企業戦士の昼食はやはり戦場

さいとう みさき

にんにく入れますか?


 腹が減ったなぁ……



 彼はそう思った。

 時計を見ればもうすぐ十二時。

 最後にメールを確認して午前中の仕事は終わりとばかりにパソコンの画面から離れる。

 残り二分で鳴るで有ろうベルを彼は待つ。

 そしてその間に何を食うか考える。



 じぃぃいいいいいいいぃぃぃっ!


 

 午前の従業を終えるベルが鳴る。

 彼は早速社員食堂に向かうが、入り口に何か張り出しが有るようだ。



 ―― 本日機材故障の為臨時休業いたします ――



 「な、何ぃっ!?」


 彼は思わずそう叫んでしまった。

 それもそのはず、彼は今朝寝坊して慌てて出勤をしたのだ。

 いつも食べる立ち食いソバすら食べない程急いで出勤をしていたのだから。


 彼は腕時計を見る。

 残り五十五分。

 外に食事に出て移動を考えると往復十五分は削られる。

 だから早急に何を食べるか決断をしなければいけない。



 「コ、コンビニは……。」



 数階上の窓の外から見るそれは既に店の中に沢山の人が入っているのが分かる。

 この界隈は例の病気のせいで飲食店が閉店してしまい、近くに有るこのコンビニはいつも人で賑わっている。

 彼もそれは十分に理解はしている。

 しかしこの空腹感は気持ち悪くなるほど彼を追い詰めている。



 「な、何か無かったっけ? とりあえず近くの店に行くしかないか……。」



 言いながらオフィスを出る。

 そしてコンビニを横目にまだやっていそうな店を探す。


 この会社に勤めて早三年。

 周りの地形にも慣れたし、何処に何の店が有るくらいかは覚えている。



 しかし、問題はそれらの店がやっているかどうかだった。

 

 彼は近くの蕎麦屋を見る。閉店。


 彼は近くの定食屋を見る。閉店。


 彼は近くの中華屋を見る。閉店。


 彼は近くのすし屋を見る。閉店。


 彼は近くの牛丼屋を見る。閉店。




 「どっこもやってねぇじゃねえかよっ!!」



 理不尽な怒りがこみ上げてくる。

 人間空腹時は怒りっぽくなると言う良い事例だ。

 しかし現実的にこの問題を早急にかつ確実に解決するしかない。

 彼はもう一度近くに何が有るか思い出してみる。

 そしてある事を思い出す。



 「あそこがやっていなけりゃおしまいだな……。」



 言いながら少し離れた場所を目指す。

 歩いて大体五分ほどの駅から逆の方向へと向かう。

 そこは半分住宅街になり始める場所でもあった。

 彼はその店を見る。

 すると数人の客が並んでいる様だった。

 それを確認した彼は安堵の息を吐く。


 

 「どうにか飯にありつけそうだが、どれ程待つかな?」



 そう言いながらその列に並ぶ。

 すると運良くその列が動き始めると同時に自分の後ろにも行列の客が並び始める。

 

 彼は店の出入り口に設置されている食券販売機を見る。



 「腹減っているから何とかなるか。とりあえず小ラーメンと。」



 お金を入れてボタンを押し、食券が出てくるのを取る。

 そして店内順番待ちの列に着く。

 カウンター席だけのその店にはぎっちりと客たちがそのラーメンに食らいついていた。



 ごくり。



 腹が減っている時はその香りだけで唾が出てくる。

 空腹は最高の調味料とはよく言ったモノだ。


 彼は自分の順番が今か今かと待っている。

 するとカウンター席の客がほぼ一斉に喰い終わり、席が空く。


 ここの客は心得たモノで丼ぶりをカウンターの上に返してから手際よく台を自分で拭き、椅子をちゃんとカウンターの下に戻してからぞろぞろと店を出て行く。

 


 「ごっそさん!」



 次々に客たちはそう言いながら出て行くその様子はまるでそこまでやるのが当然のように。



 「お次の方どうぞ」



 店主がそう言いながら空いた席に座るように促さられる。


 彼はどうにか座る事が出来、食券をカウンターの上に置く。

 そしてセルフの水をコップに注いで静かにその時を待つ。



 そして目を閉じしばし心を落ち着かせる。



 それは何時の頃からか、この店に出来あがった暗黙のルールの様なものであった。

 最近は初見の客に合わせその暗黙だったルールが目の前に張り出されるという風にはなって来たが、その言い方ですら知らない人には呪文に聞こえてしまうほどの暗黙のルール。

 彼はその暗黙のルールが書かれた張り紙を見る。



 <無料コール>


 ニンニク :ご希望で刻みニンニクを入れます。

 野菜   :ラーメンの上の野菜を増やせます。

 油    :背油の量を増やせます。

 カラメ  :タレを後掛けでかけます、味が濃くなります。


 *各無料コールはマシマシまでです。

 *ニンニクを入れるか聞く時に無料コールのご希望を言ってください。

 *ご希望が有れば麺少なめも出来ます。



 <有料コール>


 たまご :五十円 生卵です

 カラアゲ:三十円 辛い天かすです

 ブタカス:三十円 背油に崩れた豚肉が少量入ってます

  


 これらの情報を読み解き、自分であの難解な呪文を完成させる。

 例えばニンニクを入れて野菜を多めで味を濃くするのであれば「ニンニクヤサイカラメマシ」と言う風に。


 彼は考える。

 今日はとびきり腹が減っている。

 ここの小ラーメンは麺量が確か二百五十グラム。

 それに午後の仕事で匂いが気になるがマスクしているし、ブレスケアの錠剤を飲めば何とかなるだろう。

 だからニンニクと野菜、茹で野菜を増すと味が薄くなるからカラメも増して……



 「腹減っているから、マシマシ行ってみるか?」



 そうつぶやき、必要な呪文を完成させる。

 そう、彼が作る呪文は「ニンニクヤサイカラメマシマシ」だ。

 これで麺量二百五十グラムに更に富士山の様なもやしとキャベツが茹でられた野菜がラーメンの上に鎮座して、その横に刻みニンニク、チャーシュー、そして味が薄くなるのを回避する為に上からタレを追加でかけられる。

 それを想像するだけで更に腹が鳴りそうだ。

 


 「ニンニク入れますか?」



 目の前のカウンターから店主が声をかけて来る。彼はすぐにあの呪文を唱える。



 「ニンニクヤサイカラメマシマシで!」



 店主は何も言わずまた厨房で何かをしてから彼の目の前のカウンターにそれを「どんっ!」と置く。

 それは彼が待ちに待った昼食のラーメンだ。

 この位置からでもわかる。

 これからの死闘が始まると言うのが。

 

 彼はそれを両手でつかんでそっと自分の目の前に持ってくる。

 

 小ラーメンのはずなのに他の店で言えばすでに特盛ラーメン級。

 いや、丼ぶりの淵よりはるかに高い野菜の富士山はこの後の死闘をどれ程苦しいものか物語っている。


 彼は割り箸を手に、カウンターに備え付けられているレンゲも手に取る。

 そして両の手を合わせていよいよ戦いを始める。



 「いただきます!」



 早速横にあるチャーシューに箸を持ってゆく。

 本来であれば楽しみの具の一つであるが、この店で躊躇してはいけない。

 このチャーシューが曲者で後半戦に口に運ぶと胃袋にダイレクトにボディーブローを喰らったように満腹感が増える。

 だから食えるうちに喰うのが鉄則。

 箸で持ち上げるのが困難なほどの大きなチャーシュー。

 いや、ほとんど豚の角煮と呼んでも遜色無い。

 それを箸だけでなくレンゲも駆使して口に運ぶ。

 


 がぶっ!



 意外と柔らかい。

 噛めば簡単に喰いちぎれる。

 そしてじわっと染み出る醤油の風味と脂身。

 他の店のチャーシューなんてこれに比べたらスライスサラミだ。

 肉を食っている事を実感できるそのチャーシューは何と切れ端の二枚目もあった。

 これは予想以上に強敵になる。

 彼は黙々とそれを平らげる。



 そして次はラーメン丼ぶりの淵をはるかに超える野菜の富士山に箸を挿し込む。


 単に茹でただけの野菜はそれでもラーメンダレを追加でかける事により程よい醤油のしょっぱさとわずかな油が絡みお浸しのようにバリバリと食える。

 ここでの目標は最低でも半分以上。

 やはりマシマシにしているのでその量は半端ない。

 近くのスーパー特価一袋十八円(税別)のもやしの袋より量が多いだろう。

 多分二袋、いや、刻みキャベツも入れればそれ以上!!

 だからさっぱり味のうちに最低半分は消費したい。

 程よい茹で加減のお陰でまだ少しシャキシャキ感があり、キャベツも絶妙に甘みが出ている。

 良い食感だ。

 彼はそれを無心に掻きこみ、富士山を秩父山ほどの高さにする。




 ここでいよいよラーメン本体とのご対面となる。 

  

 箸を挿し込みまだ見えぬ麺を引きずり出す。

 その時にレンゲを脇に添え可能な限りの麺を引っ張り出す。

 一旦高く持ち上げたその面を野菜の上に載せると一気にもわっと湯気が立つ。

 これぞ伝家の宝刀、「天地ガエシ」という技。

 野菜やチャーシューのせいで見えなかった麺とやっとご対面できたわけだが、普通にすすれば良いと思われがちだ。

 しかしいくら太い麺でも長い時間スープに浸されれば伸びる。

 そしてしょっぱめに味付けされたスープを吸い込んでしまった麺は正直きつい。

 しょっぱすぎるのだ。

 この二つの問題と、昼の短時間に熱々のラーメンを冷やし難なく食する為にこの技は非常に有効だ。

 見た目がちょっとぐちゃぐちゃになるが、引っ張り出した麺が器のほとんどを隠しているからそれほど酷くは見えない。

 そこへ箸を挿しいよいよ麺をすする。



 ずぞぞぞぞぞぞぞぉぞぉおおおおおおぉぉぉっ!



 言葉はいらない。

 ただ無心で麺をすする。

 それを数回。

 ごわごわとした食感に小麦の香りがぎっちりと詰まった、うどんとはまた違うコシと風味の麺。

 博多豚骨ラーメンのそうめんのような細い麺とは真逆。

 硬めだがその食感、味、そして風貌。

 もう既に何を食っているのか分からなくなってしまうが、この辺で横に弾いていた刻みニンニクも麺の上に持って来て上からスープをかける。

 そしてニンニクが絡んだ麺をまた口に運ぶ。



 「美味い!」



 思わず声が出る。

 このラーメンには刻みニンニクがとても合う。

 いや、このニンニクの味があってこそこのラーメンは完成される。

 生のニンニクだから匂いもそうだがその辛さが脳天を突き抜ける。



 そしておもむろにスープも口運ぶ。


 豚の背油が浮いた醤油ベースのそのスープは、醤油のしょっぱさの切れを残しつつ口の中を一掃する。


 そしてまたニンニクの効いた麺をすすり、合間にスープに浸された野菜も絡ませ食する。

 ここまで来ればもう勝利は確信できる。

 そう、完食まであと少しだ。



 残りの麺量約五十グラム。


 野菜もほとんどなくなった。

 辛さのスパイスが効いたニンニクもスープの底に沈んでいい塩梅に香りと味がにじみ出ている。



 が、このラーメンの恐ろしさはここからだ。



 「ぐッ!?」



 いきなり襲ってくる満腹感。

 頭ではまだいける、まだ食えると思いながらも麺を掴む箸がいきなりスピードダウンする。

 いや、口の中で咀嚼している麺でさえ何故か飲み込めない!?


 しかしここでお残しは厳禁。

 「食えぬなら最初から食うな、このブタ野郎!」と言う言葉が暗黙の了解の中にある。

 お残しは厳禁、お残しは恥、お残しは店の出禁を意味する!!


 これは男の戦い。

 昼の短時間を制しなければいけない企業戦士の戦い。

 負けるわけにはいかない。

 栄養剤片手に二十四時間戦うのは流石に今の時代厳しいが、この戦いには負けるわけにはいかない。



 彼は卓上に目を走らせる。


 そこにはデカい缶のブラックペッパーが有る。

 彼はそれに手を伸ばしふたを開け、あの日の失敗を教訓に軽く振る。

 それでも出てくるペッパーの量は麺の表面を黒くするほどだ。

 そう、この缶のブラックペッパーは出が良いのだ!!


 彼は飲み込んだその口に必要十分以上にかけられたブラックペッパーまみれの麺を運ぶ。

 途端にニンニクの辛さとは違ったエスニックな辛さと風味が彼を襲う。



 「だがこれで行ける!!」



 味が変わった事により体がその麺を受け入れるようになる。

 彼は残り五十グラムの麺をすすりいよいよその戦いに幕切れをする。

 最後に飲み込むためとその素晴らしき戦いに敬意を示す為に一口レンゲでスープをすする。



 「ん? なんだ、レンゲに当たるものが……」



 箸を入れて深い深いスープのそこから引き揚げた物はなんと、サービスチャーシューだった!



 「なんだと!? この店何時からこんな恐ろしいサービスを!?」



 既に胃袋はラーメンでいっぱい。

 今腹パンされたら全部吐き出す自身さえある。

 ブレスケアをどう飲むか悩んでいた矢先にこの罠。


 大きさは正しく一口大。


 決して食えない量ではない。

 思わずカウンターの奥の店主を見ると忙しく次のラーメンを準備しているその口元だけが笑っていた。



 「図ったな!! しかし、しかしぃっ!!」



 彼は既に脂汗をかき始めていた。


 たった一口、されど一口。

 この一口を口に運ぶ時間が永遠ではないかと思う程だ。


 しかしやらねばならない。

 彼はそれを口に含む。


 

 がっ!

 もごっ!!


 もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ……



 噛んでも噛んでも飲み込めない。

 子供の頃に焼肉屋で父親とホルモン焼きを食べた事を思い出す。

 ホルモンって何時に飲み込めば良いのだろうか?

 そんな遠い過去が思い起こされる。



 ごくっ!



 しかしそんな戦いもとうとう終止符を打つ。

 企業戦士は負けるわけにはいかないのだ。

 負ける事はすなわち世間的死を意味する。

 この店にもう二度と入れなくなると言う事はこの界隈で昼食を取る手段が無くなると言う事だ。


 しかし彼は勝った。


 丼ぶりをカウンターにあげ、台を拭き、コップの水を飲み干す。

 もう何も入らないはずの胃袋も水だけは何故か受け入れてくれた。

 きっとカラメマシマシのしょっぱさのせいだろう。


 彼は席を立ち椅子をカウンターの下に入れた。



 「ごっそうさん!」


 「どーも」



 店主と一瞬目が合う。

 そこには万感の思いが有ったが、店主のその瞳はとてもやさしかった。



 彼は外に出る。


 そして口臭予防の為のガムを噛み始めた。



 「ふう、間に合ったな。さて、午後の仕事頑張るか!!」


  

 企業戦士の昼飯。

 それはやはり戦いなのだ。




 辛くも勝利した彼は、また次の戦場へと向かうのだった。


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企業戦士の昼食はやはり戦場 さいとう みさき @saitoumisaki

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