第18話 「そんなはずないんだわ」


 目の前に現れた数年ぶりの一条美貴は、とんでもなく痩け衰えていた。美貌も愛嬌も遠く彼方に忘れ去られたように。


「一条さん。君は一条さんだね。ああ、そうだ、僕は井上だよ」


「そうね、そうよね。そんなずないんだわ」


 そう言うと、急に壊れたようにケラケラと笑い出して、廊下の奥に走り去って暗闇の中に消えた。そして、奥でどこかの部屋の扉が開いて閉まる音が響いた。どの部屋か知れないが、彼女は部屋に引っ込んでしまったのだ。

 呆気にとられて、立ち尽くすしかなかった。石のように固くその場から身動き出来なくなった。


 彼女は僕に気がついた。十年ぶりのこんな暗がりでの異常な再会にもかかわらず、意外にも彼女は僕を認知できた。まるで、長い歳月の隔たりなどないかのようにである。僕と彼女の面識は二、三回顔を合わせた程度だというのに、よく気がついたものだ。僕が彼女を覚えているのは、好きだったからで、道理があるのだが……。

 それより「そんなはずなないんだわ」とはなんだったのか。どういう意味での言葉なのだろうか。

 これが普通の場合であれば、十年ぶりの再会に歓喜してか驚喜して、そう言ったとも考えられるが、どうもそうは受け取れない。あの表情や、涙や、その後の狂態からして、僕が現れたことは何か予期せぬ、信じがたいことだったのかもしれない。


 それとも……。いや、なんとも言えないが、どことなく僕を誰かと見間違えて、それで僕だと分かって、「そうよね。そんなはずないんだわ」の方がしっくりくる気がする。


 そうして僕は石のように固まったまま、その場に立ち尽くしていた。

 一条美貴はいったい、どういうつもりで言ったのか。いや、どうしてあれほど取り乱しているのか。


 雷光と雷鳴の間隔がほぼない、大きな雷が一発。


 それではっと身動きが出来るようになった。すぐそばに雷が落ちたのだろうか。激しい音だった。

 一条美貴の後を追うよりも、やはり二階の部屋に行こうと、また階段に戻って、今度はそのまま上がった。

 もう何もかも段柳自身に問い詰めるしかない。そうだ、問い詰めてやるんだ。どういうつもりなのかと。こんな陰険な空気はいったいどうしたのかと、詰め寄ってやる。

 階段は作りが頑丈で重厚な木材で出来ていたから、まったく軋みがなく、滑らかな踏み心地は、これだけ段幅のゆとりがなければ敢えなく転げ落ちてしまいそうだった。

 雷は遠く高い空の中でくすぶっている。黒い空が腹を鳴らすように、飢えた獣が狙いを探している時のような、重い音で鳴っている。


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