第1話 伊藤下宿の住人達①
「──女なんてクソだ」
「ちょっと衣彦……! その発言、絶対SNSでしちゃダメだからね……!?」
買い物帰り、下宿へと向かうバスの車内には、数人の年配に混じって俺達と同年代くらいのカップルがいた。もうすぐ春休みも終わる頃だから、連休最後のデートでもしているのだろうか。実に微笑ましい。永遠に最後になればいいのに。俺は心の中で呪詛を唱えながら、額に青筋が浮かんでいるのを自覚した。
「これは世の中の女子全員に言いたいんだけど、『身近な男友達に思わせぶりな態度を取って、相手のまんざらでもない反応を見て承認欲求を満たす』っていう精神的搾取、マジでやめて欲しい」
「世の中の女の子がみんなそうとは限らないんだからね? 確かに、今回の件はそうかもしれないけど」
「でも、信じて付き合った彼女が自分の幼馴染みに一目惚れしたって、女性不信になる理由としては十分過ぎない?」
「それはもう事故だよ、事故。たまたまそういう子に引っかかったっていうだけ。龍は確かにカッコいいけど……衣彦だって良いところはたくさんあるのに、その子の見る目がなかったんだよ」
「はは、ありがと……できることなら今すぐにあいつに関わる記憶、全部消したいよ」
「ただ消すだけじゃダメ。ちゃんと衣彦が幸せになってから、上書きしなきゃ」
隣の席に座っているのは俺の姉と子供の頃からの親友で、幼馴染みの伊藤みずほだ。ウェーブがかった栗色の髪に、やや太い眉と薄いそばかす。本人はそんな自分の容姿にコンプレックスを持っているが、俺としては赤毛のアンみたいな愛嬌があって可愛いと思う。
みずほ姉ちゃんはわけあって伊藤下宿を一人で切り盛りする大家でもあり、今日は俺を迎えに来るついでに夕飯の買い物をし終えたところだった。
「今度から悪い子に引っかからないように、気になる子ができたら会わせてよ。私がチェックしてあげる」
「みずほ姉ちゃんお人好しだから、誰を紹介してもヨシ!って検問通しそうな気がするけど」
「あー、失礼。私だって人を見る目あるんだからねー?」
「でも今回改めて思ったよ。やっぱりみずほ姉ちゃんみたいに優しくて可愛い人、他にいないんだなって」
「やだ、ちょ、いきなり何……?」
「やっぱり家族みたいなもんだから、その辺の女とは安心感が違うんだよなー」
「かっ……おっ……」
「ん? どうしたの変な声出して」
「ううん、何でもない……そういうところだよね……うん、衣彦らしいけど……」
窓にもたれかかり、深い溜息を吐くみずほ姉ちゃん。何か気に障ることを言ってしまったのだろうか。不機嫌になる前に何か話を逸らそうと思い、ふと気になっていたことを聞いてみる。
「そういえば、新しい下宿生ってもう来てるの? 今いる人の妹の方は来てるって聞いてたけど」
以前聞いた話では、下宿生は一人しか入居しておらず、この春からはその人の妹と俺の他にもう一人、合計三人が入る予定だったはずだ。
問題なのは、俺以外の全員が、女であることだが。
「あー、うん。もう来てるよ。可愛くて、うん……可愛い子だよ?」
「……性格は? 今ちょっと触れかけてやめたけど」
女子四人に対して男がたった一人というただでさえ肩身の狭い共同生活である。下宿生の人柄については今後の高校生活を左右する重要な情報だった。
まして俺は先日元カノにフラれた時から、高校では絶対女なんかにうつつを抜かさないという心の誓いを立てたのだ。
異性と関わりを持ってしまったがために傷付くくらいならいっそ、最初から関わらなきゃ良い。
「性格も悪い子じゃないよ? 大人しくて……真面目な子って感じ」
含みのある言い方が気になるな……。
しかし、俺の人生経験上『女の子が言う可愛い』はあまり信用できなくて、『大人しくて真面目な子』は、大体陰キャだ。もしそうだとしたら、同族としてお互いの関わりも最小限でいられるので、かえってありがたい。これで目が隠れるほど前髪が長くて独り言をブツブツ呟いてはクラスで浮いているようなタイプだったらなおのこと完璧だ、遠慮なく距離を置ける。
「ちなみに衣彦って……アイドル好きだっけ?」
「ゲームの話? めっちゃ好きだよ。最近のアイドルゲームってイベントシナリオの出来も良くって、古典文学なんかをモチーフにしたりしてさ……」
「ゲームじゃなくて実在のアイドル。『QED21』とか……『Wake Up People』とか」
「そっちの方はそこまでだな……QEDなんて4期生の名前まだ全員覚えてないし、ウェカピポにいたっては『東京通信』時代の2人しか顔わからないし」
「それだいぶ好きだよね!? その小慣れた感じ、詳しい人だよね!?」
「いや俺全然詳しくないし、オタクじゃないし」
「『こばゆ』は? ウェカピポの」
「『月曜日の天使』だろ? 嫌いじゃないよ。超人気だけどね。俺、みんなが好きっていうやつにハマらないっつーか、一番よりナンバー2派? みたいなポリシーあるから」
「ふーん、そっかぁ」
突っ込み待ちのつもりで大袈裟に『俺は他のやつとは違うんだぜ』アピールをしたのに、ナチュラルにスルーされてしまった。
外を見ると交番に貼られた振り込め詐欺防止ポスターの中で笑顔を浮かべている件のアイドルと目が遭い、嘲笑われているような気がして屈辱的な気分になった。
「なら、モデルみたいに綺麗な女の子の方がタイプ?」
「そういう意識高そうな子も俺みたいなモブとは話合わなそうだし、苦手かな。見てる分には良いけどね」
「じゃあ……虫は平気?」
「虫!? え、この流れで虫!?」
「だ、大事なことなの!」
「えぇ……好きかって言われてもな。カブトムシとかクワガタなら大丈夫だけど、それ以外は……まぁ、平気かな。見てる分には」
というのは強がりで、本当は超怖い。男子たるもの女に弱みを見せてはならんのだ。
「そっか……うん、大丈夫そうかな」
「何でそんなに満足気なんだよ……」
「衣彦なら下宿のみんなとうまくやっていけそうだなーって思って」
「今のやり取りでそう思うなら、尋常じゃない過大評価だよ。俺みたいな根暗、当たり障りのない関係でいるのが精一杯だ」
「まーたそんなこと言って。衣彦が自分のこと過小評価し過ぎなんだよ」
「だって、事実だし」
「もし衣彦の言うことが本当にそうだったら、私達今頃こんなに仲良くなってないよ」
「…………」
「ね?」
俺の顔を覗き込むように、みずほ姉ちゃんはにっこりと笑った。
どんなときもいつも俺の味方をしてくれるみずほ姉ちゃん。
その穏やかな笑顔を久しぶりに見たような気がして、少しだけ鼻の奥が熱くなった。
「──それはそれとしてさ、あんまり俺と他の人が仲良くなってもみずほ姉ちゃんだって困るんじゃないか? 男は俺しかいないんだし、『下宿生同士の不順異性交遊はダメ。絶対』ってこないだも目くじら立ててただろ」
「それはもちろんそうだけど、衣彦も、みんなのことも信じてるから。だから大丈夫」
「お人好しだな。みずほ姉ちゃんの方こそ、変な男に引っかからないか心配だよ」
「えー、私みたいに地味な子、引っかけてくるような人いないよ」
「いや、地味ではないよ」
「そう?」
「家事は完璧なのに、たまにビビるくらいおっちょこちょいだから目が離せない」
「っ……それ、褒めてる? バカにしてる?」
「まぁ、とにかく安心してよ。下宿にどんなに良い子がいたって俺が誰かを恋愛対象として見ることは、絶対ないからさ」
そう言うと、何故かみずほ姉ちゃんは恨めしそうな表情で俺を睨んだ。
なお、ドヤ顔で言い放ったこの発言が後に物議を醸し出すことになる件については、また別の話となる。
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