死愛

物語中毒者

第1話

 刀狩りが発令された後の時代。

 1人の侍はある場所にいた。

「ここが、武士の楽園……」

 `居心地がいい´それが、彼が最初に抱いた感想だった。

 空間は無数の竹でできた雑木林。灯りは木々の隙間を抜けてきた木漏れ日。地面は散らばった葉によってまるで整地されているかのように平坦だった。

 誰の手も加えられていない自然に出来た安息地。まだ足を踏み入れただけだというのに、心と体が最近で一番整っている。

 だが、

「……やはり、噂でしかなかったか」

 自分が求めていたのは、これじゃない。

 そう思って、彼はこの場所を出ようと背を向けた。

「あら? もう帰られるんですか?」

 彼は前方に飛び退き、反転して腰の刀を抜く。

 切先には、先程までには絶対に居なかったであろう女の姿が。

「化生の類いか?」

 彼がそう聞くと、女はころころと鈴を鳴らすように笑った。

「そう見えます?」

 女は、着物の袖を掴んで広げながら問い返してくる。

 あまりに自然なその動作は、ただ着物を広げたにしては優美が過ぎていた。

「すまないが」

「あら酷い」

 また、女はころころと笑った。

 やはり、美しい。顔ではなく、姿勢と動作が。

「其方は、何者だ?」

「貴方なら分かるのでは?」

「……それが信じられないから聞いている」

「ふふっ、正直ですね」

 綺麗過ぎる姿勢は、体幹が完成されていることを示す。

 綺麗過ぎる動作は、動きの端々に無駄がないことを示す。

 そして、腰に刺した一本の刀。

 つまり、この女は、

「侍、なのか?」

「信じられませんか?」

「……すまない、いや」

「?」

 彼は、構えを解いて刀を納めた。

 直後、女に頭を下げる。

「すまない。女だからと武士の、それもその道の先達を疑うとは、この通りだ」

「……驚きました」

「すまない」

「いえ、そうではなく。今までの人は、それが分かれば侮辱するか、油断するかのどちらかでしたので」

 それはそうだろう。武士とは、男子が目指すものだ。女の脆弱な体でその道を目指す、それ自体がその道を侮る行為だと怒る武士がほとんどだろう。

 しかし彼は、たとえ女であろうと、自分が進んできた道の先人に敬意を払い礼儀を示すのは当然のことだと、そう考えていた。

「貴女には、本当に申し訳ないことをした」

「頭を上げてください。気持ちは受け取りました」

「いや、無礼を働いた身を承知で、身勝手ながらどうしても叶えて欲しい頼みがある」

 彼がそう言った途端、女の空気が変わる。

 彼は腰に差した刀を鞘ごと抜いて地に置き、そのまま頭も地に付けた。

「どうか、死合いを」

「……貴方の道は、まだ道半ばなのでは?」

「だが、私の体の全盛期は、きっと今だ」

「……それも、ちゃんと分かっているのですね」

 女の声は悲しみに満ちていた。

 こんな自分の為に悲しんでくれる彼女には申し訳ないが、もう決めてしまったのだ。

「貴方程の剣士の道を拝めないのは残念ですが、心が決まっているのならば仕方ありません」

 それを聞いて、頭を上げた彼の目に映った女の目は、とても真摯に自分を写していた。

「……貴女は、今あったばかり自分をそこまで視てくれるのか」

「当然です。貴方の道は必ず、私が残します」

「……感謝する」

 女が自分から離れる。

 自分は立ち上がり、女を待つ。

 女が止まりこちらを向く。

 彼には、たったそれだけの行程がまるで永遠のように感じられていた。

「……成る程、これは楽園だな」

 大丈夫だ、焦るな。自分の全てを受け止めてくれる人が自分を待っていてくれているんだ。

 後のことなど考えていてはあの方に失礼だ。全身全霊を持って今の自分の究極の一太刀を。

「構えは、出来たようですね」

「ああ、きっとこれが、これからも含めた俺の全てだ」

「……そのようですね」

 あの方もいつの間にか構えていたようだ。

 ああ、なんと綺麗で、美しい構えだろうか。

「では」

「ああ、胸をお借りする!」

 一足で滑り、二足で踏み込む。

 例え防ごうともそれごと叩き切る剛の一太刀が、生涯最速であの方に向かっていく。

 自分の全てを乗せた一撃。この方はきっと避けない。

 ああ、やはり。この方は避けなかった。なんと流麗で柔らかく、それでいて強い筋を持った剣だろうか。

 理論も理屈もわからない。それでも、自分が刀ごと斬られたことだけは分かった。

 だが、まだ倒れるわけにはいかない。最後に、これだけは。

 もう目も霞んできたが、きっとあの方は残心を解かずそこに居る。その確信を持って、姿勢を整え頭の下げる。

「ありがとう、ございました」

「私も、貴女と立ち合えたこと、生涯胸に刻ませて頂きます」

 最後に一目見たあの方の姿は、霞んだ目でもくっきり見えるほど綺麗だった。

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