中原恵一 短編
中原恵一
ドミソ汁
ドミソ汁
いつものように
「ドミソ
「あらやだ、アナタったら、『おみそしる』でしょ?」
ハハ、と
「……すまない、わざとじゃないんだ」
「アナタ、こないだも『カレンダー』のこと『からあげ』って
あれホントにおかしくって、と
「あぁ、それでお
「もう、そこにあるじゃない。しっかりしてよ」
定年退職してからというものの、生活に張り合いがなくなった。
出勤する必要もなく、ただ毎日家にいるだけ。習い事好きな妻は生け花にお茶、習字などを適度にたしなんでいたが、私は何もやることがなくなってしまった。思えば毎日仕事、仕事ばかりで、特に趣味らしい趣味もなかった。
仕事を辞めたら、思う存分遊ぼう。
そう思っていたときもあった。だが、いざ実際に定年を迎えてみると、頭も体も思うように動かず何をするのもおっくうで、ぼんやりと日々をやり過ごすだけになってしまっている自分がいた。
得も言われぬ途方もない空虚感――それだけが私の心を満たしていた。
その後、言葉の言い間違いは続いた。お釣りの計算を間違ったり、物をどこかに置き忘れたり。道に迷って帰ってこれなくなったとき、妻に車で迎えに来てもらったこともあった。
「アルツハイマーの疑いがあるかもしれません」
久しぶりに訪れた病院で、認知症のチェックを受けた私は愕然とした。
「そんな……、まだ定年退職したばかりなのに」
「実は、そういう時が一番危ないんですよねぇー」
重たい空気にならないようにしているのか、それともそもそも私のことなど気にもかけていないのか、医師はあくまでも軽い口調だった。
「私は、これからどうなるのでしょうか?」
不安を前面に出す私を前に、医師は落ち着いた様子だった。
「まあ、まだ軽度ですから、お薬で進行を遅らせることもできます」
そうは言われても。
「それって、治らない、っていうことですか」
私は単刀直入に尋ねた。
「できるだけいい状態をキープすることを考えましょう。考えても、不安になるだけですから」
医師は笑顔のまま、私の質問には答えなかった。それが優しさだとは分かっていたが、それでも納得はできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます