞましい悪意を撒き散らしながら、けたたましい大声を張り上げる。


「――さぁさぁ、みなさんお立合い! レグルス・ロッドがお送りする、生涯最後の大悲劇が幕を開けますよォ!」


 レグルスが左手で『ばく』の手印を結んだ瞬間、モンスター化した冒険者たちの体が、ボコボコと膨れ上がっていった。


「ほらほら冒険者のみなさん、しっかりと目を開けてください! 醜いお仲間モンスターの最期をちゃんと看取みとってあげましょう! この残酷で醜い死を! なんの意味もない空虚な終わりを! しかとその眼に焼き付けようではありませんか!(――感情が揺らげば、魔力が揺らぎ、魔力が揺らげば術式が揺らぐ! さぁ怒れ! 傷付け! おのが無力を嘆け! その負の感情は、抉られた心の傷は、あなたたちの成長を阻む、大きな足枷あしかせとなる……!)」


 奴は満面の笑みを浮かべながら、高らかに術式をうたいあげる。


「――神螺転生しんらてんせいかい!」


 次の瞬間――静寂があたりを包み込む。


「「「……?」」」


 そこには、あるべきはずものがなかった。

 弾け飛んだ無残な遺体・冒険者たちの悲鳴・二度と癒えぬ悲しみ――悲劇を構成するものが、何一つとして存在しない。


「何、故……? どうして、誰もはじけないのですか……!?」


 目の前の光景が到底理解できないのだろう。

 レグルスは声を震わせ、小さく首を横に振っている。


「残念だけど、レグルスの思い通りにはならないよ」


 万が一、『最悪の事態』を想定したときの保険が――今ここで生きた。


「――王鍵おうけん・開錠」


 第七地区に突き立てておいた王鍵シグルドに接続。

 世界を走る不可視の『王律』に指を掛け――命令を下す。


「アルト・レイスの名において、当該対象の事象を――破却はきゃくする」


 次の瞬間――キィンという甲高い音が響き、世界が修正されていく。


「そん、な……馬鹿な……っ」


 神螺転生によって、モンスター人間に改造された冒険者たちは、みるみるうちに元の体へ――人間の体へ戻っていった。


「マシュ、マシュぅ……! よかった。本当によかったぁ……っ」


「い、痛いよ、ティルト……」


 ティルトさんは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、緋色ひいろのブローチを付けた女性冒険者に抱き着く。

 その他にも、あちらこちらで歓喜と感動の声が湧き上がった。


「あ、あり得ない……。こんなことは、絶対にあり得ない……! 神螺転生しんらてんせいで壊した命は、どんな回復魔術をもってしても治せないはず……ッ」


「えぇ、アレは間違いなく、『不可逆の破壊』でした。回復魔術では、絶対に治せませんね」


「ならば、いったいどうやって!?」


 食い気味に聞いてくるレグルスへ、とても簡単な答えを告げる。


なかったこと・・・・・・にした・・んですよ・・・・


「……は?」


 奴は理解できないといった風に、ポカンと大口を開けた。


「『レグルス・ロッドが神螺転生しんらてんせいを使って、冒険者をモンスターに改造した』――この事実をなかったことにしたんです」


 レグルスに改造されたという『過程』が消えたのだから、冒険者たちがモンスター化したという『結果』も消滅する。

 至極、当然のことだ。


「それは……過去を改変したということですか!?」


「はい、その通りです」


「ふ、ふざけないでください! 過去改変など、できるわけが――」


「――王鍵には、それができるんですよ。といってもまぁ、『王律の干渉』にはたくさんの制限しばりがあるので、思ったよりも使いにくいんですけどね」


 王律で干渉できる範囲は、現在の時間から前後三日のみ。

『座標』である俺から離れた事象ほど改変が難しくなる。

『死』という『絶対的な収束』の破却は不可能。


 他にも数多くの制約が存在するため、そう易々と使うことはできないのだが……。

 オンリーワンの性能を持つため、はまったときの性能はピカイチだ。


(変幻自在の召喚術・摂理せつりを超えた魔具、そして何より『無尽蔵の大魔力』……ッ。今、確信した。アルト・レイスは、いずれ必ず『幻想』の域に到達し、大魔王様に牙をく。……駄目だ。この少年は、あまりにも危険過ぎる……。なんとかして、他の復魔十使ふくまじゅうしに伝えなければ……アルト・レイスという危機を、どうにかして伝えなければ……!)」


 手足を拘束されたレグルスは、何故か今頃になって抵抗を始めた。


 次の瞬間、


「――よかった。ギリギリ間に合ったみたいだね」


 黒いローブをまとった男が、食々蟲しょくしょくちゅうを斬り裂き――レグルスの身柄を奪った。


(新手か……っ)


 俺はすぐさまバックステップを踏み、謎の乱入者から間合いを取る。


 突然の乱入者は、黒いローブを纏った背の高い男。

 フードを目深にかぶっているため、その顔をうかがい知ることはできない。

 右手に古びた剣を握っているところからして、前衛職の可能性が高いだろう。


「もしかして、復魔十使ふくまじゅうしのお仲間でしょうか?(なんというか、独特なプレッシャーを感じる……。多分この人、相当強いぞ……っ)」


「僕が復魔十使かどうか、ね……。難しい質問だけど、今のところはイエス、かな?」


 何やら、随分と含みのある回答だ。


「つまり、仲間を助けに来たということですね?」


「一応、そうなるかな。レグルスの固有術式――神螺転生は『うつわ』探しにもってこいだからね。今はまだ失いたくないんだよ」


「器?」


「うん、器」


 男は同じ言葉を繰り返し、多くを語ろうとしなかった。


 どうやらこの『器』という言葉については、あまり詳しく話したくないようだ。


「よし……それじゃ、僕はこの辺りで失礼しようかな。今はまだ、あんまり目立ちたくないしね」


「このまま逃がすとお思いですか?」


 レグルス・ロッドは、とても貴重な情報源。

 それをみすみす持っていかれるわけにはいかない。


「うーん、困ったな……。今はあまり戦いたくないし、見逃してくれると嬉しいんだけど……?」


「それは難しいご相談ですね。偶像召喚――」


 俺が『獣』の手印を結ぼうとすると、


「――見逃がしてくれないかな?」


 男はまるで別人のような冷たい声を発し――ほとんど全ての魔力を使い果たしたステラたちの方へ、スッと右手を伸ばした。


(な、なんだ……あのおぞましい魔力は……!?)


 絶望・悲哀ひあい諦観ていかん憤怒ふんぬ怨嗟えんさ――右手に込められた魔力は、『負の感情』がギュッと凝縮された、恐ろしく醜悪なものだった。


(……もしも俺がこのまま手印を結び、召喚魔術を展開したら……)


 あの男は躊躇ちゅうちょなく、ステラたちへ攻撃を開始するだろう。


「…………わかった。その代わり、ステラたちには手を出すな」


「ありがとう。君が優しい子で助かったよ」


 黒いローブの男は柔らかい声色で感謝を述べ、転移術式を展開、その中へレグルスを放り込んだ。


「――おっと、忘れるところだった。それ・・はそっちに預けておこうかな」


 男が指さしたのは――大魔王の心臓。

 あれだけ激しい戦闘があったというのに、いまだ玉座の上に鎮座している。

 おそらくは特殊な魔術か何かで、座標が固定されているのだろう。


「大魔王の忌物……。復魔十使ふくまじゅうしにとって、大切なものなんじゃないのか?」


「うん。だから、大切に保管しておいてほしいんだ。それに……もしかしたら・・・・・・君かも・・・しれない・・・・しね・・


「……?」


「いいや、こっちの話だよ。……多分、君とはいずれまたどこかで会うことになるだろう。そのときは、もっと深く話せるといいね。――それじゃ」


 謎の男は軽く手を振り、別の座標へ転移した。


「――アルトくん、どうする? 追うか?」


 ことの成り行きを静かに見守っていたラインハルトさんが、すぐに意見を求めてくる。


「いえ、やめておいた方がいいと思います。あの男は、相当強い……。下手に追ってしまうと、手痛い反撃を食らうかもしれません」


「そうか、わかった。それでは、大教練場へ戻るとしようか」


「はい」


 大魔王の忌物である『心臓』を回収した後、ティルトさんが転移魔術を発動。

 前回は不発に終わったが、今回はきちんと術式が機能してくれた。

 レグルスを倒したため、転移阻害の結界が消滅したのだ。


(ふぅー……。いろいろ大変だったけど、なんとか無事に終わったな……)


 復魔十使レグルス・ロッドとの死闘、黒いフードをまとった謎の男の急襲。

 突然参加することになったこの大規模遠征は、本当にトラブルだらけだった。


 だけど、モンスター化した冒険者たちはみんな元に戻せたし、戦術目標であった大魔王の遺物も確保。


 今回の戦いは、俺たちの『完全勝利』だ。

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