第五節:夢の兆しⅢ

 あたしは地道に草むしりを再開する。そして暫く作業を続けていたら、あたし達の近くにハル寮長が現れた。


「どお?順調?」


 言われなくても真面目にやってますよ。と、ちょっと毒づいて見たくなる気持ちをぐっとこらえてあたしはにこやかに答えた。


 「はい、早朝にこんなことするのも良い物ですね」


 あたしはにこやかにそう答えた後、閻魔えんま様に舌抜かれるぞと思いながら作業を進めた。そうだ、さっきの話を聞いて見よう。そう思ってあたしはゆっくり立ち上がる。うう、腰が痛い。これから三年間、こんな事を繰り返すのだろうか?


「あの、寮長…」

「ん?なぁにニーナ」


 あたしは花壇を指差して彼女にさっきの疑問をぶつけて見る。

「ここの花、昨日まで『赤い花』だったように記憶してるんですが、今は、黄色…植え替えたんですか?」


 あたしの質問にハル寮長はにこやかに答えた。


「ええ、もう、見ごろを過ぎていたし。昨日、新しい花の株が届いたんで植え替えちゃった」


 やっぱりハル寮長だったか。マメなんだなぁ皆、あたしだったら枯れて朽ち果てるまで放っておくのに。学校の方針も有るのだろうが、学生の面倒を見た上に花壇の心配までしなければならない。大人は皆、こんな大変な思いを毎日してるのだろうか。だとしたら、大人になりたくない。爽やかな朝だと言うのに妙に落ち込んだ気持ちになった。今日の授業に耐えられるだろうか。


★★★


 一段と眠かった授業をなんとか切り抜けて、夕食が済んで自室に戻ったあたしは、ユキがシャワーを使い終わるのを待つ間、ラジオを聴きながら携帯端末を弄っていた。

 この星についてからメールの着信は有るが通話の履歴は一件も無い。流石に地球からでは距離が遠すぎるのだ。星間通信は今でも莫迦高くて、学生の身分じゃぁ手が出ない。確か、あたしは一流企業の社長令嬢だった筈だったよな――どうしてこんなにお金が無いんだ?一般の金銭感覚を養おうとでも言うのだろうか。何にしてもやり方が姑息の一言に尽きる。なんだか段々腹が立ってきた。そう思った瞬間、携帯が振動し始めた。

 この学園では携帯端末の持ち込みは基本的に禁止されている。だが、あたしは悪の限りの第一歩としてあえてこれを持ち込んだ。そしてマナーモードにしていた携帯端末は通話通信が着信した事をあたしに告げた。いきなりだったのでちょっとびっくりしたが久しぶりの通話着信でちょっと嬉しかったあたしは相手が誰であるか良く確認せずに通話ボタンを押して端末を耳に押し付けた。


 同時に知らない男の声――


「――もしもし」


 誰だ?聞き覚えの無い声だが。あたしがそう考えて居ると電話の相手が名を名乗った。


「俺だ、恭一郎、佐伯恭一郎だ」


 ぶちっ!!!!


 あたしは無言で通話を切った。なぜなら奴に用事は無いからだ。話す事など一ミリ秒すら無いし声も聴きたくも無い。しかし、無情にも端末は再び振動を始めた。表示された着信番号から恭一郎が再び電話をして来たという事が読み取れた。

 あんのやろぉ、三か月監禁の恨みは一生忘れないぞ。監禁する位ならまだしも、これ見よがしに部屋の外の、あたしの目の前の廊下をナンパしたってばればれなケバい女連れで何回も行ったり来たりしやがって。

 くそ~思い出しただけではらわたが煮えくりかえって、良い出汁がとれそうだぜ。と、罪も無い携帯端末を叩き壊しそうになる衝動を必死で堪えて通話ボタンを押し、再びそれを耳に押し当てる。そして、地の底から湧きあがるような声で一言挨拶。


「はろ~~」


 どうだ、この陰気な雰囲気をくみ取りやがれ、このこっぱ役人が!だが…


「やぁ、どうだい、元気にやってるかい?」


 不必要に爽やかな奴の声がざくざくと脳みそに突き刺さる。音声通話で良かった。画像通話だったりしたら、この衝動は抑えきれなかったで有ろう。


「ええ、御蔭さまで元気でしてよ」


 あたしは恭一郎に向かって心の底から毒づいて見せた。


「そうか、元気なら何よりだ」


 毒づき作戦は奴に全く効かない様だ、相変わらず不必要な爽やかさを振りまいている。


「処で、ちょっと聞きたいんだが」

「断る!」

「おまえさんの学園で」

「断るっ!!」

「何か変わった事は無いか?」

「断る断る断るっ…つうて、何よ変わった事って…」


 あたしの質問に恭一郎が口ごもるのが感じられた。恭一郎は説明しづらそうにぼそぼそと答えた。


「――所謂、変な事だ」


 あたしは一度端末を耳から離しそれをちょっとの時間見詰めていた。何を言ってるんだこいつ…未だ時差ぼけしてるのか?


「何よ変な事だらけよ。良く考えて見てよ、ほぼ同年代の女子が集団で暮らしてるんだから都市伝説の一つぐらい有っても不思議じゃぁないでしょ」


 恭一郎が端末の向こうで考え込んでいる姿が目に浮かんだ。


「都市伝説、とか?」


 恭一郎はあたしの言葉を真に受けて居る様で、そう言ったっきりで答えが返ってこない。


「あ~~~もう、たとえばよたとえば」


 なんだか、怒りを通り越して段々めんどくさくなって来た。


「ふむ、たとえば…ねぇ」

「そうよ、今の処、万事順調。この調子じゃあ本当にお譲様になっちゃうかもしれないわ。今日だって朝一で花壇の手入れしてたんだから」

「ナルホド、そりゃ健全だ。船の中でのお前さんからは想像できないな」


 ぴきっ――


 あたしの頭の中で周囲に聞こえたんじゃぁ無いかと思う位、派手な断裂音がした。


「こっこのぉ…」


 体が煮えたぎる様に熱くなるのを感じた。


「ま、元気なのが分って良かったよ。もし、何か有ったら電話するから期待しててくれ」


 そう言って恭一郎はぷつりと電話を切った。


「待てこの」


 叫びたくなる様な怒りが全身を駆け抜ける。同時に動悸が酷くて眩暈がした。過呼吸だ。


「なに?どうしたの?」


 春の日差しの様に、ほんわかした口調でそう尋ねながら、ユキがパジャマ姿でバスルームから出て来た。そして壁の棚からドライヤーを取り出すと鼻歌交じりに髪の毛を乾かし始める。


「誰か来たの?話し声が聞こえたけど」

 ユキは鏡に向かい上機嫌で髪の毛を乾かしながらあたしに向かってそう尋ねた。


「ええもう、凄いのが来たわよ、あたしの天敵がね…」


 ユキの声とは正反対の、どす黒い口調であたしは答え、ふらりと立ち上がるとバスルームに向かって歩き始めた。

 天敵――かぁ。でも、さっきの話を冷静に考えて見れば、あの恭一郎って、この星で何やってるんだ?客船勤務の警察官なら船と一緒に地球に向かって、とっくに帰って居る筈だ。それをまぁ、長々とこの星に居ると言う事は何かの事件が関係しているのだろうか?

 「所謂変な事…か…」


 あたしは頭からシャワーのお湯をかぶりつつ、恭一郎の言葉を反芻した。


★★★


 花が舞う。空一面に真っ赤な花が。あたしの上空は花で一杯になり日の光さえ遮ってしまう。光はその隙間から幾筋もの筋となり地上に突き刺さる。

 花の群れは、あたしに向かってゆっくりと近づいてくる。圧倒的なその物量に、あたしの力は針で引っ掻くよりも小さかった。

 花達は歌う。妙に心に引っかかる物悲しげな歌声で。それを聞いたあたしは全身が硬直して動く事が出来なくなる。

 歌が大きく響く。頭の中で直接歌っているのではないかと錯覚を起こす。花達の歌は続く。そして紙吹雪が乱れ飛ぶ。あたしを埋めてしまう位に。抗うことは出来なかった。ゆっくりと埋もれていくあたし、そして、どこから来るのかよくわからない視線を感じながら意識がゆっくりと薄れていく。


 これは夢だ、そうわかってはいるが、現実の世界と区別がつかなくなっていって、訳がわからなくなっていった。

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